こんにちは、AI-amの吉田 晃子です。
いいか、わるいか、でどうして判断するのだろうか? いいか、わるいか、なんてわからないのに。子どもが選んだ判断はだれにとって頼りないのですか?
自分で選ぶことはとても重要
吉田晃子・星山海琳 の共著本『小さな天才の育て方・育ち方-小・中・高に通わず大学へ行った話』の第6章 子どもの場所から > 3 今日はどの学校に行こうかな > 自分で選ぶことはとても重要 で、以下のことを書きました。そのことから ↓↓
娘は幼稚園の年中さんの秋ころから「習い事」に興味をもちました。月曜日は体操、火曜日はプール、水曜日はピアノ、木曜日はテニス、金曜日はダンスといった具合です。
「体操をやりたい!」というので、保護者のわたしが体操クラブの窓口にいって申し込みをします。申し込み用紙には入会希望動機欄があり、「子ども本人がやってみたいといっているので」と書くと、窓口の方は「自分で選ぶということはとても重要なことですからね。本人の気持ちを尊重してあげているお母さんはとても偉いですね」と言って褒めてくれます。
およそ一年が過ぎ、「習い事全部やめる」と言うので、今度は退会申請をします。退会申し込み用紙には退会理由欄があり、入会時と同じように「子ども本人がやめるといっているので」と書きました。でもおかしなもので、説得こそあれ「本人の気持ちを尊重してあげるのはとてもいいことですよ」と言われた方は誰一人いませんでした。
本にあるように、当時、娘である海琳さんは「習い事」に興味をもち、月曜は体操、火曜はプール…… と、「習い事」にはまってたんですね。
でもって「習い事」が終わったあとは、夕暮れまでさらに友だちと遊ぶという、子ども楽園を過ごされていました。
通っていた幼稚園も、たとえば昼食時間になっても砂場でお団子作りに没頭していたら、一声だけ掛けて、「子どものしたいこと、していること」を第一に置く園だったので、もうほんと、朝から晩まで邪魔者知らず。
建前と利益社会
で、本に書いたこと。
わたし、ほんとに驚いたんですね。
「自分で選ぶということはとても重要なことですからね。本人の気持ちを尊重してあげているお母さんはとても偉いですね」と言って褒めはったこと もだけど、退会時、「子ども本人がやめるといっているので」と言ったら(書いたら)、
「そんな甘やかしててどうするのですか」
「なにかちょっとイヤなことでもあったのでしょう」
「子どもはまだ小さくて自分で選ぶことも、ましてや正しい判断などできないのだから、ここは励ましてあげるのがお母さんの仕事ですよ」etc。
「自分で選ぶということはとても重要なこと」と言った方が、だよ。そういうふうに言う窓口がだよ。
もう、 【保存版】子どもが学校に行きたくないと言ったとき親がすべき1つのことと12のNG にある、言ってはいけない12のNG言葉のオンパレードでした。
で、最後に言われるんですよ、どこも。「本人の気持ちを尊重してあげてはるんでしょうが、根性なしのダメな子になりますよ」
最大のいやみをこめて言いました。「尊重してあげているんじゃありません。尊敬しているんです」
価値観の違い
尊重は縦です。尊敬は横です。
親であるわたしを批判しはることには、なんの怒りもないです。
相手が言うことは相手の価値観で、わたしの意見はわたしの価値観、世界観です。それらは単なる「違い」です。
いっしょの価値観だから価値があって、自分とは違う価値観だと価値がない、ではないんです。価値観は一致しなくてもよいのです。それぞれが望んだこと、したことが、価値あるのです。
自分と価値観が違うから?
大人が設けた基準に従わないから?
子どもに「ダメ人間レッテル」を貼られることは、やめていただきたい! と強くおもうのであります。
誇り
子どもたちが独創的で創意に富めば富むほど、生命力に溢れれば溢れるほど、「不尊敬」をもって扱われる恐れが強まります。
引用:『自由な学びが見えてきた―サドベリー・レクチャーズ』
はじまって間がないから?
もう少し行ってみないとわからないから?
子どものこたえを判断したくはありません。
直感はウソをつかない
自分自身のことであるのならその選択は、どれほど迷っても(一秒たりとも迷わなくても)、自分自身で選ぶのがいいと思っています。子どもは特にです。自分の心の声に従っていてもらいたいのです。自分の体に宿る感性は自分に嘘をつきません。自分を信頼します。