こんにちは、AI-amの星山まりんです。
「学校に行かなかったからできないこと」ってあるでしょうか。
さしたることはありません。
「学校に行かなかったらこうなる」という決まった話もありません。
「学校に行ったらこうなる」という結果が、きちんと学校に通ったひとたち全員に適用されないのとおなじように。
「学校に行かなくても今はいいと思うけれども、あとになって(子ども自身が)困るんじゃないか」
不登校の子どもさんがいる親御さんのなかには、「学校に行かなくても今はいいと思うけれども、あとになって子ども自身が困るんじゃないか」と考える方がたくさんいますね。
学校そのものとはこれまでの固定概念を切り離すことができても、学校生活のなかで得ること(主には勉強、社会性etc)や、「学校に行っていなかった」という事実が残ることをもは切り離すことができない、みたいな状態。
そういうとき、「学校に行かないことで今後は大変になるということをおしえてあげたほうがいい・頭に入れてあげたほうがいいのでは」とも考える。
とくに子どもが小学生くらいの年齢であったりすると、「子どもはまだそういうことがわかっていないから」と。
不登校にならなかった親は不登校になった子どもになにをおしえられるのか?
もし子どもにそんなことをおしえるとして、親はなにをおしえられるんでしょう。
「学校に行かなかったらこうなる」という決まった未来はないのに。
ましてや、たいていの親は、自分の経験談を話せるわけでもない。
話せるとすれば、マスコミから受け取ったイメージと、聞きかじった話、自分の不安がもとになってキャッチした情報や、よくて身内まわりの話、そんな程度であることが多いと思う。
学校に行って、勉強をしてきたひとが、「それらをしなかったときのこと」をどうして子どもにおしえられるのか?
説得力のなさと「個人差」
行ったことのない国の話をすることはできません。
できてもそれはテレビで観た景色のこと、読んだ本に書かれてあった歴史のこと、ニュースで聞いた治安のこと、等々、そんなくらいのものです。
たとえ相手にその国へ行ってほしくなかったとしても、行こうとしている相手を、相手の心を動かすことはむずかしい(現地にいるひとに「来ないほうがいいよ」と言われたら、ちゃんと話を聞きもするだろうと思う)。
106歳の女性が、1日に3本のドクターペッパーを飲んでいるけれどいたって健康で生きている、という話もありましたね。
野菜を肉を魚をバランスよく食べ、お砂糖も添加物もとらずにいたとしても、全員が必ず健康に100年以上を生きるとはかぎりません。
いわゆる、「個人差」というやつ。
ましてや子どもがのちにどうなるか、は口に入れるものが身体にどう影響するかよりもよほど、自分次第で結果を変えられるものです。
親はなにを知っているのか?
学校に行っていても友だちがいない子どもはいるし、ニートになる子どももいます。
学校に行っていなくても友だちがたくさんいる子どもはいるし、年収1000万円を得るようになる子どももいるし、サラリーマンになる子どももいる。もちろんニートになる場合もある。
いずれも「学校のおかげ/せい」ではなくて、自分次第(=家庭次第)です。
占い師の言うことでさえ、わたしたちは半信半疑で聞く。
「あそこに行くと人生が変わるよ」と大勢が言ったところで、行ったけど変わらないひともいる。
「子どもだからまだ知らないけれども、自分は知っている」って、いったいなにを知っているんだろう。
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