桜丘中学校・西郷孝彦校長の著書『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』に学ぶ子どもからはじまる教育

am3こんにちは、

AI-am(アイアム)
よっぴー です。

 

校則はじめ、中学校にある「当たり前」をなくし、こどもたちの主体性や多様性を尊重し、生徒が「『自分』を取り戻す」ことを目標とした 東京世田谷区立桜丘中学校

校長・西郷孝彦さんの著書『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール: 定期テストも制服も、いじめも不登校もない!笑顔あふれる学び舎はこうしてつくられた』について書いています。

「こどもからはじまる教育」の手本のひとつになる本です。

校則ないテストない宿題やチャイムもない、あれもこれも「ない」桜丘中学校

校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール: 定期テストも制服も、いじめも不登校もない! 笑顔あふれる学び舎はこうしてつくられた』は、世田谷区立桜丘中学校長・西郷孝彦さんの著作です(校長を勤められていたのは2020年3月まで)

世田谷区立桜丘中学校は、「校則やチャイムがない学校」として、以前から話題になっていました。

 

校長である西郷孝彦さんが、ご自身の教育観・人生観を含め、世田谷区立桜丘中学校の生徒さんや先生がたがいかに変わっていったか、について書かれたこの本を読みました。

 

桜丘中学校には、多くの中学校に通常あるようなものがありません。

① 校則がない。
② 授業開始と終了のチャイムがない。
③ 中間や期末などの定期テストがない。
④ 宿題がない。
⑤ 服装・髪型の自由。
⑥ スマホ・タブレットの持ち込み自由。
⑦ 登校時間の自由。
⑧ 授業中に廊下で学習する自由。
⑨ 授業中に寝る自由。
⑩ 授業を「つまらない」と批判する自由。

(『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール: 定期テストも制服も、いじめも不登校もない!笑顔あふれる学び舎はこうしてつくられた』p.38より引用)(以下すべて同書より引用)

 

校則がないってことは、つまりは、拘束がないってことですね。

「こんなふうにトピックだけを羅列すると、「なんだ、これは!」と眉をひそめる人がいるかもしれませんね。」 と書かれてあるんだけれど、

校則がないことも、服装や髪型が自分たちの好みでいいことも、つまらない授業を「つまらない」と言うことも、、、どれもが「当然のこと(であるべき)やん」とおもう。

だからわたしは、やっとこういう学校が出てきてくれたんだ、ってうれしくなりました。

 

こどもからはじまる教育

桜丘中学校のような学校が、どんどん増えてほしいと切に願います。

でもそれは、

校則がない、
定期テストがない、
宿題がない
スマホを持ち込める、
授業中に寝られる、、、

といった、こどもたちからすれば一種「夢のような」、「完成形」の学校が出てきてほしいという意味ではなく、こどもたちの能動性を取り戻す学校が増えてほしい。

こどもたちの主体性や多様性を尊重できる校長、先生たちが増えてほしい。

 

やっとこういう学校が出てきてくれたんだ、ってうれしくなったのは、

こどもたち自ら「」、「ここはこうしたらいい」「こうしたい」と、問題を見つけて改善していく、「望む学校をみんなで創るんだ、ぼくたち・わたしたちはそれができるんだ」

先生たちもまた、「生徒はそれができるんだ、ぼくたち・わたしたち(先生)はそれを実現できるよう動くんだ」

ということを、西郷孝彦校長が、からだで伝えていかれたからです。こどもと添うた教育、こどもからはじまる教育 だったからです。

 

西郷孝彦さんは書かれています。

 生徒に「教える」のではなく、生徒から「教わる」のです。学校は、教員自身にとっても、「学びの場」なのです。
人生経験は私たち教員のほうが長いですが、だからといって生徒が教員に劣っているわけではありません。

(p.32より引用)

 

教員だから偉い。年上だから偉い。そんなことはあり得ないのです。子どもも大人も人として平等であるとともに、人権は守られなければなりません。あくまでひとりの対等な人間として、生徒と向き合う必要があります。

(p.46より引用)

 

この想いにブレがないんです。

西郷孝彦さんは桜丘中学校で10年間、校長として勤められたのだけど、ブレがなかった結果が、いまの「桜丘中学校」です。

 

生徒から意見が出ることはほとんどなく、仮に出たとしても、結局、実施できるかどうかは、教員の判断になってしまう。これでは、生徒も「意見を出してみよう」ということにはなりません。
私はこういう形式的な生徒総会が大嫌いです。
そこで私は、生徒たちに向かって約束しました。
「生徒総会で決まったことは、必ず実現させます」
生徒が総会で決めた「より楽しい学校生活の実現のためのアイデア」は、危険や触法性がない限り、実現に向けて教職員とともに努力することを誓ったのでした。
実際、現在の服装の自由化は、2013年に生徒総会で決まった「カジュアル・スタイル・デー」がベースになっています。本当に実現するんだとわかったことで、生徒総会は活発になりました。

(p.109より引用)

 

「定期テストをやめる」も、こどもたち(生徒総会)からの提案であり、議決されたのでした。

 

生徒が「自分」を取り戻す

桜丘中学校の目標は、生徒が「自分」を取り戻すこと

この目標は、悔しくって、切なくって、胸が痛みます。

中学1年生って12歳ですよね? 生まれてから12年の時点で「取り戻す」になっていることに…。

 

けれど、だからこそ、考えさせられます。

「生徒が『自分』を取り戻すこと」なんていう目標をもった中学校を、桜丘中学校以外にみなさんはご存知ですか? わたしは知りません。

よく見かけるのは、自立心を養う、とか、自律心を高める、知力・体力の錬成、心豊かな情操、品性を備える、思いやりをもつ、未来を切り拓く、国際社会に向けた人材を育てる、社会貢献できる生徒、etc……で、どれもが「ここからさらに」なんですよね。

小学校6年間を経てきて、さらなるステップアップ。こどもたち一人ひとりを見ていない、先生特有(学校教育特有)「もっと」教育です(もっとがんばりましょうね、次はもっとできるようになりましょうね、の「もっと」)

 

学校ペースで進んでいく時間のなかでは、立ち止まったり、振り返ったり、後戻りしたりができないんですよね。

というか正確には、「できない」ではなく、「させてもらえない」。

そんなことしようもんなら、先生や親に怒られます。人間否定されちゃいます(不登校もそうですね)

 

階段で自分を落っことしても、戻って拾いにいく自由がない

こどもは落っことしたことを知っています。けれどもおとなになるにつれ、落としてきたものを忘れ、やがて今日落としたものにも気づかなくなります。

「『自分』を取り戻す」ことをさせてもらえず、「もっと」教育が染みついたおとなになり、やがて親になり、今度はわが子を(取り戻す必要のない)「素」のままの人にしておくこともできなくなります。

 

本書の49ページに、こう書かれてあります。

生徒たちは、小学校6年間で、教員から指示されることに慣れきっています。「指示を守る子」が「いい子」とされてきました。「先生の考えとは違った自分の考えを主張する子」は、集団の規律を乱す子と否定されてきたのです。でもそうでしょうか?

(p.49より引用)

 

「子どもは管理するものであり、教員が指示を出すもの」
こういう固定概念が教員の中にあるのです。
実際、教員たち自身の多くも、そういう教育を受けてきました。悪しき学校文化です。

(p.44より引用)

 

いちばん大事なこととは?
それはただひとつ。
子どもたちが、幸せな3年間を送ること。それだけです。
とはいえ、染みついてしまったものは、なかなか変えられません。

(p.44より引用)

 

だからこそ、いまここで、「『自分』を取り戻す」。

 

教育の第一歩は目の前の生徒を「観察する」こと

ミュージシャンのトータス松本さんが、以前ラジオで話されていたことで、音楽も教育も同じなんだなぁとおもったことがあります。トータス松本さんは言うんですね。

(以下、わたしの解釈です)

むかしはレコードやCDを聴いてて「お、いまのコードなんや?」「どう弾いてんねん?」とおもうと、手さぐり・耳さぐりで、こうかな? ああかな? いやちゃうな、と、音をきいてジャカジャカやってた。

だけど YouTube でいとも簡単に手元が見えるようになったいま、こうかな・ああかな、がなくなって、すぐさま「答え」にたどりつく。

答えありきになってしまうと、耳ではなく、合ってるか合ってないか答えをみる。あれ、あかんね。耳を鈍らせ、その音は “まね” に過ぎなくなる、と。

 

本書の22ページには、こう書かれています。

私にとっての教育の第一歩は、「目の前の生徒を観察すること」です。

(p.22より引用)

 

サドベリースクール・デモクラティックスクールも、「どうやったら作れますか?」じゃないんですよね。

プラモデルの作り方の説明のようなマニュアルの工程はありません。ハウツーは耳と目をこどもから遠ざけます。

こどもたちが学校をつくるんです。

こどもたちとつくるんです(家庭もいっしょ!)

 

私にとっての教育の第一歩は、「目の前の生徒を観察すること」です。 のあと、こうつづきます。

観察していくと、それぞれの子の特性がわかってきます。充電器があることで、日頃、校長室に来ないような子たちも訪れるので、恰好の観察の場になるのです。この時の何気ないひと言や、友だち同士の様子の中に、たくさんの情報が含まれています。
困っているこの子のために何ができるか。
そうやって考えていくと、突然、アイデアが閃くこともあります。自然科学の多くは、観察によって法則を発見しましたが、それと同じことです。アイデアの源泉はすべて、目の前の子ども。子どもから発想をもらうのです。
目の前のこの子は、どういう子だろう?
どういうことを考えているのだろう?
何をしたいのか、何がつらいのか、何に悩んでいるのか。そうやって観察をひたすら続けていると、「こうしたらどうだろう?」というアイデアが生まれます。校則廃止も服装の自由化も、こうした観察が基本にあります。

(p.23より引用)

 

こどもと共に生きるには「素」の自分に戻る

西郷孝彦さんが就任されたころは、この桜丘中学校も、教員は生徒を力で押さえつける、まるで軍隊のような中学校だったそうです。

 

西郷孝彦さんは教員に、

「教員とはこうあるべきだ、教員である自分はこうであらねばならない、という鎧を脱ぎ捨て、本当の自分を出しなさい」
「『素』の自分でいなさい。いいところも悪いところも包み隠さず、ひとりの人間として、こどもと関わりなさい」

とアドバイスをくりかえしていきます。

 

教員が「素」になり、「素」のままこどもたちと接していくようになると、こどもたちも自分というものを素直に出して人と交流する、ということを学んでいく、と西郷孝彦さんは言います。

 

ほんと、そうだなとおもいます。

この西郷孝彦さんの教えは、親と子の関係においても、まるまる当てはまりますね(本書の第3章では、子育てを通して親と子の関係のことが述べられています)

 

一つずつ、目の前のこどもから教わり、
一つずつ、考えをめぐらしていく。

 

LGBTのことも書かれています。発達障害のことも、不登校のことも、いじめのことも、スマホのことも、中学生らしさについても、インクルーシブ教育のことも書かれています。

それら一つずつにやってくる問題と向き合い、どうしたらこの子は幸せになるんだろうかどうしたら「こどもと共に生きる」ができるんだろうかと、多様性を認め合える環境を構築されていくのです。

 

「桜丘中学校の545人の子どもたちが、幸せな3年間を送ることができたら ー それが私の唯一の願いであり、そうすることが私にとっての唯一のルールです。」と西郷孝彦さんは書かれます。

 

教育界を変えよう。そして世界を変えよう

こんな学校ができたらいいな、ではなく、コピー版でもなく、

《 こどもからはじまる教育 》をしていくおとな(校長)が、たくさん出てきてほしいです。

 

同じような考えを持たれている方は増えたけれど、それを実際に、10年という月日をかけて、現場で実践してこられたことを尊敬します。

「こういう考えがある」「やりたい」ではなく、「やってきた」人の言葉は、やっぱり響く。

これから公教育を変えていきたい人にとって、手本のひとつになる本だとおもいます。本に向き合うんじゃなくて、目の前のこども、他者に向き合うための参考書として。

 

西郷孝彦さんは、若い教員に「校長になれ」と言います。

たとえば桜丘中学校のように校則をなくそうと思っても、一教員ではなかなか難しい。校長でないと変えられないことは多いのです。校長でないなら、教育委員会でもいい。若い頃から授業や法律をきちんと勉強して、教育界を変えなさい。そして世界を変えなさい、と。

(p.149より引用)

 

変えていくんだ! という空気が流れている、吹いている学び舎。

こども自らが、「変える力」を開花させていることが希望となる。

 

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西郷孝彦さん×よっぴーまりんの対談 延期のお知らせ

2020年5月9日(土)福井市で開催予定だった、西郷孝彦さんと、わたしたちよっぴーまりんの対談トークライブは、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため延期となりました。

本書を読んでいて気になったこと、不登校について触れられている部分などでは捉えかたの違いもあったり、対談ではぜひお聞きしてみたいことがいくつもありました。

わたしたち自身、今回のイベントの延期はとてもとても残念だけれど、また時期をあらためて開催になりますので、そのときはぜひお越しいただけたらうれしいです。

5月9日に開催予定だったトークライブのチラシ

 

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