こんにちは、AI-am(アイアム)の 星山まりん です。
LINE@ にて、「学校に行けないことは悪い事ですか?」とメッセージをいただきました。
わたしはもちろん悪いこととは思わないし、「当然」とされていることのできないひとがたくさんいるなら、「当然」のほうを見直すべきだと思います。
そしてなにより、「悪いこと」なんてあるだろうか、と考えました。
学校に合わないひとがいるのは当然
LINE@ には、こんなメッセージをいただきました。
「学校に合わないひとがいるのは当然」です。
まず、学校に行かないことは違法ではないし、子ども自身に通学の義務があるわけでもないし、だれかが強制できる法はありません。
そういうことは前提としてあるけれども、法に反していないからといって気楽になれるわけでもないと思います。
生活が、将来が、仕事が、というほどのことじゃなくても、ただ人の目が気になってできないこと、やらないこと、たくさんあるし。
法や事実は盾になるし、付き合いのなかで有効にもなるけれど、じぶんですっかり納得して、腑に落ちて、気持ちよくいられるためのものには、なり得ません。
少なくともわたしはそうです。
じぶんが、ほんとうにこれでいい、これがいいんだと思えなければ、盾は盾にすぎない。
でも、そうはっきり落としこむことができれば、守るべき身もないし、盾としてのなにかは、必要ありません。
「当然」ができないひとが増えたら「当然」を見直す
本題の、「学校に行けないことは悪いことか」。
もちろん悪いことじゃありません。と、わたしは思います。
「行けない」っていうのは、「行きたくない」ってことですよね。だれかの意思じゃなく、「じぶんの意思」で「行きたい」けど、なにか問題があって行けない、じゃなく。
実際、もしそうなら、たぶん「悪いことかどうか」なんて考えません。
意思や感情はうそをつかないし、それ以上に従うべきものなんてない。
行くこと/行けることが当然なところへ、行かない/行けないことは悪いこと、と思いますか?
そういう「悪い子ども」が13万人よりもはるかにたくさんいる現状なら、わたしは「当然」のほうを見直すべきだと思います。
「良いこと」「悪いこと」はじぶんのもの
あとは、「悪いこと」ってなにか、という疑問もあります。
以前、よっぴーもこんなふうに書いていました。
好き嫌いの基準がすべての人に共通ではないように、善悪の基準もすべての人に共通ではないじゃないですか。
だったら、あたりまえとされていることを問うて規制を見直し、窮屈さがないか確認しながら自由への渇望にこたえていけばいい。
今よりうんと若かった頃のわたしは、人というのは、善いこともするし、悪いこともする生きもの、と思っていました。
けれどあるとき、「ああ、そうじゃないんだぁ」と、
人というのは、善いことをしながら、同時に、悪いことをしているんだ(悪いことをしているときも、同時に、善いことをしている)、ということに気づいたのでした。
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わたしもおなじように思うし、結局のところ、ひととひとのあいだに良い/悪いは存在できないんだな、と考えています。
あるとすればそれはじぶんの軸で判断したり、決めたりすることで、
じぶんにとって「良いこと」か「悪いこと」かわからないようなことは、たぶんどちらでもありません。
親御さんや、学校の先生にとっては「悪いこと」かもしれない。
でも、だれか他人に「悪い」と言われることは、あなたが悪いことをしている、ということにはならない。
少なくともわたしにとっては「悪いこと」ではないし、行きたくなくて行けないというのなら、すごく良いなと思う。
つまりこの場で、すでに、良いと悪いが同時に存在しています。
でも、これはどちらもあなた自身のものじゃない。