こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
口唇口蓋裂の記事「口唇口蓋裂〜コンプレックス(苦悩)からの解放〜」がえらく読まれているのを知って、ちょっとだけ心が波立っていたら、こんな夢と現実が起こりました。
予感
夢から目覚めて、「なんでこんな夢みたんだろう?」とか、「なにを教えてくれようとしているメッセージなんだろう?」とおもうような夢ってありませんか? そんな夢をみるときってありませんか?
先日、そんな夢に起こされました。「いまの夢ってなんだったんだろう?」って。
ぼんやり宙に目をやると、次の瞬間、三浦綾子さんの著書『氷点』『続氷点』を無性に読みたくなっている自分がいて、「ああ、なるほどね。そういうことか?」って腑に落ちたものでした。
何が? かというと…
三浦綾子さんの著書『氷点』『続氷点』
本は読んでいなくても、『氷点』という作品は、テレビや映画で何度も発表されているので、タイトルは聞いたことがあるのではないでしょうか。
※『氷点』は朝日新聞に1964年12月9日から1965年11月14日まで連載され、続編の『続氷点』が1970年5月12日から1971年5月10日まで連載。本になり、ドラマや映画にもなる。
1970年、8歳だったわたしは、入院先で、当時新聞に連載されていた『続氷点』を知りました。
病棟のロビーに毎朝、「今日の新聞」が置かれていて、『続氷点』を知ったその日以降、一日中、心のなかで読み解いていた記憶があります。
誰に頼んだのかは覚えていないけれど、すでに書籍化されていた前編を買ってきてもらい、『氷点』も読みました。
母を苦しめたことば
誰に頼んで買ってきてもらったのか、看護婦さんだったのかな? 定かなところは思い出せないでいますが、母でなかったことだけは確かです。
入院する1ヶ月ほど前に、母からこう言われたからです。
「おまえみたいなん生まれてきやがって!! おまえなんか死んだらよかったんや!! 。。。。。!! 」
「ああ、つながっているなあ、リンクしてるなあ」とおもうことや、おもうときは多々ありますが、このときもまさにでした。このタイミングで『氷点』を知るなんて。
腑に落ちたわけ
8歳だったわたしが、54歳になったんですから、母も老いて当然ですね。
痴呆症がすすむ母は、会うたびすっとんきょうなことを言っては、わたしに学びをくれます。
夢から目覚め、『氷点』『続氷点』を無性に読みたくなった日の夕刻のこと。
母に会うと、母は何度も何度も「ほんまに、あきこちゃんか?」と確かめます。これはいつものことで、そのたび「そうだよ。あなたの娘のあきこだよ」とわたしは言います。
でもこの日の確認は、いつもの数倍はあったでしょうか。母は、目の前にいるのがほんとに娘なんだと納得?するや、「生きとったんか!」と叫び、気でもふれたかのように泣き崩れました。
「謝ってすむことじゃない」
「とんでもないことをしてもうた」
「よう、生きててくれた」
そのあとは、「すまなかった」の連発です。
おいおいおい! あまりにもの懺悔に、わたしがおもっている想定外のことを、わたしにした? とちょっぴり気にはなるものの、「ああそうか、やっぱりそうだったんだあ」、と静かに、平穏に、そう想いました。
わたしはやはり殺されかけたんだ…。でも、殺されてはいないと。
母はわたしを殺していません。母はわたしを生かしてくれました。
幸運へのターニングポイント
口唇口蓋裂の記事「口唇口蓋裂〜コンプレックス(苦悩)からの解放〜」がえらく読まれているのを知って、ちょっとだけ心が波立ちました。
どうもがいたって、現実は変わりません。だけど、とらえ方ひとつで、過去さえも変えることができます。
「ありがとう」は言っても、「ごめんなさい」は言わないでください。だれかのせいにして、なにかのせいにして、 自分を、他者を、「かわいそうな人」 にしたくはありません。
五体満足に産んであげられなかった、というふうに捉えているから、そういうふうに想っているから、だから出る「ごめんね」は残酷すぎます。無情すぎます。
その「ごめんね」は、子どもの存在を否定します。
親が「ごめんね」「ごめんね」と言えばいうだけ、子どもは親に「疾患をもって生まれてきてごめんなさい」と、かんじます。
障害はいけないことなんだ…。そんな障害をもって生まれてきたから親を悲しませているんだ…。親に迷惑をかけているんだ…。と。
障害をもっているから不幸なのではなく、障害をもつことが不幸と考える人が多いから、不幸になるんです。
不登校も同じです。