こんにちは、AI-am(アイアム)の 吉田 晃子 です。
LINE@ にいただいた、不登校あるある質問なんだけど、
子どもが嘘をつく、、、っていう悩みは、不登校だけじゃなく、子育て中のあるあるでもありますね。
だれもが嘘をつくのに、どうして子どもが嘘をついたらダメなんでしょう?
ウソを嘘って指摘して何になるの? ってはなしだし、子どもがつくウソって洋服を着込んだ真実だとおもうのだけど。
もくじ
学校に行っていないのに、行ったと、子どもが嘘をついて…。
いただいたご質問は。。。
※ 子どもの年齢や、家庭環境、学校など家庭外環境によっても対応等は違ってきますし、いただいた内容からのみの憶測でしかないので、深くはこたえられていないこと、ご了承のほどお願いします。
終業式の日のこと。
小学校に行っていないA子ちゃん。
で、A子ちゃんが小学校に行っていないことを知ってはる近所のB男さん。
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2018/01/279892.png” name=”B男さん” type=”l”]今日、終業式だったねー[/voice]
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2018/01/279892a.png” name=”A子ちゃん” type=”r”]うん、たのしかったよ![/voice]
このことに対して、
[box class=”pink_box” title=”ご質問”]学校(終業式)に行っていないのに、行ったと、娘がはじめて嘘をついて…。
この嘘って、まりんさんの言っていた「本音と建て前」と受け取ろうとしましたが、でも、、、このまま放置していていいのか、考えています。
子どもの心が窮屈になってほしくないんです。
相手の方に学校に行かない子たちの事を書かれた本を渡したいとも思いました。
わたし自身(Aちゃんのママ)、幼いときに触れられたくない事に触れられそうになるたび、ビクビク過ごしていたものだから悩んでしまいます。
娘からなにか言われてから行動したほうがいいのでしょうか?[/box]
学習
今回のご質問に限らずなのですが、「悩む」ってほんと、学習ですね。
愛しくて、愛しくて、たまらなくなる。
子どものことで悩むたび、学ばさせてもらえて、学び合いっこできて、またひとつ寛やかになっていく。
だれの言葉だったか、覚えていないのだけど、人生は「節」があるからいい。って。
悩む中から、何かを学習して、つかみとっていく。変わっていくそのとき「節」ができて、「節」からまた成長していく。そのくりかえし。
こたえ
で、わたしだったら、、、
うん! 娘さんが何か要望してきて、で、その要望にこたえるのが自分にとってイヤでないんなら、「いいよ〜」って言って、ゴキゲンでこたえるー。
たとえば、娘さん自身が、学校に行かない子たちの事を書かれた本をB男さんに渡したいから、B男さんの家まで一緒についてきてくれないかな? って言ったとしたら、
「いいよ〜」って思ったんなら「いいよ〜」だし、イヤなら「いやや〜」だし。
尊敬の念を抱く
つかね、「娘がはじめて嘘をついて…。」ってあるんだけれど、「今日、終業式だったねー」に対して、「うん、たのしかったよ!」って交わすだなんて、
わたしだったら「A子ちゃん、いまのんナイス!!」と、尊敬のまなざしで弾んでいそう。誇らしげに。
● 相手の動きを予見する力だったり
● 頭の回転の速さだったり
● ピンチをすり抜ける機敏な動きが取れることだったり と、
とっさの状況を把握して、瞬時にベストな選択をチョイスできる状況判断能力、すごい!
そのうえね、言いかたが謙虚なの。相手を傷つけないの。やさしいの。欲が深いおとなとちがって、暴力性が微塵もないですよね。そんな言葉が瞬時にでる言語力もすごい!
変わることは成長すること
たとえば以下のご質問も、息子さん、すごいじゃないですか。
うっとうしい相手を瞬時に見抜いている。
[box class=”pink_box” title=”ご質問”]小学3年のころから不登校している、いま5年生の息子がいます。
最近になって、平日の外出のおりなど、知らない人から「学校は?」と聞かれると、「今日、創立記念日」と言って嘘をつきます。
どうして嘘を言うの? と聞いても、「面倒くさいから」と言って、本当のことは言ってくれません。
学校に行けてない子みたいで、裏切られた気持ちになります。
嘘をつく人になって欲しくないです。どう言えばよいのでしょうか?[/box]
「今日、創立記念日」のウソね、わが家の 息子 に聞いてみたところ、
「もう、これはテッパンやからなあ。あと、(参観などでの)振り替えと。これでかわしてたなあ、おれも」と言ってました。
不登校のテッパンらしいです。創立記念日(バイトとかするようになって、親戚の人が死んで… のウソで休むのと同じで)。「あれ? 今日、学校は?」。この声かけって、ほんと、ウザイほど聞かれるそうですから。
5年生ということは、これまでは親御さんに向けて発していた「学校は?」の問いかけが、直接、子どもさんに向けられているんだと思うし。そりゃあ、面倒くさいですよ。
いくつめかの「節」ができたのではないのでしょうか? 子どもさん自身の竹に。
嘘には2種類の嘘がある
うそには二つの種類がある。過ぎ去ったことについての事実のうそと、これからありうべきことについての当為のうそだ。
引用:ルソー著『エミール〈上〉』
過ぎ去ったことについての事実のうそ
自分がしたことを否認したり、しなかったことをしたと言いはるばあい、つまり、一般的に言って、意識的に真実に反したことを語るばあいは、事実のうそをついていることになる。
自身だけでは何もできない子どもは、まわりから愛されている場合は、嘘をつく必要性がない。
しかし、服従を求められる場合、罰や叱責を受け、そこから逃れようとする場合、利害を考えて嘘をつく必要性が生まれる。
よって、自然で自由な教育、子どもが同じ仲間と接するように教育を施すことで、嘘をつくことはなくなる。
これからありうべきことについての当為のうそ
まもる意志のない約束をするばあい、そして一般的に言って、考えていることとは反対の意向を表明するばあい。
子どもが嘘をつくのは教師のせいである。
教師は子どもが無知で裏表がないことを望まない。教師は子どもに根拠のない規則や理由のない教訓を詰め込もうとする。
子どもに約束をどうしてもさせたいならば、自発的に述べさせるようにするのがよい。
教師がむやみやたらに約束を押し付けると、子どもはやがて約束は形式的なことに過ぎず、破っても問題ないと考えるようになる。
自らの足で立ちきれていない自分(親)の不正直さを教えてくれる
子どもの心が窮屈になるときというのは、大人の管理の下、いかに正しい行い(なにをもって正しい行いなのかは、さておき)をさせるかということに焦点が置かれたときです。
何かを教えるというスタンスで教えるものは、どこか嘘が入ります(ウソはだめよ、と言う大人が、嘘を言ってるの)。
既製服に体を合わせるような生きかたはやめた彼女/彼たち。自分自身の嘘を信じてはいません。
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(親であるわたしたちは)幼少期に親から認められなかったアレコレのせいで、未だ他者からの承認に過敏に反応しちゃうけれど、精一杯あらゆる力をふるわせて、自分の足場をつくっている子どもたちとの暮らしのなかで、正直さをとりもどしていきませんか。
今日だって、朝からついた、たくさんの嘘を横目にしつつ(笑)。
今日の本
子どもはなぜ嘘をつくのか/ポール・エクマン
子どもはなぜ、嘘をつくのか。どんなときに嘘をつくのか。子どもが嘘をついていることをどうやって見破ればいいのか、子どもの嘘にどう対処すればいいのか。嘘研究の世界的権威である著者が、親ならば知っておきたい子どもと嘘にまつわるあらゆる研究をまとめた、必読書!
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なぜウソをついちゃいけないの?/ライナー エアリンガー ベストセラーズ
どうするのが正しいことなのか、わからないことって、よくあります。人を助けるためなら、ウソをついてもいいのかな? 多くもらったおつりは返さなくちゃいけないの? プレゼントが気に入らなくても、「気に入った」って言わなきゃいけない? こういう疑問は、毎日のくらしの中で起こるものです。むずかしい場面で、何が正しいのか、わからなくなることもあるでしょう。そんなとき、「ともかく、こうするものなの!」とか、「あたりまえでしょ」なんて、頭ごなしに言っても、子どもたちは納得しません。この本を読めば、どうやって考えたらよいか、その道筋がわかります。そして、自分の人生を自分で決めることのすばらしさを学べます。
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