不登校をしている子どもと家事当番・分担をするとき、親が意識しておく2つのこと




不登校をしている、学校に行っていない子どもがいる家庭では、よく「家事当番」「家事分担」が行われます。

わたしたちは「子どもと大人は対等で、どちらも家庭を構成しているひとり」と考えているけれど、それを理由に親が家事当番・分担を提案するとき、よくよく省みてみれば、「学校に行っていない」を理由にしているケースがほとんどなんですよね。

「タテの関係」をいきなり「ヨコ」に倒すことで子どもを押しつぶしてしまわないように、2つのことに注意しながら、親は焦らず、感覚的な「対等」を育てていくことが大切だと感じます。



不登校をしている子どもは家事を手伝うべき?

学校に行っていない子どもがいる家庭では、よく「家事当番」とか「家事分担」が行われます。

それぞれの家庭にそれぞれの決まりや習慣があって、家事を分担するにあたって子どもが学校に行っているか行っていないかは本来とくに関係のないことです。
でも、親に(主に一条校*の)学校に行くことが子どもの仕事」という観念が根づいている場合、子どもが不登校をしていて、学校に行かずに家にいると、「なにか仕事をしなければならない」と焦って、半ば無理やり、家事を分担するというケースが多いんですよね。

*一条校…学校教育法第一条で定められた学校(みんなが知っている一般的な学校)

 

わたしは、家事は基本的に親の仕事だと思っています。

親だからするべき、という意味ではなくて、家政婦やハウスキーパー、家事代行サービスなどを利用するのも当然いいと思います。
手抜きしてはいけないなんてことでもなければ、親が手いっぱいだったり、とても疲れているときだったり、そんなときでも必ず親がすべてを背負わなきゃいけないわけでもないし、ねぎらいを受けるべきではないとか、子どもたちには一切の家事をさせてはいけない、なんてことも当然ありません。

ただ、「子どもと大人は対等で、子どもも家庭を構成しているひとりだから、対等に仕事がある」なんていうのは詭弁で、子どもにとっての子ども時代は、なにより大切にされるべきものです。

 

子どもが家事を分担することで親が気を晴らしてはいけない

なんらかの事情によって子どもが家事を担わざるを得なくなっている家庭もありますし、自らやりたいと言って家事の一部を子どもが担っている家庭もあります。

けれど、子どもが不登校をしている・学校に行かない→家事分担・当番を半ば強要する家庭の場は、避けられない事情や必要に迫られているのではなくて、

「学校に行かないならなにか仕事をしなければ」という気持ち、もっと砕けば「世間に面目が立ち、将来にも役立つであろう、社会的な価値のある、責任感や立派さを認められそうな、なにかわかりやすい行為」として、「家事をさせること」を選んでいるケースがしばしばあります。

学校に行っていない子どもたちと家事を分担すること自体には良しも悪しもないのですが、だからこそ注意することもあるんじゃないか、と思います。

意識しておきたい2つのこと

ひとつは、結局のところ子どもには「学校に行かないのは問題行為だ」というメッセージが伝わりがちなこと。

もうひとつは、「”半ば”強要した結果、親は”みんなで決めたこと”だと思い込んでいて、子どもは拒否できなくなる」という状況になりがちなこと。

わたしたちは子どもと大人が対等で、どちらも家庭を構成しているひとりだと考えているけれど、その考えを都合よくねじったり、子どもがそう感じられてもいないうちから考えだけを押しつけたりしないように、注意しないといけないとも感じます。

 

「学校に行かないのは問題行為」というメッセージにならないために

家事が親(またはいずれかの大人)の仕事だとすれば、子どもがやりたいと言ったわけでもないのに大人側から家事の分担・当番を提案することには、うそのない理由が必要です。

①「結局のところ子どもには”学校に行かないのは問題行為だ”というメッセージが伝わりがち」というのは、「世間に面目が立ち、将来にも役立つであろう、社会的な価値のある、責任感や立派さを認められそうな、なにかわかりやすい行為」を親は心底では求めている、と子どもが読み取るからです。

 

たとえば「こんなふうに忙しくて時間が足りなくて、こういうときにイライラする、疲れていて、手を借りたいので、こういうことをやってほしいと思っている」……といった明白な理由がないのに、家事の分担を提案されたとする。

そうしたら、(ふだん「学校には行っても行かなくてもいい」「好きに選んでいい」などなどと言っていればなおさら)親の立場や大人の先回り癖、ようするに上から目線で、自分が学校に行っていたらそんな提案はしないだろうな、自分の現状を否定しているんだな、とわかりますよね。

それならそうと伝えてくれればいいものを、「わたしたちは対等な関係だから」と言われると、親に対する不信のかけらになるし、心の中では距離を置かざるを得ません。

 

あるいは、人間として対等でありながら、子どもとその保護者でもある親子の特殊なヨコの関係を、親も子どもも履き違えていくのかもしれない。

(このあたりは、家庭とデモクラティックスクール、サドベリースクールの違いのひとつでもあり、家庭が学校にはならない理由のひとつでもあります。細かいことは「オヤトコ学校 いい舟」にて)

 

新しく変わった考えで子どもを追い越してしまわないように

②「”半ば”強要した結果、親は”みんなで決めたこと”だと思い込んでいて、子どもは拒否できなくなる、という状況になりがち」ですが、これも難しいところです。

「半ば」というのは、「やんわり」と言ってもいいんですが、押し付けたものを、まるで相手が自分自身で選び取ったかのように扱うという意味では、昨今の「自己責任」「自己肯定感」みたいなものともちょっと似てますね。

 

わたしたちは話し合いが大切だとよく言いますけど、それはもちろん本当で、複数人のことや、家庭全体のことは、そのメンバーで話し合って決定していくべきだと考えています。

でも、この「話し合い」がとにかく難しい。

ほとんどの親はまず子どもとして、自分の親からタテの関係を教わってきているし、それ以降も、まわりの大人や学校などから肌で学ぶのは、人間としての対等さや敬いでも、民主主義でもなく、権力は横暴だということばかりです。そして、その振る舞いを身につけていく。

それで、ここへきて子どもとなにかを決めるために「話し合う」をやってみても、身につけた振る舞いはすっかり染みついている。
けれど自分が知っているような押し付けをしたくない思いから、自分が抱いている結論に向かって話を進め、子どもにウンと言わせてしまう、という「”半ば”強要する」「話し合い」が、よく見受けられます。

(「決めたことをなかなか子どもが守らない」「忘れたとか言って全然やらない」というのもよく聞きますよね。心底納得したのでなければ、やらないのも忘れるのも作業が適当なのも、当たり前のことです)

 

子どもがそれを指摘できる関係ならいいけれど、「これまではタテの関係だったけれど、これからはヨコの関係を築いていきたい」と思って実践している最中、とくにはじめのうちは、新しく変わった自分の考えに子どもを沿わせようとしてしまいがちです。「タテ」をいきなり「ヨコ」に倒すことで、子どもを押しつぶしてしまう。

そうではなく、変容した親の態度や空気感を受け取った子どもたちが返すものと重ねて、混ぜて築いていく。それがヨコの関係であるはずです。

 

誰が何をするかを決めずに暮らしをやっていく、「感覚」の土台

わたしたちは二人で家事をやるけれど、分担や当番といったルールはとくに決めていません。

これまで一緒に暮らしてきて、得意・不得意はお互いに把握しているし、作業の全体像やその労力のイメージを共有できているから、それぞれにできることをそれぞれがやります。
作業量だけを見れば部分的に偏っていることはもちろんあるけれど、作業量の公平さ=対等、ではないですよね。

 

誰が何をするかを決めずに暮らしをやっていくというのは、対等の「感覚」が身体に、関係にしっかりと染みついていてはじめてできる方法だとも思います。

「気づいたほうがやるってことにすればいいじゃん」と言い出すほうが決まって無頓着で、結局もうひとりが(相手に比べてよく気づくので)いつもやることになり、また鬱憤が、ってこと、よくあるじゃないですか。

そこにはお互いに「相手がやって当たり前」「自分だけがやるのはおかしい」といった気持ちがあって、イメージや「感覚」の共有もまるきり不足しています。立っている場所も見えているものもぜんぜん違っていて、そのズレが苛立ちになっていく。

焦ることなく、誠実に

パートナー同士ならともかく、親と子においては、対等なヨコの関係を作り出していくのは親の役割です。

子どもと大人が対等で、どちらも家庭を構成しているひとりで、その空間を維持していくための作業はみんなに係っているもの(実際に誰が何をどう担っていくかはともかく)、という感覚がしっくりと腑に落ちるよりも先にシステムを押しつけてしまうと、「感覚がしっくりと腑に落ちる」機会を奪ってしまうことにもなりかねません。

わたしたちは場の空気をもとに思考して、言動を選ぶものですよね。周囲の様子を吸収して成長していく子どもならなおのこと、そしてその相手が親となればよりいっそう、子どもは鋭敏に反応します。

だから、親は焦ることなく、親としてのありかたを固めながら、目の前のこどもと誠実に時間を重ねて、二人の関係を築きあっていくことで、やがて「感覚」を土台にした暮らしができていくのだと思います。

 

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