こんにちは、AI-am(アイアム)の 星山まりん です。
いよいよ夏休みも明け、二学期がはじまりますね。
LINE@にも、中高生の方からたくさんのメッセージをいただきます。
行きたくない学校のことで悩んでいるような暇は、わたしたちにはない。
どうせ一回しか生きないのに、後悔しないことを選んでいる暇も、ない。
LINE@への「学校に行きたくない」
8月後半から、LINE@ にいただくメッセージの数がぐんと増えました。
そのほとんどが、親ではなく学校に通うご本人からのものです。
ここに挙げていないメッセージも、ほんとうにたくさんいただいています。
とにかく、わたしたちにメッセージをくれるひとに共通しているのは、「学校に行きたくない」ってこと。
大丈夫か、悪いことか、意味があるか、そんなことはわからない
「学校に行かなくても大丈夫」「不登校でも大丈夫」とは言いません。
それぞれの性格も環境も知らないし、ホントに大丈夫かどうかなんてわからないからです。
画面の向こうにいる誰かがなにをもって「大丈夫」と考えるひとなのかも、わたしにはわかりません(わたしはどうだったか、と聞かれたら、大丈夫だった、まったくもって問題なかった、と答えます)。
「学校に行けない/行かないのは悪いこと?」という質問にも、ひとによる、としかお答えできません。
違法でないことは確実だけど、悪いことだと思うひとにとっては悪いことだし、悪くないことだと思うひとにとっては悪いことじゃない(わたしは、悪いこととは一ミリも思っていません)。
「学校に行く意味なんてあるの?」「学校に行く意味がわからない」っていうのもありますね。
これだって、なにか意味を見出しているひとにとってはそれぞれに意味があるし、意味を見出せないひとにとっては意味がない、ただそれだけのことです。
他人の答えは、せいぜい参考程度にしかなりません。誰かとまったくおなじ人間として、まったくおなじ道を歩めるわけでもないし。
保証された答えはどこにもないし、他人に責任をとってもらうこともできないし、それなら自分の好きなようにするほうがよっぽどマシだと、わたしは思います。なにより、楽しいしね。
人間は一回しか生きないらしい
人間って、一回しか生きないんだそうです。
まあ時には輪廻転生したりもするかもしれませんが、ループもののように、もう一度おなじ人生をやりなおすわけじゃない。
わたしは、「一度しかない人生だから後悔しないように生きよう」というより、「どうせ一度しか生きないんだから悔いのないように生きよう」と考えるほうが好きです。誰でもそのうち死ぬし、なにをしたって一回は一回。
それなら、ほんとうに一切の喜びもない、死にたいほど苦しいことやつらいことをしているより、気持ちのいいことをしていたい。
実際、学校に行って楽しく生きているひとはたくさんいるし、学校に行かずに楽しく生きているひともたくさんいます。
学校に行くとか行かないとか、行けないとか、勉強をするとかしないとか、もう全然、なんでもいい。
なんでもいいし、どうでもいい。ただ、楽しくやりたい。
わたしは、わたしが楽しいと思うほうへいく。そうしたいからです。
こうしたい、って気持ちを、誰でも持っている。いまは埋もれていても。
毎日、食べたいものだって、飲みたいものだって、見たい景色だってあると思う。
それで、どうしたい?