こんにちは、AI-am(アイアム)の 星山まりん です。
学校を休みたい・行きたくない理由にはいろいろあります。
人間関係とか勉強とか先生とか、そもそも合わないとか。
学校に行く・行かないっていうのは自分自身で決めることだけれど、現状は、親に認めてもらわないといけないってことがほとんどですね。
そういうときは、嘘をつくのもちょっとごまかすのもいい。
でも、自分にとっての「ほんとうの理由」だけは、ちゃんととっておかないといけない。
もくじ
理由が役にたつとき
「学校に行きたくない理由」は、ざっくりといくつかありますね。
- 人間関係
- 勉強
- 宿題
- きらいな先生
- いじめ
- そもそも学校が合わない
- なんとなく
- そのほか
なんでもいいんですが、みんな、なんらかの理由がある。
理由っていうのは大事なことで、他者とのコミュニケーションには欠かせないものだったりします。
「〜だから好き」とか、「〜だから嫌」と言われると、共感ができるかどうかはともかく、なるほどそうか、と納得もしやすいもの。
複数人の問題は複数人で解決しないといけないから、理由というのはとても有効です。
お互いのための理由、自分のための理由
学校を休むことや、学校に行かないことにも、理由がある。
見方によっては「言い訳」とも言い換えてもいいです。
たとえば ↑ の記事でも書いたように、休むには休めるだけの理由ってものが必要だし、それはおおごとであればあるほど、認めてもらいやすい。
今日いちにち学校に行くことよりもおおきなこと、と納得されるかどうかが勝負の分かれ目、ってとこですね。
そういう現状なんですが、理由って、相手とわかりあうために必要なときと、相手にわかってもらわなくても自分が大事にしていればいいもの、というときがある。
学校を休むとか行きたくない理由っていうのは、ほんとは後者に当てはまるものです。
建前が本音になってしまわないように
「学校に行きたくない理由」は、他人を納得させるためのものじゃない。ほんとは。
自分が、自分だけの理由で決めていいこと。
でもまあ、親の許可が必要ってこともほとんどなので、(親と縁を切りたいわけでもないし)それなりの理由や、親の性格を考えて説得の筋を用意するっていうのはいい方法です。
そもそも本音なんて、求められて言うようなものじゃなくて、言いたいときにだけ言えばいいことで。
ただ、こんな理由じゃいけないんじゃないかとか、そう思う自分はどうだとか、「認められない理由」を自分のなかで「認められる理由」にすりかえていく必要はない。
「本音と建前」ともいいますが、人間はかしこいようでばかなので、思いつづけていればそのうち、建前が本音を覆って自分でも見えなくなってしまうってことも、なくはないです。
それは悲しいし、あとあとになって掘り返すにも苦労するらしい。
自分にとってほんとうの、自分だけの理由は、ちゃんととっておきたい。
自分のために。
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