こんにちは。
AI-am(アイアム)の 吉田 晃子 です。
『 計算が苦手な子どもは計算を必要としない職業につく!「不登校」は幸せに生きられる! 』のなかで書いている文章を、Twitterでシェアしたところ、いいね が1000を超えていた。(飛行機に乗っている間の出来事で、日本に着いて、スマホ見て、、、軽く驚いた)
学校が辛くて…もう行きたくなくて…と言うこどもに対して、そんなことも乗りこえられないようでは社会に出ても通用しない、という親がいるが、声を大にして言うよ。そんなこと乗りこえなくても、社会に出たら通用するよ。なぜって、狭くて画一的な教室に対して、社会は広くて多様だからだよ
— 吉田 晃子@家庭でサドベリー (@aiam_yoppy) 2019年1月15日
で、引用リツイートを読んでいて、不登校における認識の捉え方の前提がちがうことを知りました。
もくじ
学校に行っていない子は、学校に行っている子よりも劣っている?
引用リツイートが多いと、自分とは異なる意見等もあるから、それらが読めるのは、すごくためになるし、おもしろい。で、今回、引用リツイートを読んでいて、学校に行っていないと何も知らない、とおもっている人がいることを知った。
- 学校に行っていない子は、学校に行っている子よりも劣っている。
- なにも学んでいない。
- 勉強もしていないし、コミュニケーション力もない。
だから、なにも知らない状態のそんな子が、おとなになって、どうやって社会のなかで生きていけるのか? となるのだろうな、とおもった。
後悔上等
学校に行っていないだけで、生きているんだから、日々、学びの連続です。
人は、自分にとって必要なことを、ちゃーんと、経験して学んでいます。
ポケモンのゲームに夢中な子は、レベルをあげるために、たとえば「しゃーないけど、がんばる」をして、忍耐力を経験しています。
● 中卒で生きていくのは、相当に厳しい人生になる。
● 高校生活残り2年。これすら乗りこえられないようでは、社会に出ても通用しない。
● 高校・大学はきちっと出ておかないと、必ずあとで後悔する。
こんなふうに言う人(おもっている人)の前提も、優劣なんだろうな。
にしても、自分は経験していないのに、「必ずあとで後悔する」とか、なんでわかるんだろうね。経験していても、自分と他者はちがうんだから、「必ずあとで後悔する」かどうかは、わからない。
後悔しまくりだから成長するのに、後悔しないようになんて、生きていないことと同じだよ。
後悔しないように、って言う人は、何年もひきずっている「後悔」があるのかもしれない。これがあったら しあわせで、あれがなかったら ふしあわせ、とおもっていたら、一生しあわせになれないね。
まあ、親ならこどもに「後悔上等!」と言えるようでありたい。
「後悔してもよい」と覚悟を決めると、強くなるんだから。優しくなるんだから。
ねっ。