こんにちは。
AI-am(アイアム)の
星山まりん です。
好きなものは多いほうがいい。じゃあ、嫌いなものは?
嫌いなものは、ときには好きなもの以上に、自分の輪郭を際立たせてくれる。
好き嫌いは、なくさなくていい。
もくじ
「好き嫌いせずに食べる」のはえらいことじゃない
親はよく子どもに「好き嫌いせずに」と言うけど、ちょっと見方を変えると、あれは不思議なことを言っている。
食べものに関してはまあ、食べられないものが多いよりかは、食べられるものが多いほうが楽しみの幅もあるのかもしれないし、付き合いも気軽になるかもしれないけど、「好き嫌い」をなくす必要はあるだろうか、と思う。
好き嫌いのない人、わからない人は、怖い。
好きなものと、嫌いなものがなければ、個性が浮かび上がってくることもないような気がする。
なにかに突出したり偏るよりも、とりあえずなんでも人並みにできたほうがいい、みたいな感じ。
嫌いなものを克服させることは、子どもの感覚を矯正すること
栄養を摂る方法ならたくさんある時代に(しかもきちんと食事から栄養を摂れている大人なんて少ないこの時代に)、この野菜を食べないと背が伸びないとか、はたまた「大きくなれない」みたいな根拠のないぼんやりとした脅しをかけて、好き嫌いをなくそうとしている。
嫌いなもの、苦手なものを克服させようって、なんかすごいことを言っている気がしません?
ホントにそれを摂取しなきゃ死んでしまうようなものならともかく、多くの場合はそんなにも差し迫った問題ではないわけで、
じゃあ子どもの「嫌い」「苦手」という完璧に冴えた感覚は、いったいどこへ追いやられてしまうんだろう?
好き嫌いは、食べものだけに限らない。
ああいう人は嫌い、こういう人は好き、この作業は好きだけどあの作業は嫌い、好きな街・嫌いな街、飲食店、思想、学校、映画、音楽、におい、etc、etc。
多くの事柄について、わたしたちは好き・嫌いをもっている。
「嫌い」には自分が詰まっている
わたしたちは「好き」を大事なものとして扱うけど、「嫌い」もそれに劣ったりはしない。
批判的なことや否定的な見解、「嫌い」という言葉を遠ざけたり、苦手なことは少ないほうがいいという風潮に身を任せたりしているけど、そう思い込んでいるだけって人も、いくらかいるんじゃないかと思う。
嫌だなと感じること、イラッとすること、癇に障ること、反発したくなること、どれも、自分という人をくっきりと教えてくれる。それをねじ曲げたり、自分さえ見えないところに押し隠す必要はない。
嫌いなものは、嫌いでいたい。
今日の本
「人間嫌い」のルール / 中島義道
「人はひとりでは生きていけない」。その言葉を錦の御旗に、表向きうまくやるのが「おとな」、できない人は病気と蔑む。
他人を傷つけないという名目の下に、嘘やおもねりも正当化されるのが日本社会である。
そんな「思いやり」の押しつけを「善意」と疑わない鈍感さ。
「人間嫌い」は、そこに途方もない息苦しさを感じてしまう人なのだ。
したくないことはしない、心にもないことは語らない。
世間の掟に縛られずとも、豊かで居心地のよい人間関係は築ける。
自分をごまかさず、本音で生きる勇気と心構えを与えてくれる一冊。
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