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学校再開。行くか行かないか自主休校を迷うとき、勉強の遅れや人の目をどう考える?

  • 投稿日 2020年4月5日
  • 著者 星山 まりん
  • カテゴリー 学校・教育
  • カテゴリー 社会・日記
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am3こんにちは。

AI-am(アイアム)の
星山 海琳 です。

 

COVID-19(新型コロナウイルス感染症)により休校していた学校が、再開を迎えようとしています。

再開した学校へ行くことに危機感をもっている方、行きたくない/行かせたくないと思っている方、たくさんいらっしゃることと思います。

それでも、行かないことに少しの不安や心配があるとき、わたしたちが考え、心に留めておくべきこと。

もくじ

  • 1 命あってのこと、そりゃ当たり前、でも生活は続く
  • 2 行きたくない/行かせたくないときの、3つの不安と心配
  • 3 命は勉強より大事、でも学ぶ権利をないがしろにしてはいけない
  • 4 登校する子どもたちに学校、大人が伝えるべきこと
  • 5 「人の目」のほうが、よほどまし
  • 6 感情や要求は可視化しなければ「なかったこと」にされてしまう

命あってのこと、そりゃ当たり前、でも生活は続く

みなさんの地域の学校は、休校延長しましたか。それとも再開することになりましたか?

感染拡大対策の一点では、そりゃ休校するべきでしょう。2月末ごろとは違って、若者どころか子どもの重篤例も多く出てきています。

たとえ無症状でも感染源にはなるし、感染する条件は同じなのに大人だけが「自粛」で子どもは毎日学校へ、じゃ元も子もないですもんね。

 

でも、それによって子どもの学ぶ権利が奪われるわけにもいかない。オンライン授業の整備(家庭のインターネット環境も含め)、それによる親の負担の軽減、自粛生活への補償、現状、あらゆる点が不足しています。

すべて命あってのこと、そりゃ当たり前、でも生活は続くわけです。子どもにとっても、親にとっても。

 

ふだん、わたしたちは本やブログ、トークライブ等で「責任」について話をしたりするけれども、それってこの国の得意な「自己責任論」とはまったく違うものです。

今回のCOVID-19のことでも、市民から市民への自己責任論を持ち出した批判(未満のストレス発散)が多く見受けられますけど。

 

休校延長の学校はもちろん、再開した学校へ(いまは)通わないという選択をしたとしても、オンライン授業などを受けられるべきだろうし、そもそも平常時だって、不登校をしている子どもも望めば受けられるよう整備するべきなんですよね。「しかたのない理由」とやらがなくたって。

それは自己責任論で片付けられてしまうようなことじゃないんです。

 

行きたくない/行かせたくないときの、3つの不安と心配

仮に再開する地域であっても、いまは登校しないという選択肢をとる方、多いんじゃないでしょうか。

わたしは小中高に通わなかった人間で、それは行けなかったからでも、もちろん休校だったからでもなくて、行かないことを選んで、そうしていました。

今回と、状況はぜんぜん違います。だから、ここで書いていることは、ほんの参考程度に。でも、そういうのもあると、できれば頭の片隅の隅の隅あたりにでも、ちょっと置いといてください。

(給食がないとごはんが食べられなくなる子どもや、家庭よりも学校のほうが安全な子どもの場合などは、別の問題として扱います。ここではあくまで、子ども(および親)は学校に行くことも家にいることも制約なしにできる、という状況だとして。)

 

学校が再開する、あるいはまだだけどいずれ再開する学校に、行きたくない/行かせたくない、だからキッパリそうしよう、とは思い切れないとき、どんな不安や心配があるだろう?

出席については多くの場合、欠席ではなく出席停止扱いになりそうですね。

個々それぞれの懸念があるにせよ、主にネックになるのは、「勉強に遅れが出る」「後々、スムーズに学校へ戻れるか」「人の目が気になる」あたりでしょうか。

命は勉強より大事、でも学ぶ権利をないがしろにしてはいけない

まず「勉強に遅れが出る」について。

勉強は学校でしかできないものじゃない、と言ったって、収束後にまた学校へ行くなら、その学校のペースに合わせたいと思うかもしれません。

 

上でも書いたとおり、この状況で登校しない選択をする子どもにも、オンラインで授業が受けられるべきだとわたしは思うんです。

整備されてない、そんな準備はすぐにはできないんだから、といわれるけど、そうやって先送りにしてきたから一向に整わなかったわけだし、今回の休校期間で整備・実行した学校だっていくつもありますよね。

「できたらいいのに」じゃなくて、「そうするべき」と声をあげ、要求することが必要で、「今後の課題」ではなく「急を要する問題」にしないといけない。

 

で、それはそれとして、現在すでに実用化されているツール(学研「家庭学習応援プロジェクト」、Z会の通信教育(小学生)・(中高生)、カタリバオンライン、LINEみらい財団「新型肺炎休校サポート」etc)を使って学習するのもいいだろうし、考えうるかぎりすべての選択肢や情報を子どもと検討したらいいし、そもそも別に遅れたっていいじゃん、と手をつけないのもいい(子どもも同じように考えるなら)。

わたしは小中高に通わず、そのあいだ科目勉強も一切やらずに、好きなことだけをして過ごしました。
それで17歳のときに大学へ行こうと思って、小中高の勉強(はじめは九九から)を、2ヶ月半で終えました。極端な例だけど、こういうのもあります。

 

やっぱり勉強って、ひとつのルートしかないわけじゃないです。実際、ひとつの科目にたいする学習法も、山ほどあるわけだし。

のちに登校をするとしても、しばらく大通りからそれた道を通って、また合流することってもちろん可能だし、そういう柔軟性や自主性って、むしろすごく大事だと感じています。不登校をする場合も、同じで。

 

でも、勉強より命が大事だから、と、教育を受ける権利をないがしろにしてはいけない。

その権利からもたらされる環境を子ども本人がどう使うかは自由だけれど、国や学校、大人が「あとからでも勉強できるよ」とか言って環境を用意しようとしないのは、間違っているわけです。

 

関連記事 >>> 【保存版】義務教育の意味と児童憲章-「不登校」は法律違反ではなく学校に行かない子どもは義務教育に反していない https://ai-am.net/rights-and-duties

登校する子どもたちに学校、大人が伝えるべきこと

次に、「後々、スムーズに学校へ戻れるか」。

すでに再開から時間の経った学校への登校は、平常時のように、病気や怪我、不登校をしていた子どもが再度学校へ行く、のとはちょっと違います。

その違いっていうのも、このあと新型コロナウイルス感染症がどう蔓延し、どう収束し、わたしたちの暮らしがどんなふうに変わったり変わらなかったり、苦しかったり平気だったり、感染者になるのかならないのか、そういった背景によって変わることだから、今の時点では、どうしてもわからないんですよね。ぜんぜん、わからない。

 

でも仮に、多くの生徒が再開後登校していたなかで自主休校していた子どもがやがて学校へやってくるとき、ほかの子どもたちから非難されるとか、からかわれるとか、肩身のせまい思いをさせられるなら、それは学校(大人)側の教育に問題があるってことですよ。

こんな非常時でなくても、学校へ行かないことは悪でも恥でもなんでもないし、子どもたちには学校との付き合い方を選ぶ権利があるし、自由がある。
今回の状況では、なおさらでしょう。結局大丈夫だったじゃん、杞憂だったね、で終われば万々歳のはず。

学校は(各家庭でもそうですが)、登校しないことを選んだ子どもは決して、少しも、非難やからかいの対象ではないことを、登校している子どもたちが理解できるように、きちんと伝えていくべきじゃないですか。

 

もちろん、登校しない子どもの親が引け目や劣等感を持っていないってことも、すごくすごく大切です。不登校を含め、なにかしらのマイノリティに属するどんな場合でも、そうです。

親が心底これがいいんだと思っていて、堂々としていたら、子どもも堂々としていられるもの。

「人の目」のほうが、よほどまし

「人の目が気になる」について。

人の目が気になるとき、その「目」を意識してしまう相手はおそらく再開後、学校へ通った人たちでしょう。

「そこまでしなくてもいいんじゃないの」「おおげさだなあ」という目。そりゃ、どこまですればよかったかなんて、わかるわけがないですよね。

 

わたしたちは、なにかを悩むとき、天秤にかけることしかできません。

自主休校を続けるか悩むとき、天秤にかけているものの大きさを考えれば、おおげさで悪いことなんてひとつもないと思う。なにが「おおげさ」なのかも、すべてが終わってみなければわかりません。

どちらにせよ後悔するかもしれないなら、「人の目」のほうがよほどまし、とわたしは思います。

 

気をつければ大丈夫といっても、大勢が集まる施設で、完全に徹底できないことくらい明らかだし。ましてや、「休校したほうがいい」と思う人と、「まあ、とはいえ大丈夫でしょう」と思う人のあいだでは、危機意識の差も激しいし。

感情や要求は可視化しなければ「なかったこと」にされてしまう

なにがネックになっているにせよ重要なのは、子ども自身がその選択に納得しているということです。

もともと同じ考えならもちろんそれでいいけれど、親と同じ気持ちではない子どもにどうしても行ってもらいたくないなら、強制的に「行かせない」のではなく、よくよく話して、説明して、お願いをして、子どもの考えや気持ちを聞いて、話し合って、理解してもらって、問題点は解決しあって、受け入れてもらうこと。

* 誤解される方はいないかもしれないけど、これ、たとえば平常時に「学校に行きたくない」と言っている子どもに、こんなふうに言えば行かせていいんだ、みたいなことじゃないですよ。
それはたいていの場合、子どもに問題を見出しているけれども(それが問題)、今回は子どもでも親でもなく、学校教育でもなく、極めて外部の危険があってのことなので、まったく別の話です。

 

国は面倒をみてくれないものだとか、自分の身は自分で守らなきゃいけないとか、残念ながらこの現実では間違いじゃないけど(その準備があるに越したこともないけど)、でも、それがまかり通っちゃいけないんですよね。

感情や要求は、可視化しなければ「なかったこと」にされてしまいます。

必要なものは必要だと言い、間違いに巻き込まれているときは声をあげて、これがいいんだと、いま思える選択をしていきたい。

 

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よっぴー(吉田 晃子)
ドラマを見るようにこどもの育ちをみてきた、骨のズイまでゴキゲンなひと。
1962年生まれ、2児の母。
デモクラティックスクール(サドベリースクール)のスタッフを経て、星山とともにAI-am設立。

星山 海琳(まりん)
デモクラティックスクール育ちの、文と写真をつくるひと。1996年生まれ。
小・中・高へ通わず、一切の勉強もしてきませんでした。
17歳のとき、2ヶ月半で高卒認定試験に合格し、現役で大学へ入学。

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