こんにちは、AI-amの吉田 晃子です。
兄弟げんかほどいいものはないと思っている吉田の自説を通した、タイトルそのまま「いじめはやめて、けんかをしましょう」ってお話しと、春名風花『はるかぜちゃんのしっぽ(ω)』のご紹介です。
もくじ
兄弟げんかほどいいものはない!
みなさんは自分家(じぶんち)の子どもたちのきょうだいげんかって、どうされていますかあ? 楽しまれていますかあ?
わが家もしょっちゅうしてはったから、息子(兄)と海琳さん(妹)がけんかするたび(子どもたちはちっとも嬉しくないだろうけど私は)嬉しくって、「あ〜よかった〜」ってしあわせ感じていたものでした。
あ、「あ〜よかった〜」っていうのは、きょうだいげんかほどいいものはない じゃないですか! 「自分」がいて、「他者」がいる ってことを、あんなにまで、あそこまで、広く深く肌で知れていく学び はほかにないじゃないですか!
わが家の場合は歳が5歳ほど離れていたから、きょうだいげんかは出来ないんじゃないかな? って。息子がなにかと我慢とか、いい子とかして、きょうだいげんかになんないんじゃないかなって思ったりしたんですね。はじめは。
でも心配無用でした(笑)。だから「あ〜よかった〜」。
仲良くするんじゃなくて、仲よしでいたい
きょうだいげんかほどいいものはないってそう思っているもんだから、きょうだいげんかを止めたり、叱ったりする親を見ると「もったいないなあ〜」っておもってました。
「ひどいことするなあ〜」っておもってました。8歳ころから(だから、なんで止めたりとか叱ったりしはるんやろ〜って考えるようになった)。
きょうだいげんかがはじまると、「やめなさい」って言われる。「仲良くしなさい」って言われる。「おにいちゃんが悪い」とか「おまえが悪い」とかって言われる。
吐き出せていない想いを抑圧されて封じ込まれる……。そんなじゃ仲よしでいられなくなるよね。
それ、しつけやなくて、いじめやん
吐きそうなときに、吐いたらダメって叱られて、(人によっては叩かれて)、しかもその上、今にも吐きそうなのに! 何事もないかのような清々しい顔でいろ!! って言うんです。親とか先生とか、おとなは。
吐きそうなんだよ。そんなの何事もないかのような清々しい顔でいられるわけないのに! そんな高度なこと出来る人は役者さんしかいないのに! 「自分のままでいたらいけません。役者になれ」と、まだ2歳や、3歳、4歳、5歳、6歳、7歳、8歳、、、の子どもに強制する。
裁判官面したおとなが、手と手をとって、「はい仲直り」ってカチンコをおろす。解決能力まで奪ってさ。
やさしさを知るとき
吐きそうになったら、「だいじょうぶ?」って言ってもらいたい よね。
吐いたら楽になるから吐いてしまいなって言ってくれて、背中のひとつもさすってくれて、楽になるまでほんのちょっと付き合ってくれたらうれしいよね。安心する よね。
「やさしさ」を知るよね。
「ありがとう」って心からおもえるよね。
いじめはやめて、けんかをしよう!
おにいちゃんがおもちゃを取った!
いもうとが積み木をこわした!
「そうか、そうか」と聞いてくれるお母さんにであったことがない。言うと、怒られた。
「お前が悪いからや!! 」は無論、「お前も悪かったんじゃないの?」と仮に穏和に言われても、それって「その通り」だから、正論は人を傷つける から、だから、なにも言わなくなっていく。なにも言えなくなっていく。
そういった経験を肌にしみつかせといて、いじめられたら言いましょう!! っていったって、誰が言うねん!! って話です。
言えなかった、、、聞いてもらえなかった、、、かなしみが、形をかえて、いじわるに進化する……。だからでしょ? 子どもだけじゃなくて、おとなになってもいじめがなおらないのは。
聞くこと、話すこと、話し合うこと
話したら、ただ 聞いてくれた。
話したら、ただ 聞いてくれる。
この体験、すごくすごくすごくすごく!! 大事だとおもうんです。
「ただ聞いてくれた」経験を重ねると、「ただ聞く」ことを知っていきます。
「話す」をして、「ただ聞く」ことを肌で知っていくと、「話し合う」ことができるようになっていきます。
多くの人が「ただ聞く」の、その「ただ」を知らないだけ。
春名風花著『 はるかぜちゃんのしっぽ(ω) 』
デモクラティックスクール・サドベリースクールの映画を創るにあたり、 西宮サドベリースクール におじゃましていた際、スタッフのぐらがなにげに言った「 『よつばと!』ってサドベリーやんなぁ 」発言ともうひとつ、教えてもらった一冊がありました。
春名風花著『 はるかぜちゃんのしっぽ(ω) 』という本。
以下、『 はるかぜちゃんのしっぽ(ω) 』より引用。
ぼくの学校の、休み時間は遊び係の決めた遊びを全員でやらなきゃいけないとゆうルール(ω)今年のクラスはきちんと守っていません(ω)
でも、自然に、みんな仲良くしてる(ω)
ルールでしばられなくても、いじめや仲間はずれのないクラスは作れるし、強制的に全員で遊ばされて見えるところでは仲良しでも、こころの仲間はずれはおきる(ω)
よくちいさい時、けんかしてる子たち2人に、むりやり謝らせあって、むりやり握手をさせているおかあさんや先生を見ました(ω)
けんかの原因もなにも聞かないで、ただ、お友だちとは仲良くしなくてはいけません(ω)けんかはいけません(ω)って、だから握手してあやまって仲良く遊びなさいって(ω)
だけど知ってますか(ω)むりやり握手してむりやり仲直りしていっしょに遊ばされてる子どもたち2人は、もう絶対に握手して仲良くなることはないんだよ(ω)
学校でいくら、いじめはいけません(ω)みんな仲良くしましょう(ω)ってゆったって、みんなが仲良くしたいとも思ってないのにむりやりいっしょに遊ばされても困るんです(ω)
むりやりいっしょに遊ばされることで、よけいに、ちゃんと仲良くなったり、お互いにきょうみを持つきっかけが、つかめなくなって、何だかうそくさい友だちになっちゃうんだよ(ω)
ぼくたちのほとんどは本物のけんかのしかたも、仲直りのしかたも知らない(ω)
いじめが起きないようにむりやり仲良くさせられても、見えないいじめはありました(ω)
目を合わせないとか、スッとよけるとか、目があったらクスッて笑うとかいう感じの(ω)
口では仲良く話してたり、いっしょに遊んでるから先生にはわからないだろうけど(ω)
なぐられたり仲間はずれにされてないから、そんなのはいじめにはならないし、誰からも見えなくて誰にも気づいてもらえないけど、みんななんとなく知ってた(ω)
誰もわかりやすくいじめないから、何にも起こらないから、何にもないことになってた(ω)
いまのいじめは、やられたほうにしかわからないくらいのことしかやられないから、やられた子が誰かに話したとしても気のせいとか、気にしすぎとかゆわれちゃうと思うから、やられた子も誰にもゆえません(ω)
いま、いろんな学校ドラマがたくさんあって、わかりやすいいじめのシーンやわかりやすいセリフがたくさん出てきてます(ω)
じっさいは、そこまでわかりやすく親切にいじめてくれる子はいません(ω)いじめは、いじめられた本人にしかわからないから、こわいんです(ω)
そんなことがあっても、苦手な人がいても、ついったみたいにブロックできなくて、毎日仲良くいっしょに遊びましょうってゆわれるほどおそろしいことないと思う(ω)
ぼくは仕事であまし学校に行ってなかったから、なんかクラスが息苦しいときも外の空気すえたけど、毎日学校に行かなきゃいけない子はほんとうに息できないくらいこわいと思う(ω)
こないだ、誰かのついりで面白いやつを見つけました(ω)
ミスをなくそうっていうのを会社の目標にしたら、ミスの報告はなくなったんだけど、ミスを隠そうになっちゃってただけだった(ω)っていうような話(ω)
会社でミスをなくそう(ω)学校でいじめをなくそう(ω)そんなことは、みんなゆわれなくてもわかってる(ω)
でも、そうゆわれると、今度はみんな、じぶんのミスやいじめをかくしだすから、よけい悪くなる(ω)
ミスもいじめもないほうがいい(ω)でも、もし、失敗してしまったり、誰かをいやだなあと思ってしまうことがあったら、どうしたらいいか誰かに相談できる空気が、あったらいいです(ω)
ミスやいじめが0にならないなら、わかりやすくミスしたりいじめてくれたほうが絶対いいです(ω)見えないものは見えないまま、どんどん深くなっていくから(ω)
ドラマみたいなひどいいじめより、なんとなく避けるチーズないじめはやられた子がほんとにつらいから、わかりやすくいじめましょうっていうのも何かちがうけど、なんか、もっと、すなおにけんかできたらいいな(ω)
あっわかった(ω)けんかはやめて仲良くしましょう(ω)じゃなくて、いじめる前にけんかをしましょう(ω)にしたらいいかも(ω)
いじめはやめて、けんかをしましょう(ω)にょほう
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