こんにちは。
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
自分とは異なるものを受け入れるのが、寛容。
今この子がなにを学ぼうとしているのか、学んだのか、わかっている父親と母親。その父と母から、こんなまなざしで みまもられていたらいいよね。
寛容の心あふれる8名の方々から教わった話です。
親の役割
寛容について書く前にご紹介したいコメントがあります。
このブログで書いている記事は、おおかた facebook にもシェアしていて、「 ゲーム禁止をする親が知っておくべき悪影響と、非民主的な人間を育ててしまう危険性 」の記事も facebook に載せました。 https://www.facebook.com/yo.akiko/posts/369636463404880
すると、何人かの方がシェアをしてくださったんですね。
その中からメッセージコメントを添えてシェアしてくださった佐伯和也さんと、やまむらひろのさんの言葉(文)を是非に読んでもらいたくて、ご紹介します。
まずは佐伯和也さん ↓
こちらは やまむらひろのさん ↓
ゲームがどうこうじゃなくて、親が寛容なのか、非寛容なのか。
親の寛容さと、
・子どもの主体性
・多様な価値観との共存力は比例する、と身を持って実感します。
も、
やまむらひろの さん(リンク先:Facebook)の
禁止やタブーを作ってしまうと、親が相談相手として役に立たなくなるよ。ゲーム、食べ物、性にまつわること、麻薬、賭け事…なんでも。
そして孤立にもつながる。
親だけじゃなくて、大人の役割は「世界は多様性に満ちている」と言動で示すこと。
も、
ねっ、まさに! ですよね。
寛容性は人に属するもの
むかーし、テント暮らしをしていた ときに出会った あるホームレスのおっちゃんがいて、
おっちゃんに聞いたんですね。
「寛容は不寛容に対しても寛容であるべきなのか?」
おっちゃんは答えてくれました。
「寛容は二重化したあれかこれかを超えたところに成り立つ」
???
このおっちゃんはきっと亀仙人か、
はたまた トトおじさん だったんだとおもう。笑。
でも記事を書きながら、
おっちゃんが言っていたことは、
差別せず。
馬鹿にせず。
人よ、寛(ゆるや)かなれ。
「ああ、こういうことだったのかなあ」と わかりかけてきたら……
わかってきただけで、実践はむずかしい。。。
寛容の心
兵庫県でおしごとをされたファミリーが、愛知県のご自宅に帰られる前に、昨日「お母さんのがっこう516」(大阪 ※現在は閉校しています)に立ち寄ってくださいました。
頭で考えるのではなくて、生身で感じてごらん、とKさんが言ってくれているよう。
寛容の心あふれる父と母に見守られて、
何にも怯えることなくKさんが、自分を育てています。
さらには、寛容の心あふれる 平田里菜さん (リンク先:Facebook)のお話しがでて……。
会いたくて……。(お会いしたことなかった)
個々異なって持つ感性を、自由に表現することを受容されている里菜さんに 今日 お会いしてきました!!
異文化同士の共存
「肯定しろ」ということではなく、どう受け入れて自分のものとするか。
どう付き合っていくのか。
完全な理解は出来なくても、どうやって否定しない自分を見いだすか。
…… そういったことを学ばさせてくれた8人の方々に、連日で会わせていただいた今日、昨日でした。
こころがよろこんだ〜〜!!!
あー、しあわせーーーって何回も言った。
寛容とは何か。それは人間愛の所有である。
我々はすべて弱さと過ちから作られているのだ。
我々の愚かさを許し合おう。
これが自然の第一の掟である。