『逝きし世の面影』第十章 子どもの楽園-人が人を大事にする社会を取り戻せば子どもたちは朝から晩まで幸福でいられる

am3こんにちは、AI-am(アイアム) 吉田 晃子 です。

幕末に訪日した欧州米人の見聞録集『 逝きし世の面影 』の、「第十章 子どもの楽園」を読んでおもったことと、その章の一部のご紹介です。

いまの日本の社会

たとえば大阪の地下鉄で、幼な子が泣き出し、すぐに泣きやまなかったら、1分も経たないうちに、車内の空気に棘がささりはじめる。

いつまで泣かせてるんだ! 親はなにしてるんだ! ってかんじで。

こどもが電車で、いつもの声の大きさで話しだせば、「しーーー」「静かな声で」。

そう言ってこどもを叱らなければ、「これだからいまどきの……」 といった冷たい言葉が、つながりを遮断しちゃう。

 

どうしてこうも世代は無情なんだろうね
みんな昔はこどもだったのにね。

泣いてるこどものママまで泣かせるんじゃないよ、コンニャロメー! ておもう。

 

みんなのこどもを、みんなの愛で包むことができないっていうんなら、「女性専用車両」のように、「子連れ優先車両」をさっさとつくってくれよ。

そうしたらこどもはいつもの声の大きさで話せるし、授乳もしやすいし、ママは針のむしろに座らなくてすむ。

 

でも、本来は、そんな車両を設けなくていい社会を取り戻さなきゃいけない。江戸社会のような……。

かつての日本の社会

江戸時代の社会が無償の情愛でこどもを育てていたってこと、知ってました?

日本は「子どもの楽園」「子どもの天国」であったことを知っていました?

逝きし世の面影 』の本を読むまで、わたしは知らなかった。(10年ほど前に読んだことがあり、ここ最近再読した)。

 

こどもたちが道路で、独楽や羽根つき、凧あげをして遊んでいるのをじゃましないよう、遊びの没頭をみださないよう、おとなはよけて通っていたことや、迂り路はいとわなかった、そんな社会であったことを知らなかった。

こどもたちを自由にとび回るにまかせる。親は叱ることをしないから子は泣かない。そうしてやがてはその子が親になる……。尊敬と信頼、この愛の連鎖が、つい100年ほど前まではあったことを知らなかった。

 

そして明治以降、あらゆる政治的戦略で、偽情報による外からの価値観が刷り込まれ、厳罰的教育、差別教育が波及した。

「親の都合に子を合わせ、従わなければ叱る。子は泣く。子が親になり、叱り、泣く。そして恨みは次の時代へ」という 負の連鎖に変わった

この負の連鎖の中でわたしたちは、子育て、教育を受けてきたということ。

 

『逝きし世の面影』の本を読んでおもったこと

逝きし世の面影 』の本を読んだとき、これこそ教科書にすればいいのに! っておもった。

わたしたちが学校で教えられた支配者が書いた歴史じゃなくてさ。

じゃあ、どうして教科書にできないの?
どうして維新前まではあった精神性を親に教えてくれないの?

そこを考えていったとき、からくりが紐解けていった。

 

今回再読しておもったことは、子育てや不登校で悩んでいたり、不安に押しつぶされかかっているときは、いっけん畑ちがいのこの『 逝きし世の面影 』を読んでみたりするのもいいのでは? とおもった。

かつてこども中心に生きていた日本人の暮らしを見て、欧米人がこの国をパラダイスと呼んだんだって。

だけど、オールコック (初代英国公使)は、「イギリスでは近代教育のために子供から奪われつつあるひとつの美点を、日本の子供たちはもっていると感じた」(下記参照)とあるけれど、今では日本のこどもたちも奪われたよね。

 

『逝きし世の面影』の章立て

本書は、江戸時代の末期から明治時代の初期にかけて日本を訪れた欧米人(の手記や書簡)の感想記を素材にして書かれています。

  • 第一章 ある文明の幻影
  • 第二章 陽気な人びと
  • 第三章 簡素とゆたかさ
  • 第四章 親和と礼節
  • 第五章 雑多と充溢
  • 第六章 労働と身体
  • 第七章 自由と身分
  • 第八章 裸体と性
  • 第九章 女の位相
  • 第十章 子どもの楽園
  • 第十一章 風景とコスモス
  • 第十二章 生類とコスモス
  • 第十三章 信仰と祭
  • 第十四章 心の垣根

 

今日のブログで紹介しているのは、このうちの「第十章 子どもの楽園」からのほんの一部です。

『逝きし世の面影』第十章「子どもの楽園」より

 日本について「子どもの楽園」という表現を最初に用いたのはオールコックである。彼は初めて長崎に上陸したとき、「いたるところで、半身または全身はだかの子供の群れが、つまらぬことでわいわい騒いでいるのに出くわ」してそう感じたのだが、この表現はこののち欧米人訪日者の愛用するところとなった。
(略)1873(明治6)年から85年までいわゆるお傭い外国人として在日したネット—(1847~1909)は、ワーグナー(1831~92)との共著『日本のユーモア』の中で、次のようにそのありさまを描写している。「子供たちの主たる運動場は街上(まちなか)である。……子供は交通のことなどすこしも構わずに、その遊びに没頭する。かれらは歩行者や、車を引いた人力車夫や、重い荷物を担いだ運搬車が、独楽を踏んだり、羽根つき遊びで羽根の飛ぶのを邪魔したり、凧の糸をみだしたりしないために、すこしの迂り路はいとわないことを知っているのである。馬が疾駆して来ても子供たちは、騎馬者や馭者を絶望させうるような落着きをもって眺めていて、その遊びに没頭する」。
1872年から76年までおなじくお傭い外国人として在日したブスケもこう書いている。「家々の門前では、庶民の子供たちが羽子板で遊んだりまたいろいろな形の凧をあげており、馬がそれをこわがるので馬の乗り手には大変迷惑である。親は子供たちを自由にとび回るにまかせているので、通りは子供でごったがえしている。たえず別当が馬の足下で子供を両腕で抱きあげ、そっと彼らの戸口の敷居の上におろす」。こういう情景はメアリ・フレイザーによれば、明治20年代になってもふつうであったらしい。彼女が馬車で市中を行くと、先駆けする別当は「道路の中央に安心しきって座っている太った赤ちゃんを抱きあげながらわきへ移したり、耳の遠い老婆を道のかたわらへ丁重に導いたり、じっさい10ヤードごとに人命をひとつずつ救いながらすすむ」のだった。
(略)
エドウィン・アーノルドは1899(明治22)年来日して、娘とともに麻布に家を借り、1年2ヵ月滞在したが、「街はほぼ完全に子どもたちのものだ」と感じた。「東京には馬車の往来が実質的に存在しない。(略)従って、俥屋はどんな街角も安心して曲がることができるし、子どもたちは重大な事故をひき起こす心配などはこれっぽっちもなく、あらゆる街路の真っただ中ではしゃぎまわるのだ。(略)」。

引用:『 逝きし世の面影

 

 子どもたちが馬や乗り物をよけないのは、ネットーによれば「大人からだいじにされることに慣れている」からである。彼は言う。「日本ほど子供が、下層社会の子供さえ、注意深く取り扱われている国は少なく、ここでは小さな、ませた、小髷をつけた子どもたちが結構家族全体の暴君になっている」。ブスケにも日本の「子供たちは、他のどこでより甘やかされ、おもねられている」ように見えた。モースは言う。「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子供が親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」。

引用:『 逝きし世の面影

 

「私はこれほど自分の子どもに喜びをおぼえる人々を見たことがない。子どもを抱いたり背負ったり、歩くときは手をとり、子どもの遊技を見つめたりそれに加わったり、たえず新しい玩具をくれてやり、野遊びや祭りに連れて行き、子どもがいないとしんから満足することがない。他人の子どもにもそれなりの愛情と注意を注ぐ」。(略)彼女の眼には、日本人の子どもへの愛はほとんど「子ども崇拝」の域に達しているように見えた。/イザベラ・バード

引用:『 逝きし世の面影

 

父親はこの小さな荷物をだいて、見るからになれた手つきでやさしく器用にあやしながら、あちこち歩きまわる」。このくだりにはワーグマンのスケッチがついている。モースも父親が子どもと手をつなぎ、「何か面白いことがあると、それが見えるように、肩の上に高くさし上げる」光景を、珍しげに書きとめている。

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 カッティンデーケは長崎での安政年間の見聞から、日本人の幼児教育はルソーが『エミール』で主張するところとよく似ていると感じた。「一般に親たちはその幼児を非常に愛撫し、その愛情は身分の高下を問わず、どの家庭生活にもみなぎっている」。親は子どもの面倒をよく見るが、自由に遊ばせ、ほどんど素裸で路上をかけ回らせる。子どもがどんなにヤンチャでも、叱ったり懲らしたりしている有様を見たことがない。その程度はほとんど「溺愛」に達していて、「彼らほど愉快で楽しそうな子供たちは他所では見られない」。

引用:『 逝きし世の面影

 

 ツュンベリは「注目すべきことに、この国ではどこでも子供をむち打つことはほとんどない。子供に対する禁止や不平の言葉は滅多に聞かれないし、家庭でも船でも子供を打つ、叩く、殴るといったことはほとんどなかった」と書いている。「船でも」というのは参府旅行中の船旅を言っているのである。またフィッセルも「日本人の性格として、 子供の無邪気な行為に対しては寛大すぎるほど寛大で、手で打つことなどとてもできることではないくらいである」と述べている。
このことは彼らのある者の眼には、親としての責任を放棄した放任やあまやかしと映ることがあった。しかし一方、カッテンディーケにはそれがルソー風の自由教育に見えたし、オールコックは「イギリスでは近代教育のために子供から奪われつつあるひとつの美点を、日本の子供たちはもっている」と感じた。「すなわち日本の子供たちは自然の子であり、かれらの年齢にふさわしい娯楽を十分に楽しみ大人ぶることがない」。

引用:『 逝きし世の面影

 

 日本の子どもは泣かないというのは、訪日欧米人のいわば定説だった。モースも「赤ん坊が泣き叫ぶのを聞くことはめったになく、私はいままでのところ、母親が赤ん坊に対して癇癪を起しているのを一度も見ていない」と書いている。イザベラ・バードも全く同意見だ。「私は日本の子どもたちがとても好きだ。私はこれまで赤ん坊が泣くのを聞いたことがない。子供が厄介をかけたり、言うことをきかなかったりするのを見たことがない。英国の母親がおどしたりすかしたりして、子どもをいやいや服従させる技術やおどしかたは知られていないようだ」。
(略)
日本の子どもが泣かないのは、モースの言葉を借りれば、「刑罰もなく、咎められることもなく、叱られることもなく、うるさくぐずぐず言われることもない」からであろう。

引用:『 逝きし世の面影

 

「子供は非常に美しくて可愛く、六、七歳で道理をわきまえるほどすぐれた理解力を持っている。しかしそのよい子供でも、それを父や母に感謝する必要はない。なぜなら父母は子供を罰したり教育したりしないからである」。

引用:『 逝きし世の面影

 

 フレイザー夫人は日本の子どもは、「怒鳴られたり、罰を受けたり、くどくど小言を聞かされたりせずとも、好ましい態度を身につけてゆく」と言っている。「彼らにそそがれる愛情は、ただただ温かさと平和で彼らを包みこみ、その性格の悪いところを抑え、あらゆる良いところを伸ばすように思われます。日本の子供はけっしておびえから嘘を言ったり、誤ちを隠したりはしません。青天白日のごとく、嬉しいことも悲しいことも隠さず父や母に話し、一緒に喜んだり癒してもらったりするのです」。(略)「それでもけっして、彼らが甘やかされてだめになることはありません。分別がつくと見なされる歳になると ―いずこも六歳から十歳のあいだですが― 彼はみずから進んで主君としての位を退き、ただの一日のうちに大人になってしまうのです」。

引用:『 逝きし世の面影

 

 ヴェルナーは「十歳から十二歳位の子どもでも、まるで成人した大人のように賢明かつ落着いた態度をとる」という。これは幕末の観察である。幕末から明治二十年代にかけて、日本の子どもの大人並みの自己保持能力はこのように欧米人観察者をおどろかした。

引用:『 逝きし世の面影

 

こどもを大事にする社会

日本のこどもたちを見て ネットー が言った言葉 ▼
[box class=”pink_box” title=””]子どもたちは、大人からだいじにされることに慣れている[/box]

 

「おとなから大事にされる」というのは、「人が人を大事にする」ということだ。

他者から大事にされたこどもたちが、おとなになったとき、こんどは他者(こども・おとな関係なく)に対してどのように振る舞う? 想像したらしあわせな気持ちになる。

 

日本のこどもたちを見て エドワード.シルヴェスター・モース が言った言葉 ▼
[box class=”pink_box” title=””]世界中で、日本ほど子どもが親切にとり扱われ、深い注意が払われている国はない。ニコニコしているところから判断すると、子どもたちは朝から晩まで幸福であるらしい[/box]

 

朝から晩まで幸福なこどもは今、どれぐらいいるんだろう?

「不登校」といわれるこどもはどうなん?

不登校しているこどもより、苦登校しているこどもは、さらに多いし。

多様性を認めようとかなんとか言うけれども、「発達障害」とふるいにかけられているこどもは?

まったく同じ人間がいないんだから、はじめから多様の集合体でしかないのにな。

福島に住むこどもたちにいたっては、何の注意も払われていない。

 

当時の日本には、朝から晩まで幸福であるらしいこどもたちで、町は満ち溢れていた……。

 

失ったものへの哀惜の念で胸がいっぱいになる。

わたしたち日本人が、近代化や合理化と引き換えにして失った最大のものは「こどもたちへの絶対的な愛情」だったということだ。

今日の本

逝きし世の面影

「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうる限り気持のよいものにしようとする合意とそれにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ」近代に物された、異邦人によるあまたの文献を渉猟し、それからの日本が失ってきたものの意味を根底から問うた大冊。1999年度和辻哲郎文化賞受賞。

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