こんにちは。
AI-am(アイアム)の
星山 海琳 です。
「こどもが話をしないんですよ、聞いても言わないし。ほんとにちゃんと考えてるのかな。話してほしいと思ってるんだけど」。
親にこう思われるような子どもたちみんな、親に言いたくないんじゃなくて、「言えない親」なだけだと思うんですよ。言ったらどうなるかわかっている親、ともいう。
LINE@ に送られてくる子どもの声
オヤトコ発信所 の LINE@ には、こんな感じ↓で、子ども年齢の人からのメッセージがたくさんきます(いつもありがとうございます!送ってもらえるの、本当にうれしい)。
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あと、学校行きたくないって言ってる弟も、毎朝怒鳴られて、夜は宿題やれっていわれて、ゲームはだめっていわれて、ゲームできても、時間制限かけられ、かわいそうなんです。
だから、反論してみたりするんですけど、全然聴いてくれないんですよ。伝わらない。
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でも親は許してくれないし、学校に行きたくないと言ったら、夏休み前までは頑張れてたのにとか、
「お父さんは文句言わずに仕事してるんだからあんたも文句言わずに行きなさい」「そんな理由で休むなんて社会では通用しない」などと言われます。
行かなかったら怒鳴られて無理やり連れてかれます。どうしたら親を説得できますか? 本当に辛いんです
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不登校をお父さんに言えない。お父さんへの伝え方が知りたい。
学校は嫌でも行かなきゃいけないと考えてるお父さんへ不登校を伝える方法知りたい。
怒られるのが分かっているから怖くて伝えられない娘。お母さんからは言わないでと。
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私は今中学生で、学校に行きたくないことを親に言えません。
かといって言ったところで反発されるかも…と考えて言えません
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祖母に学校に行きたくない理由を話しました。
後ろの席の男の子が、聞いている人が不快になるようなことを平気で話すんです。
いつもはあまり話を聞いてくれない祖母が、頷きながら聞いてくれたので、とても嬉しかったです
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仮にも一緒に住んでいる相手に、思っていることや、こうしたいんだよね、こんなふうに悩んでる、ってこと、話さないほうが不自然だと思う(なんでも話すべきってことじゃないですよ)。
友人知人ならともかく、家族で、親です。
その親が、こっちの言うことややることを、その気持ちを否定したり、たしなめたり、つまり子ども自身の価値観と親の価値観が違っているときそれを押しつけたり、合わせさせるようなことをしないなら、話をするのは自然なことだと思う。
どんな相手になら、子どもは話をするのか?
オヤトコ発信所 の LINE@ にいただくメッセージで、「親に言えないこと」「親に(言っても)わかってもらえないこと」は、学校に行きたくないという内容がいちばん多いです。
義務教育年齢の子どもにとって、学校に行くや行かないを健全に行動に移すには、どうしても親の承認や許可が必要なんですよね。
もちろん法律ではそうじゃないんだけど、実質的には親が認めなければそれまでで、無理やり連れて行かれるか、問題行動扱いされたり、引きこもったり家出したりといった形で拒絶せざるを得なかったり、そういうことになっている。学校だけじゃないけれど。
子どもが親の力を(物質的に)頼りに生きているうち、親子の関係をつくることができるのは親なんですよ。
子どもはきっかけを作るけれど、タテの関係をヨコの関係にできるのは、子どもじゃなくて親です。それは、「負ける」とか、「折れる」とかじゃなくて。
子どもに「話してほしい」ではなくて、なぜ話をしないのか、どんな相手になら子どもは話をすると思うのか、頷きながら聴いてくれることが、なぜそんなに、うれしいのか。
考えたり、学んだりしてみなければ変わらないと思う。
会話は、聴く相手がいなければ成立しない。
これ↓ の宣伝ですが、いいものは宣伝します。
これまでは対面形式の長時間で開講していた「親と子がハッピーになるコミュニケーション講座」ですが、今回からのスタイルでは、大事なポイントにしぼってギュッと凝縮しています。
くりかえし視聴しやすい時間に縮め、これまでよりも安価で開講できるようになりました。
この講座では、「誰の問題か?」「聞く – 能動的な聞きかた」「話す – わたしメッセージ」「話し合う – 4つの問題解決法」を、デモクラティック教育を通したよっぴーの体験にもとづいて、よっぴーの言葉で学びます。
「親と子がハッピーになるコミュニケーション講座」https://ai-am.net/happy-movie
こどもが話をするかしないかは、話をしたくなる(できる)親か、話をしたくない(できない)親かってだけのことで、
こどもは多かれ少なかれ親に話をしたいし、頼りにしたいし、なにより親子って、そのほうがよくない? と、思う。
話したくなる家庭で暮らしをともにする
この講座で学ばれた方からは、子どもだけではなくパートナー関係でも同じだった、という感想をいただいたりします。むしろそっち!みたいな声も。
ようするに、人間関係全般においてだけど、暮らしをともにする相手ならなおさら、てことなんですよね。
暮らしをともにする相手とは、話ができないより、できるほうがいい。ついでにいえば、できるより、したくなるほうがもっといい。
その環境を作ることができるのが片方でしかないなら、そしてその片方が、ここがそんな環境であってほしいと願うなら。
親が話せる相手であることは、わたしにとっては当たり前のことでした。それは、親が「聴く」ことができるひとだったからです。
親が(親自身の)話をわたしにする人であることも、わたしがそれを聴くことも、
話すこと/聴くことでもって問題を問題でなくしていくのも、当たり前のこと。
怒るも怒られるも、怯えるも攻撃もない家庭
そんな関係が徹底されている家庭って、あんまりないみたいです。これはデモクラティックスクールやその後の生活、この発信を通して多くの方と出会って、はじめて知ったことですが。
いくら「話し合っている」と言ったところで、「話し合う」の捉え方がわたしたちとはぜんぜん違うってことも、よくあります。
話し合う = 子どもの意見 も 聞くこと、だったり。
わたしが育ってきたような家庭は、少ない。でも、多数だから正しいとか、そんなもんよ、ではない。
押しつけるも押しつけられるも、怒るも怒られるも、怯えるも攻撃もない家庭。
こんな家庭が多数でも少数でも、他がどうでも、これがいい、と思う。しいていえば、これが多数なら、もうちょっと世の中生きやすいはずだと思う。
LINE@ にメッセージを送ってくれる、子ども年齢の人たちみんな、家庭で気楽に話ができるなら、うちに悩みを送る必要はないはずだと思っています(いま送ってくれているのは本当にうれしいです、念のため!)。
気になっている方、気になった方、ぜひぜひご覧になってください。
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