こんにちは、AI-amの星山まりんです。
こんどの春、早くも大学生活が4年目になります。
みんなが就活というものをはじめました。
それを近くで眺めていて思うこと。
大学は就活予備校?
このまえ話したひとが、「就活したくなかったから大学じゃなくて専門学校に行った」と言っていた。
大学というのは、まるで就活するところのようになっている。
大学生活は就職というゴールありきで、それを手にして、やっと卒業する。
自分自身が大学に行くまで、近年の大学はほとんど就活予備校みたいなものだ、というイメージがあった。
実際にいま、それを目の当たりにしている。
働きたいから、ではなく、就職しなければいけないから、4年間のうちの最後の1年を就活というものに尽くそうとしている学生たちを近くで見ている。
空白を恐れること
新卒という魔法の言葉はどうだろう。
みんな新卒じゃなければ就職する意味がないとでも言いそうなくらい、このブランドに執着している。
生涯賃金がどうこう、こだわりたいひとはこだわればいいけれど、ほとんどの学生たちは、どうしてもそれにこだわりたいというより、就職とは新卒でするものだ、と思いこんでいるように見える。
そういうふうにしているのは社会だけれど、だからといってなにもかも鵜呑みにする必要はないはずだと思う。
日本人は空白期間というものを嫌うな、と思う。嫌うというか、怖がっているというか。
予定がないとそわそわするひと、目的のない旅行ができないひと。あるいは、なんでもない時間というものが、怖い。
幼稚園や保育園へ、6歳になったら小学校へ、中学校へ、高校へ、大学へ、会社へ。
その流れに身を置いていたら、隙間も空白もまったくない。それで定年まで働いて、いや、最近だとそれまで無事に働けるかどうかもあやういけれど。
なんでもない時間、余白や空白、無駄(かのように見えるもの)、に価値を見出せないというのは、あぶない。
引きこもってみること、ニートになること、学校にも会社にも属さないこと、窓の外を眺めていたらいつの間にか日が暮れること、異国の街へ行って宿から出ずにだらだらしていること。
空白や無駄が生むものは貴重なものばかりだし、なににも代えがたい。
ぜったいにこれをやりたい、というのでもなければ、手当たり次第に就活をして、それで卒業したらすぐ働きはじめる、ということが、よりいっそう自分を見えづらくさせている。
どれもあくまで、心底就職したがっていないひとの話ですが。
ほとんどみんなが、いつまでも学生でいたいと言う。就活なんて早く終わらせて遊ぼうと言う。
人生最後で最大の夏休みというやつを。
6歳になったら小学校へ、中学校、高校、大学、会社へ。
そうやって生きることは、けっこう、楽なことなのかもしれないなと思うようになった(実際にはわたしはたぶん楽じゃないけど)。
でも、そういう楽さは、たのしくないなと思う。