「あいつ調子に乗ってる」と思ったとき見るべきは他人でなく自分

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こんにちは、AI-amの星山まりんです。

どうして自分がいまその感情を抱いたのか、ということを知らずにいるひとは、案外たくさんいる。
知らないというか、見ていないというか、そちらに意識を向けない、と言うべきかも。

どうして自分がいまその感情を抱いたのか

どうして自分がいまその感情を抱いたのか、ということを知るのはとてもおもしろい。けれどそれを知らずにいるひとは、案外たくさんいる。
知らないというか、見ていないというか、そちらに意識を向けない、と言うべきかも。
言葉はたくさんあるし、いろんなことが重なって感情は起こるけれど、どれも自分から生まれてきている。

「調子に乗っている」という表現がある。
調子に乗るな、あいつは調子に乗ってる、ちょっと褒めるとすぐ調子に乗る、などなど。

調子という言葉にはいくつも用途があるから、「調子どう?」「調子がいいね」とかいうふうに具合をあらわしたりもする。むしろこちらのほうがよく使うかも。
調子がいいとか、調子がついてきた、などとというと、これはいい意味。
けれどこれに「乗る」と、とたんに否定や嫌悪をあらわす。

 

「調子に乗っている」は、他人の目にうつるもの

「調子に乗る」は、ほとんどの場合が他人の目にうつるものだ(自称することもあるけれど、だいたい)。
それはどういう状態だろう?

1 仕事などに、弾みがついて順調に進む。「事業が―・る」
2 おだてられ、得意になって物事をする。いい気になって軽率な行動をする。「―・って失敗するなよ」
(デジタル大辞泉)

1 仕事などが順調に進む。
2 おだてられたりもちあげられたりして,いい気になって物事を行う。
(スーパー大辞林)

どちらの辞書でも、ふたつめの意味がそれにあたる。
ついでに類義語をひくと見つかるのは、「つけあがる」とか「思いあがる」、「いい気になる」、「うぬぼれる」とか。
どれも否定的につかわれる言葉だけれど、ほんとうはどれもいい言葉ばかりだ。
調子に乗ればいいし、つけあがって、思いあがって、いい気になって、うぬぼれたらいい。みんなそうなったらめちゃくちゃいい。

でも気になるのはそこでなくて、どうして他人をみて「調子に乗ってる」という表現が生まれてくるのか、ということ。

 

楽しそうにしている誰かに腹をたてるのはなぜ?

誰かが「調子に乗ってる(ように見える)」ことで、そのひとは腹をたてている。
どうして腹をたてるのか? 不満だから。どうして不満なのか? 自分が、あるいは相手が、自分の思うようになっていないから。
自身の期待や理想から、はずれたところにいるから。

楽しそうにしているひとをみて「調子に乗ってる」と思うのは、それがうらやましいからだし、自分はそうではないからあこがれて、妬ましいからだ。
親が子どもに言うときでも、おなじ。

調子に乗っている姿は、気になるのだ。
自分にとって、したくてもできないことをしているから、気になる。でも自分のことは見ない。だから、「あいつ調子に乗ってんな」、と口にしても、たぶん気持ちよくはならない。

 

自分のことが見える好機

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話を聞いていると胸がざわざわする、ということがある。
それなんかおかしくない?、それはなんか違うような気がする、いやな感じがする、そういうざわつき。
これは、自分のことがはっきりと、くっきりと、よく見えるチャンスになる。
同感しあえるひとと話をするのはもちろん楽しいけれど、こういうひとと偶然に出会えたときのほうが、自分というものがわかる。

自分はなにが好きで、なにがきらいで、どんなことをすてきだと思っていて、どんなことが居心地わるく感じるのか、なにが怖くて、どんなものがたいせつなのか。そういうことなんかが、わかりすぎるほど、わかる。

あこがれも妬みも、シンプルなものになったら、けっこう気持ちがいい。

 

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