やってはいけない10の子どもの上手な叱り方

am3こんにちは、AI-amの吉田 晃子です。

よくいただくご質問、「叱り方」について書いています。

 

叱る人と叱らない人

親御さんから受ける相談事で断トツに多いものの中に「叱り方を教えて」というのがあります。

座談会や講演会等でも「なにか質問がありますか?」となると、この「叱り方を教えて」が目立ちます。

 

叱り方と言われてもなあ…。そのたびわたしは困ってしまいます。

子どもを叱ったことのないわたしには、「叱り方を教えて」というのは、「笑い方を教えて」と尋ねられているのとおなじ感覚だからです。笑う、笑わないはあっても、笑い方のハウツーなんて聞いたことないよー。

だからどうしてこんな質問がでてくるのか、そこから考えてみるほかありません。


叱る人と、叱らない人のちがいはなんなのか、ということになります。

叱る人は、というか叱る時というのは、子どもになにかを押しつけているときではないでしょうか。

 

お客さまが来るので家をきれいに掃除しているときに、そのしりから散らかされたら、「片付けなさい!」の連発になります。しかし帰られたあとならどうでしょうか。

また、誰が来ようと散らかっているのが気にならない人だったら、そこでは叱るという言動はありません。でもこの人は挨拶には厳しくて、自分が望むご挨拶をしないと子どもを叱るのかもしれません。

なにを叱るのか

子どもを叱るとはつまりは、親の価値基準です

そのうえでそれでも子どもを叱るというのであれば、親が自分自身を見ること、知ることが大切だとおもいます。

 

 

上手な叱り方より、なにを叱るのか。
自分の心のありように、いかに気づけるか、気づくか。

「上手な叱り方」の原則

遊び心で「上手な叱り方」の原則を書いてみました。

じ・ょ・う・ず・な・し・か・り・か・た。10ヵ条みたい(笑)

……自分自身を見ること

……幼児扱いしない

……嘘はつかない

……図々しくないか?

……なぜ? なにを? なんで?

……しつこく言わない

……感情的にならない

……理由を話す

……考えて話す

……他人と比較しない

 

「〜ねばならない」からの解放

たとえ親であっても、何歳であっても、いつのまにか植え付けられた付加価値から解放されれば、自分は自分のままで生きていけます。

子どもは、たとえばその子どもの名まえを太郎くんとして、太郎くんは太郎くんとして生きていきます。

 

「どうすれば叱らないでいられるのか」なら、わたしはいくらでも話せます。

 

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