コソボ紛争へのNATO空爆の実態とアメリカの正義(3)

旧ユーゴスラビア連邦国の解体過程で起きた戦い「ユーゴスラビア紛争」に関心をもつようになり、書籍や論文、記事を読んだり、実際に旧ユーゴスラビアの国々に行ったりもしてきました。

そんな自分がユーゴスラビア紛争において狂気的だとおもうことが3点あり、今回『ユーゴスラビア紛争における狂気』としてまとめました。

この記事では次の について書いています。

新しく台頭した民族主義者(ナショナリスト)の政治家たちが、領土拡大・領土分割による利権欲しさに生んだ「ジェノサイド(集団殺害)」。「民族主義」を煽りに煽って、隣人殺し、きょうだい殺しをさせた、その凄惨なやり方

アメリカの広告代理店が の狂気をさらに煽る「民族浄化」(ethnic cleansing)を作ったこと

アメリカ主導による「NATO空爆」の正義という不正義

ユーゴスラビア紛争における狂気

旧ユーゴスラビア誕生から崩壊、紛争までの概略(1)
旧ユーゴスラビア連邦の各共和国・各民族間の対立や混乱を抑えたヨシップ・ブロズ・チトー大統領のこと、チトーの死後にユーゴスラビア紛争がはじまるまでの概略

ユーゴ紛争の背景とボスニア紛争・民族浄化の狂気(2)|民族主義者の謀略
の民族主義者(ナショナリスト)の政治家たちの謀略、ボスニア紛争と民族浄化の狂気について

「民族浄化(ETHNIC CLEANSING)」の悍ましい真実

出典:FAMA Collection Survival Map 1992-1996

サラエボを包囲したセルビア人武装勢力のスナイパーが、ゲームかのようにサラエボ市民を狙撃する映像を、当時わたしはニュースで見ました。「民族浄化」という言葉もニュースで知りました。

そして「民族浄化だなんて…… セルビアはひどいことをするな」「セルビアは悪いな」と思ったのでした。でも、ちがった。仕掛けられたPR戦略にまんまとハマった……。


「民族浄化(ETHNIC CLEANSING)」という言葉は、ボスニア政府が、ボスニアの国際世論が有利になるように、アメリカの広告会社・ルーダー・フィン社に依頼して作らせたプロパガンダ用語 です。

ボスニア政府からの仕事を請けたルーダー・フィン社は、 セルビアのみが悪となるレッテルを貼りつけるため 、アメリカPR業界で得たノウハウを駆使し、 ナチスを連想するように 民族浄化」という用語を作り出しました。

  • 民族浄化(ETHNIC CLEANSING)=ホロコースト
  • セルビア=ナチス
  • ミロシェビッチ大統領=ヒトラー

このイメージを浸透させ、根づかせていく印象操作です。


ルーダー・フィン社が手掛けたPR戦は、 ボスニアを善玉 セルビアを悪玉 とするために「民族浄化」(や「強制収容所」)という用語をつかい、「民族浄化」という言葉を世界に広めました。

こうしてセルビアは、(セルビアだけが)「民族浄化をしている」と世界中から糾弾されることとなったのでした。セルビア悪玉論の出来上がりです。


セルビア人勢力の残虐行為を象徴する言葉となった「民族浄化」。戦いは、世論の同情を集めた国が勝ちといえます。イメージ戦略に長けた国が勝ち。ボスニア・ヘルツェゴビナの勝ちです。

このことが詳しく書かれた、高木徹『戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』という本があります。

世界中に衝撃を与え、セルビア非難に向かわせた「民族浄化」報道は、実はアメリカの凄腕PRマンの情報操作によるものだった。国際世論をつくり、誘導する情報戦の実態を圧倒的迫力で描き、講談社ノンフィクション賞・新潮ドキュメント賞をW受賞した傑作(Amazonより引用)。著者の高木徹さんはNHKディレクター(出版当時)

ユーゴ連邦国の解体の過程で起こった内戦・ユーゴ紛争(スロベニア紛争(十日間戦争)(1991年)、クロアチア紛争(1991年 – 1995年)、ボスニア紛争(1992年 – 1995年)、コソボ紛争(1996年 – 1999年)、マケドニア紛争(2001年))のことを知りたくてたくさんの本を読んだけれど、『戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』は衝撃をくらった。ドカンと食らった。「情報を制する国が勝つ」とはどういうことか。「偏向報道」や「捏造報道」はどのようなものか。「悪」はどう作られるのか。読んで(おいて)よかった一冊です。

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正義という不正義、アメリカ

ボスニア紛争は、政権を握った ボスニア クロアチア セルビア 三勢力の民族主義者たちが、民間人を利用して行った利権争い、領土紛争です。

けれどアメリカのPR会社・ルーダー・フィン社の戦略にマスメディアが乗っかり、セルビアを「悪」と仕立てあげることに成功するや、国際社会を味方につけた《「善」のボスニア》と、世界の悪者にされた《「悪」のセルビア》の戦い、そこに、「正義」のアメリカが介入 してきます。

セルビアを「悪」にすればするほどに都合がよいアメリカ。「悪」をつくると「正義」をつくれます。その正義を盾にした戦争ビジネスが可能になります。


圧倒的な軍事力を有するアメリカは、欧州諸国に強い圧力を掛けて「空爆と武器禁輸解除」政策の実行を押し、ボスニア政策形成の主導権を握り続けます。

武力行使ではなく政治交渉での解決を目指した国連事務総長特別代表・明石康さんの尽力や、セルビア側と調停活動に入ったロシアにより、いったんは空爆が中止されますが、空爆を行いたいアメリカNATOは、正義という不正義でもって他国の内政に武力でケリをつけ、セルビア全土に非道な空爆を行うのでした。
※空爆は、1995年4月〜1995年7月まで断続的に行われたあといったん中止され、再度1995年8月〜9月に大規模な空爆が実施されました。


NATOによる大規模空爆を経て、1995年12月、デイトン和平合意をもって戦闘は終息しました。

けれどもその和平合意は「民族の住み分け」であり、多極共存型の社会構築を促すものではなかった。分断と対立をかえって固定化され、国際機関による介入が続くボスニア・ヘルツェゴビナは現在も多くの問題が残されているといいます。

東方拡大を狙うアメリカのやり口

1999年のコソボ紛争におけるNATO空爆も、同じやり口です。

NATOの東方拡大を本格化させたビル・クリントン政権。

石油・天然ガスをめぐり、中東からカスピ海と東方拡大を狙うアメリカは、セルビアに、ユーゴ全土においてNATOの駐留、自由な軍事行動、IMF(国際通貨基金)による構造改革、犯罪の訴追や課税の免除など無理難題の和平案(”案” ではなく、一行たりとも修正には応じられない確定文書(「付属文書B」)を突きつけます(=ランブイエ交渉)。

ユーゴ全土を占領するに等しい「付属文書B」。コソボ側には甘い水で和平案を呑ませ、セルビア側にはとうてい呑めない「付属文書B」でもって、セルビア側のみ合意拒否という善玉・悪玉づくりの構図…。

セルビアの交渉拒絶を導くクリントン政権の謀策どおり、実質的にアメリカの植民地化を意味するこの要求をセルビア(ミロシェビッチ大統領)が拒否すると、和平交渉を拒否したセルビアは「悪」だ、これは懲罰だと「正義」をつくって、空爆を始めたのでした。(詳細は後述)

コソボ紛争は、どの国の戦い?

コソボ紛争は、ユーゴスラビア軍およびセルビア人勢力(=セルビア側)と、セルビアから独立を求めるアルバニア人戦闘組織KLA・コソボ解放軍(=コソボ側)の間で起こった紛争。

※コソボに住む多くの人たちは「コソボ人」ではなく、アルバニア人。
300年くらい前までのコソボにはセルビア人が多く住んでいたが、オスマントルコ帝国の支配下以降、アルバニア人が移り住むようになり、現在はアルバニア人が90%以上を占める。

正義は狂気に変わる

「我々は人道に対する罪を見過ごしてはならない」

これは、コソボへの空爆を強行実施したオルブライト国務長官が述べた言葉。
(クリントンとオルブライトをコソボに招いて、2019年空爆行為を祝う式典が行われたのでした。➡︎ 式典の写真


NATOの今後が危ぶまれていた当時、アメリカは、ユーゴ危機をNATOの存続と東欧への拡大のために利用したのでした。

盾にとった「正義」「人道」を正当化して、国連安保理決議のないまま、国連憲章も、国際法上の基本原則も、合衆国憲法も無視して、アメリカ政府にとって都合の悪い事実(「付属文書B」も!)はすべて隠蔽して、です(イラクやアフガニスタンへの空爆も同様手法)


正義が勝つのではなく、勝ったほうが正義になる。
そして、正義は、狂気に変わる。

元カナダ軍人のジャーナリストがコソボ紛争の実情を現地レポートした『アメリカの正義の裏側 コソヴォ紛争のその後』(スコット・タイラー著・佐原徹哉 訳)。紹介文に「同じ型を繰り返すアメリカの対外介入。欺瞞に満ちたその正当化論理を告発する。「国際貢献」の現実を考える際の格好の題材となる一冊。」とあるように、アメリカの戦争政策がいかなるものか知ることができる。

正義はどのようにしてつくられるのか、つくられた正義、善と悪がつくられる仕掛け、また、ジャーナリストの馬鹿さ加減なども知れる。本文のあとには関連年表と、先述の『ボスニア内戦 [国際社会と現代史]』の著者、佐原徹哉さんによる解説・「コソヴォ紛争とは何だったのか」が加えられている。これがいい。

アメリカの正義の裏側 コソヴォ紛争のその後

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NATO空爆の実態とアメリカの狂気

人道に対する罪を見過ごしてはならない?
だから人道的介入?

国際政治学者・定形衛さんは『旧ユーゴ紛争と平和構築の課題』でこう書かれています。

ボスニアでのNATOによる力の誇示をコソヴォでも再現し、NATOの存在意義を再度ヨーロッパに確認させることは、アメリカにとってきわめて魅力的に映った。時あたかもNATOは、1999年4月に創設50年を迎えようとしていたのである。
しかし、セルビアの領域内のコソヴォにNATOが武力攻撃する理由は現行のNATO条約のもとでは見出すことはできなかった。そこでアメリカは、NATOの「新戦略概念」である「非5条危機」の概念を生み出し、国際法に規定される内政不干渉原則を「人道的介入」の論理で乗り越えようとしたのであった。NATOの攻撃準備が整うなか、その前段階の平和的解決の場がパリ郊外ランブイエにおいてもたれた。そこでは、セルビアの和平案拒絶による交渉決裂を導くことによる武力行使への道が目論まれたのであった。

定形衛『旧ユーゴ紛争と平和構築の課題

78日間におよんだ空爆は、3万4000回の出撃におよび2000人以上の犠牲者をアルバニア人、セルビア人双方に出したが、1万5000フィートの上空からの攻撃によるNATO側の犠牲者はゼロであった。「人道的介入」による空爆は、アルバニア人の人道の救済というよりセルビアに対する懲罰的攻撃であったが、それ以上にヨーロッパにNATO軍の力、アメリカの紛争解決への貢献を訴える意味をもった。EU諸国が保有しない最新鋭兵器が投入されたのであった。

定形衛『旧ユーゴ紛争と平和構築の課題


ここで留意しておくことは、コソボ空爆における「人道的介入」の考え方は、NATO諸国すべてが同じではないということです。

NATO空爆を支持する立場や、NATO空爆は正戦だったと正当化する考えの国もあります。英国のブレア首相は、NATOの武力行使は正義の戦争であり正しい戦争だった、と主張しました。


それでも、(「正戦論」については割愛しますが)NATO空爆が「人道的介入」であったとする考え方は国際法上の反論が大きく、国連旧ユーゴ戦犯法廷などの調査が進むにつれ、空爆を正当化するために犠牲者数を偽り被害を過大評価したという指摘や、空爆の始まる4日前までコソボにいたOSCE(欧州安全保障協力機構)コソボ監視団員の証言にも、「当時のコソボは「人道」理由で戦争を始めることが正当化できるほど、ひどい状況ではなかった」とあります。
(参考文献:慶應義塾大学学術情報リポジトリ「三田学会雑誌」94卷4号『NATOによるコソボ空爆の実態と人道的介入をめぐる議論』著者/饗場和


当時、コソボにいて取材を続けた毎日新聞記者の笠原敏彦さんも、

クリントン大統領は、コソボで大量虐殺が行われていると非難し、オルブライト米国務長官は『民族浄化』という不気味な言葉で警鐘を鳴らす。……コソボ滞在中、外国人記者仲間と『虐殺は本当に起きているのか』ということがよく話題になった。……コソボでは現実の戦争の一方で、激しいプロパガンダ(宣伝)合戦が繰り広げられているからだ。誤解を恐れずに言えば、OSCE(全欧安保協力機構)が展開中のコソボで、アルバニア系住民が主張する組織的な虐殺が起きていたという印象を私はもてなかった。現場を数多く踏んだ外国人記者でも、コソボ解放軍(KLA)の兵士らの遺体は見ても、民間人の遺体を見たという人はあまりいなかった

と、1999年3月31日付の毎日新聞「記者の目」欄で、「性急な『正義』に疑問」という題で書かれています。
(出典:ユーゴ戦争 報道批判特集


また、このあと紹介する『悪者見参』の著者、木村元彦さんも当書でこう書かれています。

空爆開始においてクリントン大統領は、「コソボの罪なき人々を殺人鬼ミロシェビッチの手から守るため、われわれが躊躇することは許されない。(空爆は)悲劇を終わらせるための道義的義務だ」と演説していた。
コソボの現場を昨夏から2カ月おきに渡り歩いた者としては、『冗談じゃねーよ。サカりまくりのクソ白豚が』というのが正直な感想だ。
(…)
だからこそ、クリントンの言うあたかもコソボで日常的に虐殺が横行しているかのようなミエミエの喧伝には吐き気すら覚えた。(…)都市部における一方的な「虐殺」事件など、疑惑のラチャク村以外では見たことも聞いたこともなかった。

木村元彦『悪者見参』pp.202-204


なお、「人道的介入」は本来、ある国家内で住民が重大な人権侵害を受け、頻発する大量虐殺など進行中の人道危機にたいして、緊急的に止めに入り、被害者を救援することを意味するようです。

アメリカ覇権主義の横暴

NATO空爆の実態として、実のところ セルビアは、「付属文書B」を突きつけられる以前の和平案交渉の際では、おおむね賛成の姿勢を示していたのでした

けれどもそれでは空爆は行えない 。だから(上の定形衛さんの『旧ユーゴ紛争と平和構築の課題』に書かれてあるように)セルビアの和平案拒絶による交渉決裂を導くことによる武力行使への道が目論まれた のでした。

オルブライト米国務長官は、コソヴォにおける「高度の自治」(substantial autonomy)と「3年後における処遇評価」の提示によってアルバニア人側の了解が得られると考えていたが、アルバニア人側は、住民投票の即時実施による独立を主張して、協定拒絶という態度にでた。他方、セルビアは柔軟な対応を示し、外国軍隊のコソヴォ駐留は受諾できないが、おおむね賛成の姿勢を示した。こうして、セルビアへの空爆は延期されることになった。
交渉は仕切り直しされ、アメリカはアルバニア人側を説得するとともに、セルビア側にはユーゴ全土でのNATO軍の展開という、主権国家であれば到底呑むことのできない条件(付属文書B)を突きつけることでセルビアの交渉拒絶を導くことに成功したのである。

定形衛『旧ユーゴ紛争と平和構築の課題


なんとしても空爆を実行したいアメリカもさることながら、実行したいがゆえの謀略と、その謀略の対象が自国民(アメリカ国民)であることに狂気を感じます。

「空爆はやむをえない」「それほどあの国はひどいのだから」「あの独裁者は許してはならない」と思い込ませないといけないがため、クリントン大統領やオルブライト米国務長官は、テレビやラジオ、紙面を通して、連日連夜プロパガンダ用語をつかって、ジェノサイド(大量虐殺)が行なわれていると叫びます。

アメリカの広告会社・ルーダー・フィン社が、ナチスを連想するように「民族浄化」という用語をつくった、あのプロパガンダ用語です。  

  • 民族浄化(ETHNIC CLEANSING)=ホロコースト
  • セルビア=ナチス
  • ミロシェビッチ大統領=ヒトラー

ちなみに、この「民族浄化(ETHNIC CLEANSING)」のキャッチコピーは、アメリカ国内で広告大賞を受賞したそうです。


アメリカ国民の「ナチス」や「ヒトラー」、「ホロコースト」への鋭敏さを利用したのでしょう。ミロシェビッチ大統領のことを「あの独裁者が “和平” 合意を拒否したのだ!」「あいつはヒトラーだ!」と罵って、国連無視の空爆を正当化しました。

アメリカは、「『正義』『人道』のための戦争」と言ってコソボ空爆を正当化したけれど、現場である当のコソボは、先述のコソボ監視団員や毎日新聞記者の笠原敏彦さん、ジャーナリストの木村元彦さんたちの証言にもみるように、人道的破局は生じていなく、むしろ逆、 コソボにおける人道的破局は、空爆以前ではなく空爆開始後に大規模に生じた のでした。

武力介入という最終手段にいたらないで、政治解決を図るチャンスは何度もあったといいます。

悪者見参』には、ヘゲモニーを握る、さらなる覇権国家アメリカの横暴さが書かれています。
※ ピクシーは、セルビアの元サッカー選手・ドラガン・ストイコヴィッチの愛称

——ピクシーはイブラヒム・ルコバについてどう思う?
「僕は彼を平和的な指導者として評価するよ。彼の考えこそが重要なのだ」
非暴力でコソボ独立を掲げるコソボのガンジーこと、ルコバを評価する。決して独立を求めるアルバニア人に対して頑なに交渉を拒否しているわけではない。ルコバと話し合い、セルビアもアルバニア人と共存していく道を模索していくべきだと語る。
ところが、ランブイエの交渉において、西側の調整グループは、事もあろうにアルバニア側のテーブルにつかせるべき、本来「コソボの大統領」であったはずのそのルコバを、急遽副団長に格下げしてしまったのだ。団長に指名したのは何と、当のアメリカの特使ロバート・ゲルバード自身が1年前にテロリスト組織と認定していたUCKの指導者ハシム・タチだった。タチはまだ30歳代前半の若手。92年からドイツに逃げていた非合法活動家であり、現在のコソボの実情については全く無知なはずだった。後にロサンゼルス・タイムス紙がスッパ抜いたが、UCKとCIA(アメリカ中央情報局)との接近がこの短期間の間に急速に進んでいたのだった。
ユーゴ政府にすれば納得できるはずがない。
(…)
「NATOは紛争解決よりもとにかく空爆をしたかったのだ。だから合意されそうになると、とても飲めるはずがない条件を突きつけて破綻させた。最初から戦争が目的でテーブルにつかせたんだよ」

木村元彦『悪者見参』pp.226-228

「ラチャク事件」

コソボへのNATO空爆の引き金となった「ラチャク事件」。1999年1月15日、コソボのラチャク村で45名のアルバニア人の虐殺死体が発見されました。

が、翌16日に、KVM(NATOコソボ検証ミッション)のウォーカー団長は、虐殺行為がセルビア治安部隊によるものと断定します。国際公務員の職務にはこのような結論を出す権限はないそうです。にもかかわらず、調査をすることもなく、即座に「ジェノサイドが行われた」と発表したのでした


この事件について、『アメリカの正義の裏側 コソヴォ紛争のその後』で佐原徹哉さんはこう書かれています。

本書の著者が指摘しているように、ウォーカーの発言は極めていかがわしものであった。(…)
ウォーカーは何ゆえに、性急に虐殺事件を断定する必要があったのであろうか。この謎を解き明かす一つの手掛かりは、ラチャク事件の翌日に、ビル・クリントンが次のような発言を行っていることである。
「私は、満腔の怒りを込めて、ラチャク村で昨夜発生したセルビア治安部隊による民間人の虐殺を糾弾します。これは、コソヴォの人々を恐怖に陥れるために行われた意図的で無差別な殺人行為です。これによって、セルビア当局がNATOとの協定を破ったことは明らかです」。つまり、クリントンは事件の詳細が詳らかではない段階で、ウォーカー以上に拙速に、セルビア当局の犯行であったと速断していたのである。この段階では、また現在でも、ラチャク事件がユーゴ当局以外のもの、例えばセルビア人のナショナリスト民兵によって行われた可能性は否定できない。当時の状況を考えると、NATOの空爆を避けるために監視団を受け入れたセルビア当局が、あえて介入の口実となるような事件を起こすとは考えづらい。とするならば、下手人としてまず想定されるのが、政府の統制を外れた民間の武装組織の犯行という可能性であろう。その可能性を一切検討せずにセルビア当局の犯行と断定した理由として唯一考えられるのは、クリントンが述べている最後の一文、つまり、セルビア当局がNATOとの協定を破ったと結論したいがためであったと考えざるをえない。こう結論しないかぎり、NATOがユーゴに懲罰を加える根拠は案出できないからである。
 このように考えると、ウォーカーの拙速な断定は、クリントンのこの発言をフォローするためであったということになろう。イラクの大量破壊兵器をめぐる一連の出来事を経験した現在では、アメリカ政府関係者が平気で嘘をつくことは世界的な常識になるつつあるが、すでにその何年も前に、決定的な局面における欺瞞が常態化していたことに驚きを感じる人もいるかもしれない。しかし、ラチャク事件においても、こうした欺瞞が入念に準備されていた可能性は限りなく高いのである。

佐原徹哉『アメリカの正義の裏側 コソヴォ紛争のその後』pp.362-364

「付属文書B」によりセルビアの交渉拒絶を導き、空爆実行までの概要


・1998年10月5日、NATO空爆の脅しを背景に、停戦合意が成立
・1999年1月15日、ラチャク事件が起こり、さらなる「セルビア悪」の国際情勢がつくられる
・同年2月6日、パリ郊外のランブイエで会議がはじまる
・セルビアは空爆回避のため交渉に柔軟
・アメリカはランブイエ協議の最終日前夜(なんと19時になって!)「付属文書B」を突きつける
・同年3月24日、空爆を開始(78日間におよぶ)


NATO空爆が始まった1999年3月24日、米国クリントン大統領は、ユーゴへの攻撃が不可避となった事情をテレビ演説でこう説明していました。

「先月、我が国は、ロシアおよび同盟国とともに、コソヴォでの紛争を永遠に終わらせるための和平案を提案しました。コソヴォの指導者は、先週これに同意しました。彼らはこの案に満足していたわけでもないし、人々はいまだに抑圧されていますが、戦争よりも平和を選んだのです。一方、セルビアの指導者たちは、和平の条件を議論することすら拒否しました。コソヴォの人々は平和にイエスと言っているのに対して、セルビアは従来の約束すら反故にしてコソヴォ内外に四万の兵力を集結させ、総攻撃の準備を行っているのです」。

佐原徹哉『アメリカの正義の裏側 コソヴォ紛争のその後』p365

「ラチャク事件」は後に、国連の検死団によって、アルバニア側のでっち上げであったことが明らかにされました。

『悪者見参』

絶対的な悪者は生まれない。絶対的な悪者は作られるのだ。

木村元彦さん(ジャーナリスト/ ノンフィクションライター)の著書『悪者見参』に書かれている一文。当書を読むと、この一文の重みが肌にささります。

この本は「どこでもドア」みたいな本だからかな。本をひらくと(ドアをひらくと)、木村さんが現地に赴いて、旧ユーゴの全土を歩き、紛争現場を見たその地に住むひとがいるんです。直に触れたそのひとたちの思いがきけるんです。

そのひとたちの主は、ピクシーことドラガン・ストイコヴィッチさんをはじめとする、ユーゴ・サッカーの選手たち。

旧ユーゴスラビアサッカーをヨコ糸に、ユーゴ紛争・政治情勢をタテ糸にして織りこんだ一冊で、「そこにひと(庶民)がいる」を感じる木村元彦さんの一連のルポは、『誇り』を先頭に『終わらぬ「民族浄化」』『シムの言葉』『コソボ 苦闘する親米国家』と続きます。(サッカーのこと何も知らなくても読めます! )

『悪者見参』表紙には、祖国へのNATO空爆が始まった4日後、ヴィッセル神戸との公式戦に出場していたピクシー(名古屋グランパス所属ドラガン・ストイコヴィッチ)が得点をアシストしたあとジャージを脱ぎ、“NATO STOP STRIKES” と書いたTシャツ姿で意思を示したときの写真が載せられている。

悪者見参 ユーゴスラビアサッカー戦記 (集英社文庫)

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木村元彦
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ラチャク村での「虐殺『疑惑』事件」から2ヶ月あまり。信じられないスピードで決定したNATO空爆。 空爆は、アルバニア人の救済・保護のため だと言います。 けれどもアメリカNATOは、アルバニア人をも空から殺します。

NATO空爆は、空爆目標を軍事施設だけにするのではなく、民間施設をも狙い、アルバニア人が避難するために乗っていた旅客列車にも爆弾を投下します。

道路、橋梁、病院、テレビセンター、通信施設、工場、住居、市場、etc「ごめんなさい、遺憾です、その建物は『誤爆』だった」を繰り返しながら、民間施設をもじゃんじゃん意図的に破壊していきます。

NATOは『誤爆』を繰り返した。当初は釈明を繰り返していたが、この頃には「攻撃に誤爆はつき物だ。悪いのは残虐行為を止めないミロシェビッチ大統領だ」との開き直ったすり替えを始めていた。戦闘機のパイロットは肉眼で撃つわけではない。湾岸戦争時、ピンポイント爆撃をテレビ中継中に披露していたハイレベル技術が頻繁に誤作動するわけもなく、住民の恐怖感を煽る意図的な無差別爆撃であることは明白だった。
事実この頃、クラーク最高司令官が「撃つ1秒前に存在に気づいたので間に合わなかった」とテレビで誤爆理由を説明していた列車爆撃確認ビデオが、実は3倍速のスピードで放映されていたことが、後になって暴露された。
そんな中で生活を送る市民は、いつ当たるともしれない死の抽選番号を持たされているようなものだ。

木村元彦『悪者見参』pp.247-248

病院では被害にあった日に出産した妊婦がいたという。夫は妻子を同時に亡くしたのだ。
見ていて辛くなったのは建物から爆風で飛び出た品々から、おそらくはもう生きてはいない使用者のかつての生活の営みが想起されることだった。焼け焦げたベッドやソファ、高熱で捻れまがった台車、人形やぬいぐるみ、そして信じられるだろうか黒く炭化してしまったミニバスが、剥き出しのまま放置されていた。

木村元彦『悪者見参』p273

コソボの首都プリシュティナにて(2020年:筆者よっぴー撮影)
コソボのぺヤで入ったレストランにおいてあった資料から(2020年:筆者よっぴー撮影)
「誤爆」された駐ユーゴスラビア中国大使館。29人の死傷者を出した。(2007年:筆者よっぴー撮影)

アメリカNATOは、(軍事施設とはまったく関係のない)バルカン最大の複合化学コンビナートを何度も何度も猛攻撃して、アンモニアや水銀、VCM、腐食剤、EDCなどを流出させて環境を破壊したり(空爆後、国連環境調査団はろくに調査せず)、コソボに劣化ウラン弾を大量に打ち込みます。

その後、アメリカは劣化ウラン弾を除去することは一切やっていません。

コソボのアルバニア人のいのちを守るためではなかったのか?

劣化ウラン弾。原発から出た濃縮ウランの廃棄物で作られた国連で使用を禁止されている兵器だ。NATOはこの非人道的武器を約100万発ユーゴスラビアで使用したと言われている。
(…)
これが大量にコソボに撒かれているのだ。本来であれば即座に回収しなくては危険だが、KFORは無関心。(…)
かつて原発から出た放射能核廃棄物はカネを払って捨てていたものだった。それが現在は兵器転用することで軍事産業の利益機会につながる。そして正義の名のもとに他国に撃つ。つまり無料で捨てられる。

木村元彦『悪者見参』pp.282-284

※ KFOR … NATO主導の国際安全保障部隊

悪魔の核兵器

劣化ウラン弾やクラスター爆弾は、「悪魔の核兵器」といわれています。

劣化ウランとは核兵器の製造や原子力発電で使われる天然ウランを濃縮する過程で生じる放射性廃棄物で、(…)その放射能が半分になるまでの半減期は45億年です。劣化ウランは密度が高い物質で、極めて重いため、戦車の厚い装甲を破壊する砲弾や戦車の装甲などに利用されています。

広島市 「劣化ウラン弾はどういうものですか(FAQID-5801)」https://www.city.hiroshima.lg.jp/site/faq/9422.html

クラスター弾は、1つのロケット砲やミサイルや砲弾が飛行中、多数の小型爆弾が広範囲に飛び散る仕組みの兵器。

飛び散った小型爆弾は着弾と共に爆発する設計だが、相当数は不発で終わる。特に、濡れた地面や柔らかい地面に着弾した場合、不発となることがある。不発として残った小型爆弾は後日、誰かに拾われたり踏まれたりした際、その人を死傷させる危険がある。

軍事的には、地中に穴を掘った塹壕や要塞化した位置を拠点としている兵に対して、恐ろしいほど攻撃の効果が高い。クラスター弾がいったん落下すると、その一帯から不発弾を徹底的に撤去しない限り、その範囲内での移動は危険すぎるという結果をもたらす。

BBC NEWS JAPAN「クラスター弾とは何か、なぜアメリカはウクライナへ供与するのか」https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-66140907


非人道的として国際条約でも禁止された兵器です。

このような「悪魔の核兵器」、劣化ウラン弾やクラスター爆弾を多数使用し、多くの民間人を殺したNATO空爆。

NATO軍の介入によって平和が訪れた(かのように見える)コソボの地中にも多くの不発ウラン弾が埋まっており、地雷犠牲になっているのは、地雷撤去作業員、おとな、そして多くのこどもたち。また、クラスター爆弾は着弾後も約4割の不発弾が残り、触れると殺傷します。

非人道兵器を多数使用し、多くの民間人を殺している。これが国際平和貢献なのか。

ニュースにならないNATO空爆後のコソボ

1999年3月24日から3カ月にわたってコソボに投下されたNATO空爆は、セルビア治安部隊のコソボ撤収により終わった。戦争は終結し、マスメディアもコソボ報道を終えてしまった。

しかし、終結以降、今度はKLA(コソボ解放軍)に服従しないアルバニア人に対する人権侵害や、非アルバニア人に対する「民族浄化」がこれより始まったのでした。KLAによるセルビア人拉致誘拐殺害や臓器密売犯罪事件(「黄色い家」事件)が起きています。
(「黄色い家」事件について ➡︎ 木村元彦「コソボ独立から10年、拙速な承認は新たな火種をもたらしたhttps://imidas.jp/humarerumono/?article_id=l-80-005-18-03-g706

もとはテロリストと認定していた過激集団KLAと友軍関係を結ぶアメリカは、KLAを警察官僚などに起用したのでした。


アルバニア人の生命・人権擁護を理由に開始した、NATO空爆における軍事介入。その後のコソボでアメリカは、セルビア治安部隊をコソボから撤退させ、コソボを(法的にセルビアの主権から離れたわけではないが、事実上セルビアから切り離して)NATO支配下におき、 中東と欧州の狭間にあるコソボ内に「ボンドスティール基地」をつくって、親米の傀儡政権を誕生させました。

「ボンドスティール基地」は、中東からカスピ海までをカバーするバルカン半島最大規模の米軍基地です。

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Camp_Bondsteel
コソボ東部におかれている「ボンドスティール基地」。1999年、NATOによる空爆の跡地に建設された、バルカン半島最大規模の米軍基地。周囲14キロ、内部には300もの建物が立ち並ぶ3つの居住地区とショッピングセンター、教会、図書館、24時間営業のスポーツ施設、ヨーロッパ最高水準の病院まである。

自国の都合で世界の秩序を歪めたアメリカ。コソボに米軍基地をおき、親米の傀儡政権を誕生させたいがため、「正義」「人道」を振りかざした。

アメリカ率いるNATOはさらに進んでいま、ヨーロッパ大西洋地域だけではなく、アジア太平洋地域にまで従属を要求しています。

ユーゴスラビア紛争における狂気

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