こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
魅力をかんじなかった公の小学校、中学校、高校には通わず、12年間、自分のハートがキャッチしたしたいこと、知りたいこと、好きなことだけをして暮らしていた星山まりんさん。
17歳の夏、彼女が突如、大学に行こうと思い立ったときの母の心境を書いています。
わくわく♪ わくわく♪♪
娘・ 星山海琳 さんが大学に行くといいだしたとき、そのときのわたしの感想は、「わー、こりゃあ おもしろくなる」でした。
日ごろの平穏な暮しに、時おりやってくる「非日常のたのしみ」が、いまからはじまる?
なんていうのかな、17年、毎日かかさずみているドラマが、またひとつ次の章に移る —
今日の放送でひとつの時代が終わって、さあ、いよいよ明日からは ◯◯!!
主人公の夢はどう叶っていくのか!!!みたいな。
視聴者の興味を引きつけて、
「わあ、気になるー」
「早くみたいー」
「ああーたのしみだあ」の心境にさせるアレ
— つづきが気になるわくわく感。
そう、あくまで視聴者。
テレビドラマでもみている気分で
話は過去にさかのぼるのですが、子どもが行く幼稚園を、わたし(たち夫婦)が決めたとき、
「この子の人生で、他者のわたしが本人に代わって決めるのは、これが最後だな」とおもったものです。
どこで産むのか、
どうやって産むのか、
3歳までどう育てたいのか、といったような、
「子どもと『話し合って』決める」がムリな事柄は、もうこの先にはないな、と。
もうすぐ4歳になろうとする子ども をみていて、
この年齢にもなると もう おとななんだな、とつくづくおもったものでした。
以降、子ども自身のことについては、子どもたち(娘の上に息子がいます)が選ぶもの、選ぶこと、それによってもたらす過程も結果も、、、言わば子どもの歩みを、テレビドラマでもみている気分で観てきました。
録画はできない教育番組
子どもが主人公のそのドラマは、学ぶことだらけの教育番組です。
笑ったり、泣いたり、考えさせられたり。
毎日、毎時、毎瞬、、、録画はできないので見逃せない。
「そうじゃないよ」
「こうすればいいのに」
そんなふうにおもうことは 時にはある。
しかしテレビの中に手をつっこんで、観ているドラマを、わたしのおもうように いじくることは不可能です。
どこまでも視聴者
そんなときに できることといえば、「そうじゃないよ」とか、「こうすればいいのに」とか、どうして自分は そうおもうのか? と考えること。
自分を知ればいい。
他者にいらつくことはすべて、自分自身の理解に役立つのだから。
しあわせであるというのは、恐れなく自分を知ることなんですね。
海琳さんは自分を知っていました。
そのことがうれしかった。