今回は、小・中・高校へ通わなかったわたしが、高卒認定試験をつかって現役の18歳で志望大学に入学した、そのつづきです。実際に算数の勉強に取りくんだときの話。
小学校が勉強に6年間かける理由
ふつう、学校では、クラス全員のペースにあわせて、ゆっくり勉強が進められていきます。
とくに小学校は、6歳や7歳の子が理解できるように、ゆっくりと進めていくからこそ、6年という長い月日が費やされる。
ひとはみんな生まれたときからひとりの人間であるとはいえ、やっぱり年齢を重ねると、頭での理解力には違いがあります。
だから、6歳では毎日ゆっくりでなければわからなかったことも、17歳になってからはじめてやってみると、すごくあっけないものだったりします。
まして、子どもがみずから望むわけでも、やりたくてするわけでもない学校の勉強と、自分が自分のために進んでやる勉強は、まるでちがう。
6年間の算数は20時間でおわる
たとえば算数。
わたしの場合、九九は1時間くらいでおぼえられました。
足し算・引き算はなんとなくでできる、という状態でしたが四則計算もすぐにできるようになりました。これもたしか、1時間くらい。
それはわたしが特別だとかいうんではなくて、ほんと、すごく自然なことです。
算数はいつ必要になるか?
学校で四則計算や九九をおぼえる年齢のときというのは、だいたいにおいて、日常的に計算をほとんど必要としません。どう役にたつのか、とわかる実体験はやっぱり少ないものです。
そういう状態でただ頭をつかって取り組まなければならないのは、つらい。解くことが楽しいというのでなければ、やっぱり自分の好きな遊びがしたくなります。
けれど17歳にもなれば、生活のなかでたびたび計算が必要になってきます。
わたしはそのたびに指おり数えていました。そういうひとが勉強すると、滑らかに算数を吸収することができる。それはやっぱりすごく自然なことだと、わたしは思っています。
九九は「便利」なものにすぎない
九九はたしかに、便利なものです。
ちょっと数の多い計算をするたびに指で数えていたわたしにとって、それはとてもよくわかりました。ああ、これはたしかに覚えておくといいなあ、と。
そうは思ったけれど、でも九九を知らないままで、ふつうに生きてくることができました。
もちろん知っているに越したことはありません。
でも、将来必要になるから!といって、子どもが遊びたい時間を削って、あたまを痛めて、みんながみんなおなじタイミングで覚えなきゃいけないってことは、ないと思うのです。
あとになって、おなじ苦労をすることになるのならともかく、数年後にやれば、ものの1時間で終わってしまうことならなおさら。
まとめ
算数以外にも言えることではありますが、生活で必要になるちょっとした計算というのは、あらたまって勉強しなくても身についていくものです。
算数の問題がりんごとかみかんに例えられているように、街で見かける親御さんが子どもに時計で数を説明をしたり、スーパーで買い物をしながら計算を教えようとするように。
17歳にもなれば、足したり引いたりすることの理屈は自然と理解できています。
だから、計算が必要になってもなんとかなる。そして、日常でなんとかしてきた経験が、あとになってはじめて算数を勉強してみても、かんたんに吸収することができる理由のひとつになります。