「自分らしく生きる」というけど、いま生きているのは自分じゃないの?

ammこんにちは、AI-am(アイアム)星山まりん です。

「自分らしく生きる」っていうけど、その「らしさ」というやつは誰がつくるものだろう?

いま生きているのは、自分じゃないんだろうか。

「らしさ」とは?

自分らしく生きるってなんだろう。

「生きる」は、日々を暮らしていくことだ。
過ごしていくこと、生命活動を続けていくこと。

「らしさ」。

① …としての特質をよくそなえている,いかにも…の様子である,…にふさわしい,などの意を表す。「男らしい」「子供らしい」「学者らしい」など。
(スーパー大辞林)

特質(あるいは特徴)とは、なんだ?

 

「男らしさ・女らしさ」とか、「子どもらしさ」とか

辞書に載っている用例は、どれも他人の目から見たもののように思う。

普段、わたしが目にしたり、交流したりするひとたちの観念では、「男/女らしさ」は疑問視されていることが多いから、この言葉はもう廃れたんじゃないかという気になる。

でも、世間をみると、案外そうではないらしい。

たとえば女性のファッションにまつわる「ボーイッシュ」とか「メンズライク」とか、一見受容されているような言葉にも、明確な性差がある(そんなところに性差を設ける必要は、あるだろうか?)。

そして、「子どもらしさ」は、わたしにとっては疑問の範疇を抜けて、きらいなものに位置している。
子どもは子どもであって、「子どもらしい子ども」なんて存在を作り出すべきじゃない。

でも、「らしくある」ことを、子どものころから、みんな要求され続けているんだと思うと、「自分らしく」という言葉にも納得がいく。

 

「自分らしさ」をつくるのは誰か

国とか、社会とか、民衆とか、そういうものたちが形成したイメージが「らしさ」。

じゃ、「自分らしさ」は誰がつくったのか
自分の特質、特徴、いかにも自分らしい自分。

つくったのは、自分であり、他人であり、社会であり、その集合体なんだと思う。

それは、自分というやつの外側シルエット、そんなもののような気がする。
剥いて中身をのぞくと、どんなものであれ、自分はいる(自分の思う自分ではなかったにせよ)。

 

「自分を生きる」というけど、いままでは自分じゃなかった?

以前に比べると、「自分らしく生きる」より「自分を生きる」という言葉のほうをよく耳にする。

「らしく」よりは好きだけど、でも、自分を生きるぞ、と声高らかにやるのは、わたしにとっては不思議な感じがする。
いままで、そしていま生きているのは、自分じゃないんだろうか

「ほんとうのわたし」も、「ほんとうのわたしでいられないわたし」も、「わたし」であることには変わりない。

 

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