伝説の灘校教師・橋本武さんが教える「遊ぶ教育」と横道が考えることの楽しさを育む

amam
こんにちは、

AI-am(アイアム)のよっぴーまりんです。

 

「もっとがんばりましょう」「もっと上を目指しましょう」の「もっと教育」 から、「こどもからはじまる教育」に変えていきませんか?

「こどもからはじまる教育」では、“ 遊び = 学び ” です。

 

中学3年間をかけて、わずか200ページの『銀の匙』(中勘助 著)を読みこむ授業をされていた灘中・高校の国語教師、橋本武さんが大事にされていた「横道にそれる」(遊び教育)と並行して書いています。

「こどもからはじまる教育」は横道にそれて「遊び」とひとつになっていく

遊びは、いつだって突然はじまります。

「12時になったらジグソーパズルをしよう!」(まるでカリキュラム)みたいには始められず、いつ終わるのかもわからないのが遊び。

 

今日も、わたしがふと「『あいさつ』って漢字、どうやって書くんやったっけ?」と、目の前にいたまりんさんと息子に聞くと、「挨拶」のほか、

「相殺」や「哀擦」、「愛札」、「亜衣刷」といった具合に、あ・い・さ・つ、のいろんな漢字を書き出す……。そんな遊びが、かれこれ3時間くらいつづきました(みんな仕事中だっていうのにw

 

前回の記事(「桜丘中学校・西郷孝彦校長の著書『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』に学ぶ子どもからはじまる教育」)で、

「もっと教育」と「こどもからはじまる教育」に触れたけれど、「もっと教育」がカリキュラムに添うたものだとしたら、「こどもからはじまる教育」は、いつだって横道にそれて「遊び」とひとつになっていくものです。

 

横道は「自分から」はじまり、「考える」がはじまる

「横道にそれる」と、すごく間口が広くなるんですよね(奥行きも深くなる!)。

たとえば小説を読んでいても、町の名まえが出てきたりすると「どこにあるんだろう?」「どんな町なんだろう?」と調べてみたり、知らない料理の名まえが載っていたりするときもそう。

感性がこまやかになるし、幹だけじゃなく、大きな葉っぱだけじゃなく、枝の先の先の、細い枝葉にまで気がいくようになったり、疑問がわいたりします。

一見ムダで、あとから思えばほんとにムダなこともあるかもしれないけれど、幅ができることは多様になることでもあって、ひとりよがりじゃなくなっていく。

 

1934年から1984年まで、灘中学校・灘高等学校の国語教師だった橋本武さんは、教科書を一切使わず、中学3年間かけて、中勘助の『 銀の匙 』を読みこむ授業をされていました。

その橋本さんの著書 伝説の灘校教師が教える一生役立つ学ぶ力 』や『 奇跡の教室 』でも、「横道」について書かれています。

 

実際に、小説の中で登場した凧揚げや、百人一首ではかるた会を授業時間に行うなど、「横道」にそれることによって、子どもたちに学ぶ楽しみ、面白さを感じてほしいと願って、そのような常識にとらわれない授業を行ってきたわけです。

引用:『 伝説の灘校教師が教える一生役立つ学ぶ力 』p.2

 

 たとえば「ねずみ算」が出てきた際の解説文を、「正月にオスとメス2匹が12匹の子を生み、2月には親子いずれも12匹生み、12月になるとねずみの数は276億8257万4402匹になる」としたように、言葉そのものの意味をあえて言わないこともあります。
こうした横道授業の極めつけとも言えるのが、『銀の匙』前篇13章の文中に登場した「駄菓子」を「参考」という形で紹介し、皆で食べてみたということになるのでしょう。

このように「銀の匙研究ノート」には、とにかく子どもたちが進んで面白がり、また、横道にそれるような要素をふんだんに盛り込みました。

引用:『 伝説の灘校教師が教える一生役立つ学ぶ力 』p.65

 

「たとえば、急いで読み進めていったとして、君たちに何か残ると思いますか? なんにも残らない。私の授業は速さを競っているわけではありません。君たちに速読を教えようとも思っていない。それよりも、みんなが少しでもひっかかったところ、関心を持ったところから自分で横道にそれていってほしいと思っています。どんどん調べて行って自分の世界を深めてほしい。その時間をとって進めているつもりです」

引用:『 奇跡の教室 』p.140

 

カレーを作ろうとおもって、材料を買いに行って、

「レシピに書いてある『玉ねぎ大1コ』の ” 大 ” って、どれくらいやろなあ? 何グラムくらいのことなんやろ? 淡路島の玉ねぎと北海道の玉ねぎって、大きさもちがうんかな? 取り寄せてみよう! 行ってみよう!」

…こんな具合に、ひとつ横道にそれるたびに、「考える」がある。

 

「横道」は、「自分から」はじまっています

「横道」をふさいだら、「自分から」じゃなくなってしまう。

 

横道経験と人生の対応力は比例する

「横道にそれる」って、「自分で考える」ことの訓練にもなるんですよね。

「自分で考える」ができなかったら、自分を頼ることができなくなる。間違っていないか、ということに常に心をうばわれて、感じることや思うことや、疑問が葬られていく。

過程ではなく、成果にばかりとらわれてしまいます。

 

以前書いた、小学2年生の国語の教科書に載っていた『たんぽぽの ちえ』を読んだまりんさんが、たんぽぽの種はどこまで飛ぶの? どうやって飛ぶの? と疑問をもったことから、観察するためにひと月ほどキャンプに行った話↓↓ も、まさに「横道」です。

 

 

「自分で考える」があたりまえになっていたら、物事に無関心じゃなくなるし、視野がぐーんとひろがります。

「疑う」をもつこともできます。

保守的でしかいられない生きかたではなく(保守的が悪いんじゃなくて、つい保守的になってしまう生きかた)、物事をつくったりこわしたり、変化や不安定をおもしろがることができる。

逆境にも強くなる。

疑問を発見し、それを探究すること、解決力、改善力も発揮できます。

失敗をおそれずに、何度でも何度でもアタックできる。

 

横道経験は、こうしたさまざな事態への対応力も高まります。

なんてったって、先に用意された結論や答えがないからです。

 

「学ぶ」をどう学んできたのか?

前回、桜丘中学校・西郷孝彦校長の著書校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール: 定期テストも制服も、いじめも不登校もない!笑顔あふれる学び舎はこうしてつくられたについて書きましたが↓↓

 

この西郷孝彦さんの著書のあとに、橋本武さんの著書 伝説の灘校教師が教える一生役立つ学ぶ力 』や『 奇跡の教室 (こちらは文芸評論家の伊藤氏貴さんが、橋本さんの授業について書かれた本)を読むと、

「もっと教育」と「こどもからはじまる教育」がどういうものか、どういうことかは、より具体的に理解できるとおもいます。

 

たとえば伝説の灘校教師が教える一生役立つ学ぶ力の中で、「『あそぶ』と『まなぶ』」の話から、生徒たちに「『ぶ』がつく言葉」を集めさせた橋本先生。

ふつうなら(わたしたちなら)「どんな『◯◯ぶ』を思いついた?」と聞いてしまいそうなところを、橋本先生は(思いついたのは)「何を手がかりにしたのか」と尋ねています。(←この箇所、うわぁ〜って震えた!)

 

わたしたちには、いかに「もっと教育」が身にしみついているか。自分のもつ「もっと教育」と対面させてもらえます。

「頭のいい子」に育てたいならもちろんのこと、わたしたちがどれほど、こどもの頭のよさ、天才性を奪っているかがよくわかります。

自分のこれまでの人生でなにを学んできたのか、ではなく、「学ぶ」をどう学んできていたのか? が、くっきりと、あざやかに、思い知らされます。

 

正解を求めず考えることを楽しもう

「学ぶ」ことを、わたしたち大人の多くは学校や家庭で教わらず、学んできていません。

「学ぶ」を知らないから、「遊ぶ」もわからない(「遊ぶ」は「学ぶ」とは別もので、よくないこと、ご褒美やおまけって教えられてきている)

親になって、いざ子どもと遊ぼう!ってときにも、遊びをカギカッコにくくってしまって、遊びかたがわからなかったり、すごく疲れたりしてしまいます。

 

「学ぶ」は好奇心そのものだから、その好奇心にフタをされず、横道をふさがれなければ、こどもはいつでも学んでいる=遊んでいる

この「横道」にそれるこのことが「教育」なんです(次回くわしく書く予定)

あ〜今日もおもしろい1日だったな、と眠って、今日はあれしよー! と起きてくる。毎日、毎瞬がたのしい!

家庭で、親がこどもに教えていくことは、「正解」なんかじゃなく、「考えることのたのしさ」です

 

今日の本

伝説の灘校教師が教える 一生役立つ学ぶ力/橋本 武

すぐ役立つことは、すぐ役立たなくなる。もっと横道にそれてみよう…。
教え子は東大総長から県知事、作家の遠藤周作まで多士済々。
小説「銀の匙」1冊を3年間読み込み、東大合格日本一に導いた著者が、授業を通して、教え子たちに本当に伝えたかったことを語る。

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奇跡の教室 エチ先生と『銀の匙』の子どもたち/伊藤 氏貴

橋本武、現在100歳。戦後、公立校のすべり止めと見られていた灘中学で、文庫本『銀の匙』だけを3年間かけて読む授業を始める。

明治の虚弱な少年の成長物語を、横道にそれながら丁寧に追体験していく。五感や季節感を大切にしながら進められる橋本の授業は、生徒の興味でどこまでも脱線していき、子どもたちは自分や友人の“個性”に気づく。
橋本授業を受けられたのは30年間でわずか1000人。そして『銀の匙』授業3巡目の昭和43年卒業組は「私立初の東大合格者日本一」に。

実社会でも教科書なき道を切り拓いていく、「燃え尽きない一生学び続ける好奇心」を授けた授業を、橋本武自身と教え子たちへの1年間の及ぶ取材から解析。スロウリーディング・ブームの火付け役となった感動のノンフィクション。

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