こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴーです。
おとなが子どもの能力を奪うそのときと、そこで学んだこと。
不登校をしていた我が家の子どもの家庭訪問のことを例に書いています。
担任の訪問
前回の記事、電話編「不登校で担任からの電話でやってはいけない注意点」につづき、今回は家庭訪問編です。
学校に行かないようになると、行っている子には無い特典がアレコレ付きます。
担任の先生が家に来るのもそのひとつでしょう。
娘が小学3年のときのことです。
『ちゃお』(少女漫画雑誌) についていた ふろくを、「ん~~~ どーゆうことだ? こうか? あれ ちがうなあ じゃあこうか?」 など言いながら、一生懸命 作っています。
説明文を何度も何度も読み直し、進んでは戻し、戻しては進みしながら。
わたしは隣で、貸してもらった『ちゃお』を読んでいました。
ピンポーーン
そんなところに担任の先生がやって来ました。
3年のときの担任の先生は、なんとかして学校に戻そうと努力されていたので、けっこうひんぱんに来られていました。
わが家は、訪問に関し、前もって来ることを連絡しなくていい、先生の都合や体調等に合わせて来てくださればいい、としていたので、インターホンはひょっこり鳴ります(変わりに留守や応対できないときもあることは了承してもらって)。
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禁句
わたしは本を読むのをやめましたが、娘は「よっ!」とアイサツだけして、集中力は休まず、ふろく作りはつづきます。
「あらぁ、なに作ってるの~?」
この言葉からスタートした先生の言動は、ためらうことなく禁断の扉をこじあけます。
作りかけのふろくに触れ、説明書をのぞきこむ。
「説明書ちゃんと読んでる?」
「ここ やり直さな」
「ほんでから そこんとこの底を先に、糊で止めやんとあかんやん」
「ちょー貸してみぃ」
人の振り見て我が振り直せ
おとなが子どもをダメにするシーン……。
自分もどれほどの重罪を犯してきたのか、マジマジと見せつけられました。
「子どもを尊重しましょう」
「子どもを信じましょう」
どんなことでもそうですね。口で言うのは簡単だけど、事実を見る眼をもつことは非情に難しいです。
見るべきものは映っていても、自分のフィルターを通して見てるうちは本質はみえません。
※当時の日記にこう書かれてある。今日は偏狭な自分、傲慢な自分に気づかせてもらえた。と。
視野狭窄な思い込みを捨て、井の中の蛙のような常識を捨てする過程を真剣に伝い歩いていくと、ある日ふと、初めて発想が変わり、思考過程が変わり、それによって映し出される新たな価値が見えてくる。
自分以外はみな教師
つけていた日記には、つづきが こう書かれていました。
だからお願い! 教えつづけてください!! 子どもたち。
これからも、いつもありのままのあなた自身でいてください。
悦びも屈辱も、あなたのままを表現してください。
子どもを正直でいられるようにすることが教育の始まりだとおもっています。
ちなみに娘は、先生の「ちょー貸してみぃ」などの言動に対して、
「イヤ! 自分でやりたいねん。なにも言わんといて」と言い、やがて完成させました。