こんにちは、
AI-am(アイアム)の
星山まりん です。
最近、いろんな方のお話を聞かせてもらえるなかで思ったのは、
「やりたいけど現実的にできない」という現実は、ほんとうに現実なんだろうか?ということ。それってむしろ、妄想じゃないんでしょうか。
やりたいことができない理由を探す
新しいアイデアや、やりたいことがパッと降ってきたあとすぐに、「そのためにはどうしたらいいだろう?」と考える、あるいは「あ、これは無理かな」と考えることがあります。
後者の場合、常識というものや、いま自分のいる状況が、思いついたそれを否定する材料になる。しかも、一瞬で。
お金がない、時間がない、人脈がないとか。逆に、人の目があるから、とか。
だれかに諭されるときにも、現実をみたほうがいいと言われたりします。
現実をみないのは、どっちなんでしょう。それほど考えもせずに「できないこと」の箱に入れてしまうのは、よっぽど現実をみてないってことのように思う。
よく考えたら大してやりたいことじゃなかったな、別にいいや、というところまで行ってから箱に入れるのとは、わけが違います。
できない理由をさがしている。現実を見ないで済む方法をさがしている。楽をしている。
「ほんとうにできない証拠」なんて、そうそうない
「そのためにはどうしたらいいんだろう」って考えて行動することは、めちゃくちゃ楽しいんだけど、大変だし、怖いことだってあります。
お金も、時間も、人も、本当にここにあるぶんしかないってことはないんですよね。
たったいまの自分が持っているわけではなくても、手に入れることは、できます。手に入れなくてもいい方法もあるかもしれない。
いっぱい考えたら、いっぱいねじ曲がって、ベストな方向へ近づいていく。
「やりたいこと」は、ずっと空想していたいんじゃなくて、実現したいってことです。
そのために必要なのは、夢をみることじゃなくて、現実をみることだと思う。
でもいろんなことを省略しまくって、「ない」「無理」になってしまう。それが現実だって、言われてしまう。
やってみて、もし、どーしても、どーーしても無理だって納得したら、それが現実のはずなのに。
あれこれ理由をつけてそれはできない、と決めてしまうのは、よほど妄想じみています。
楽はしたらいいと思うし、楽に生きるのがいいと思うけれど、本当から離れて楽をするってこととは、全然ちがっています。だって、それだけ、自分からも離れていってしまう。
べつに、途中で諦めたり飽きたり、放りだしたりしても成功しなくっても、いいじゃないですか。
みんなやりたいこと、やれたらいいなあ。
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