こんにちは、AI-am(アイアム)の吉田 晃子です。
以前、不登校には「良い不登校」と「悪い不登校」があるよね、と言われたことがありました。
不登校に、良い・悪いなんてあるか? と思っていたんですが、星山海琳さんの「意思」についての記事を読んで、「ああ、あるな」と思ったのでした。
ピーマンは好きですか?
子どもが学校に行かなくなったあと、何年もそのことで苦しむ親御さんがいます。
大丈夫なんだろうか? 学校に行かなかったらどうなっちゃうんだろうか? と不安が次から次とやってきます。いっぽうで、苦しまない方もいます。
その違いはなんなのでしょうか?
「学校に行かない」ということは、「ピーマンを食べない」ということと何ら変わりない、とわたしは思っています。
なので、学校に行くか、行かないかは、ピーマンを食べるか、食べないかと同じこと。つまり、ピーマンが好きか、嫌いかの違い。
ピーマンが好きだったら、親がヤイヤイ言わなくたって、食べますよね。その子はピーマンが好きなんだから。
ピーマンが嫌いな場合
で、ピーマンが嫌いで食べないとき、大きくわけて2つのパターンの考えが、親にはあると思うんです。
- ピーマン以外にも野菜はあるんだし、ピーマンが好きじゃなくてもなんら問題ないよ〜
- 好き嫌いはダメだ! なにがなんでも食べなさい
この2パターンに分かれるかなと思うのですが、
- 1. だと、親も子も楽
- 2. は、親も子もしんどい
不登校の問題、それは、「不登校ということで苦しむこと」なのではないかなとおもいます。
苦しみがなければ、学校に行こうが、行かまいが、そんなこと問題になりません。
ピーマンが好きか、好きじゃないか。ピーマンが好きじゃないということに問題をもっていない人にとっては、ピーマンが好きじゃなくてもなんら問題がないのとおなじです。
いかにしてピーマンを食べさせるか。そんなこと考えもしません。そんなことで今日を苦しみで過ごしません。そうでしょ?
ピーマン以外にも野菜はあります。
意識と知識
ピーマンを食べるか、食べないかは、本人自身のことだ、と親が思えるか、どうかです。
ピーマン、好きだけど、今はちょっと食べたくないときや、
ピーマン、嫌いだけど、なにか想うところがあって、自ら食べるようになるときもありますよね、長い人生。
そこに意思があるか、ないか。
意思がある不登校は、健全です(意思がある登校もそうですよね!)。
楽になる方法
不登校をしている(していた)子どもさんや親御さんとつながれば、心の重荷も軽くなります。
誰かに頼ったり、気分転換をして、自分自身を大切にしてください。
全部ひとりで抱え込まないでね。
AI-amでも、よっぴー・ まりんのオンラインコミュニティ「お母さんのじかん365」で、みんなでワイワイやってます。
生きることに必要なのは「学校に行く」ことではないから、そのままで、きょう、しあわせになっていい。
良い不登校とは… 「ごはん、なににする?」と言い合えること。
今日の本
不登校でも子は育つ ~母親たち10年の証明~
我が子の不登校を経験した母親たちから生まれた一冊。当事者が切実に求めている、役に立つ具体的な情報が綴られています。