こんにちは、AI-amの吉田 晃子です。
よくいただくご質問、「叱り方」について書いています。
叱る人と叱らない人
親御さんから受ける相談事で断トツに多いものの中に「叱り方を教えて」というのがあります。
座談会や講演会等でも「なにか質問がありますか?」となると、この「叱り方を教えて」が目立ちます。
叱り方と言われてもなあ…。そのたびわたしは困ってしまいます。
子どもを叱ったことのないわたしには、「叱り方を教えて」というのは、「笑い方を教えて」と尋ねられているのとおなじ感覚だからです。笑う、笑わないはあっても、笑い方のハウツーなんて聞いたことないよー。
だからどうしてこんな質問がでてくるのか、そこから考えてみるほかありません。
叱る人と、叱らない人のちがいはなんなのか、ということになります。
叱る人は、というか叱る時というのは、子どもになにかを押しつけているときではないでしょうか。
お客さまが来るので家をきれいに掃除しているときに、そのしりから散らかされたら、「片付けなさい!」の連発になります。しかし帰られたあとならどうでしょうか。
また、誰が来ようと散らかっているのが気にならない人だったら、そこでは叱るという言動はありません。でもこの人は挨拶には厳しくて、自分が望むご挨拶をしないと子どもを叱るのかもしれません。
なにを叱るのか
子どもを叱るとはつまりは、親の価値基準です。
そのうえでそれでも子どもを叱るというのであれば、親が自分自身を見ること、知ることが大切だとおもいます。
上手な叱り方より、なにを叱るのか。
自分の心のありように、いかに気づけるか、気づくか。
「上手な叱り方」の原則
遊び心で「上手な叱り方」の原則を書いてみました。
じ・ょ・う・ず・な・し・か・り・か・た。10ヵ条みたい(笑)
じ……自分自身を見ること
よ……幼児扱いしない
う……嘘はつかない
ず……図々しくないか?
な……なぜ? なにを? なんで?
し……しつこく言わない
か……感情的にならない
り……理由を話す
か……考えて話す
た……他人と比較しない
「〜ねばならない」からの解放
たとえ親であっても、何歳であっても、いつのまにか植え付けられた付加価値から解放されれば、自分は自分のままで生きていけます。
子どもは、たとえばその子どもの名まえを太郎くんとして、太郎くんは太郎くんとして生きていきます。
「どうすれば叱らないでいられるのか」なら、わたしはいくらでも話せます。