こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
以下、Facebookより
民主化運動の歴史を描いた韓国映画
民主化運動の歴史を描いた韓国映画、5本を観た。
- 『タクシー運転手 約束は海を越えて』
- 『光州5.18』
- 『共犯者たち』
- 『1987、ある闘いの真実』
- 『弁護人』
映画に共通してるのは、民主主義の「原点」やなぁっておもった。
でもって、この「原点」がない限り、日本で民主主義はきびしいなぁっておもう。
たとえば『弁護人』に、次のようなシーンがある。
強大な軍政に守られた検察と裁判所の壁を容易に超えられないなか、証人に立った公安刑事が「お前は弁護士のくせに国家が何かも知らないのか」と叫んで威圧してくるのに対して、主人公の弁護人が「知ってます」と言ってこう叫び返す。
「主権は国民にある」「国家とは国民だ」(大韓民国憲法第1条2項)と。
「主権は国民にある」「国家とは国民だ」を家庭に置き換える
これね、まるまる家庭でも言える。
- こどもとは横の関係がいい、とか
- なんでも話し合える仲がいい、とか
- でも夫とは価値観ちがうくって(どーやったらいいか?)、とか
- 家族で話し合っていくのがいい、とか
- 民主的子育てがいい、とか
、、、っておもう人が、うんとうんと増えた(少なくともわたしの周りでは)。
でも、なかなかおもうようにはいかなくて… って言われる。
「主権は国民にある」「国家とは国民だ」。
これを家庭に置き換えたとき、
「主権は家族にある」「家庭とは家族だ」が成り立つのに必要な「原点」とはなんなのか?
(これ、明日の『家庭でサドベリー』(下のリンク先に詳細あります)でおはなしさせていただきます)
教育の最終目標は自律
デモクラティック教育(サドベリー教育)はハウツーじゃなく、本質(哲学)だから、その「原点」をからだで知り、そこから考えていけば、家庭は民主的になります。
ただ、簡単じゃあない。「原点」をからだで知っていったあと、目指すは「自律」(教育の最終目標だとおもう)。
だけど哲学者プラトンの時代から多くの哲学者や賢人たちが、自律性を育てるため教師やおとなは何をすべきか、ヒントを繰り返し教えてきてくれてる。
それでもまだこんなんやん?
(見方はいろいろ↑↓)
でもでもでも、それでもここまでよーなったやん?
野蛮なことがあったらニュースになるやん。
同性愛者の権利も認められるようになったやん。
みんな「人権」ってことばを知ってる時代になったやん。
「家庭でサドベリー」、はじまります
実を言うと、デモクラティックホーム(➡︎ https://www.facebook.com/yo.akiko/posts/800076247027564)をつくったあかつきに、「家庭でサドベリー」をはじめていこうと思ってた。
でもな、それ なくても できるやんって。。
「家庭でサドベリー」したらこんなふうになるよってこと、実践・結果を添えて伝えていけるん、うちらやんって。。。
お母さん/お父さんがハッピーで、こどももハッピーなまま、
自分が自分のまま、
生きたいように生きていける
【「自律への教育」スクール】家庭でサドベリー、はじめます。
よっぴーまりんがしてきたこと、そのなかでの失敗もいかして、シェアしていきます。
ひろまってほしいから!
どんなんか、ちょろっと覗くとこからはじめませんか?
👀👀👀 2019年7月5日(金)
家庭でサドベリー Lesson.1会場参加、web参加ともにお申し込み受付中です!詳細・お申し込みはこちらから
「家庭でサドベリー Lesson.1」は、現在「オヤトコ学校 いい舟」でご覧いただけます