こんにちは、
AI-am(アイアム)のよっぴーまりんです。
11月21日、長野県上田市にて開催されましたトークライブ、
「\コントロールしなくてもダイジョウブ/親子ではじめるヨコの関係づくり」のレポートです。
お越しくださったみなさん、ありがとうございました。
企画してくださった、寺西京子さん、ありがとうございました。
スタッフのみなさん、ありがとうございました。
もくじ
企画者・寺西 京子さんと「やり手」
トークライブ前日の夜、企画者の寺西 京子(くりもと きょうこ)さんとおしゃべりをしていて、ひょんなことから「『やり手』ってなんだ?」という話になりました。
なんでも、ご友人に、「まわりの人は、きょうこさんのことを『あの人はやり手ね』と言っているよー」と言われたとのこと。
きょうこさんがイメージされる「やり手」とは、仕事上(ビジネス)で “数字” をあげているビッグな人。成功者。だから、自分はやり手ではないわ〜って言われてたんですね。
翌朝(トークライブ当日)、会場で開演に向けテキパキと準備をするきょうこさんが、そこにいらっしゃいました。
その仕事ぶりは、紛れもなく「やり手」で、ふたりで言ってたんです。「きょうこさん、やり手だよねー」と。
ことばがイメージするものは、人それぞれ異なります。
きょうこさんがイメージされた「やり手」と、わたしたちが感じた「やり手」は、「はかれるものをはかる」のと、「はかれないものをはかる」のとの違いなんだろな、って思ったんです。
数字でははかれないものって、たくさんあるじゃないですか?
きょうこさんは、はかれないものをはかる(はかれる)人。
ライターのお仕事をされているきょうこさんは、日ごろから、「ことば」と触れられています。
きっと、自身とことばの距離をはかれるからなんだろうな、ご自分の名前に対する責任をもたれているんだなってかんじたんですね。
その真面目さと鋭さの振動が襟もとに伝わり(きょうこさんのこの聡さもまた、はかれないもの!)、わたしがわたしと対話するはじまりをくれる。
トークライブ前の読書会
今回のトークライブ開催にあたり、よっぴーまりんの共著本『小さな天才の育て方・育ち方-小・中・高に通わず大学へ行った話』『不登校になって伸びた7つの能力』の読書会を事前に開いてくださったきょうこさん。
きょうこさんや実行委員の方々、一般参加者のみなさんで、こうしてトークライブ前に読書会をしてくださるのは、とんでもなくうれしかったです。
読書会で出たことばたちを掲示してくださっていたー!↓↓
それは、貴重なお時間を…… ってだけじゃない。
学ぶことへの意欲や活気、精神の張り、向学心、、、
これらの意気が、情熱に乗って届けられる。このギフトは何グラム?
はかれないものをはかるやり手。
その手は、心の扉をノックしてくれるのでした。
長野県上田市でのおはなし
はかれないものをはかる
今回のトークライブのテーマ「\コントロールしなくてもダイジョウブ/ 親子ではじめるヨコの関係づくり」の “コントロールしなくても” も、まさに、はかれないものをどれだけはかれるか だと思うんですね。
わたしたち自身も生まれた瞬間からそうであったように、わが子も生まれおちるなりことばに囲まれ、ことばによって育てられます。
つまり、親は、ことばによって、こどもを育てるってこと。
ことばを用いて、こどもとの関係を育てていくということ。
その日々のなかで、癖になってしまっている、ものごとを数値化した物言いを、親はこどもにしてしまうんですよね(視点が「ものごと」をつくっていくのではなく、先に「ものごと」があるから数値化したことばではかる(示す)。
今回のトークライブでも「学校に行っていない間、なにをしてたか?」「どのように過ごしていたのか?」のご質問が多くありました(よっぴーまりんのトークライブはご質問を紙に書いてもらうので、質問の内容が重複します)。
>>> 毎日なにしてた? の関連記事
「不登校をしている間の過ごし方」について、小中高に通わなかったわたしが思うこと
数値化された評価(価値判断)でもって、こどもの言動や思考を褒めたり叱ったりしてしまいます。
そうやって、自分がされてきたやり方と同じやり方(権力を使った「力のバトン」)(←トークライブ中で話したこと^^)で言うことをきかし、自分の価値観を押しつけたり、すり込んだりして、タテの関係を樹立していきます。
ひとつ屋根の下、みんなのいろんなことばを、みんなのいろんな時間を積み重ねて、家族になるのに、です。
じゃあ、ヨコの関係になるには、どーすればいいの? は、オヤトコ学校 いい舟 で、みんなで勉強しあっています。
また、ヨコの関係になるためにも、まずはよりよい関係なんですね。
下で載せさせてもらっているきょうこさんの感想にもある
>「いい関係でいたい」というのが多くの大人の願いではないでしょうか。
この「いい関係でいたい」の勉強会は、明日11月28日(土)、11月29日(日)、オンラインにてあります!
お申し込みは、本日11月27日(金) 23:59 までオッケー♪ 間に合いまーす⭐︎
いただいたご質問
トークライブでは、「学校に行っていない間、なにをしてたか?」「どのように過ごしていたのか?」のほかに、
- 6歳のまりんが感じた学校への疑問あれこれ
- よっぴーの声はどうして変なの?
- こどもとどう関わってきたの?
- よっぴーのこども時代はどーだったの?
- 大学受験のこと
- 勉強のこと
- 友だちのこと
- やりたいこと、やりたくないことに隠れているものはなにか?
- 学ぶということ、学んでいるということ
- 教えるということ
- 問題解決能力について
- 創造性への流れ
- 考える力を起こしてあげるの!
- なぜ、不安ではなかったのか?
- こどもは自分で育つ力がある話
- 褒める・叱るについて
- 怒るについて
- 話し合うってことについて
- ヨコの関係について
- 「力のバトン」から「愛のバトン」へ
- etc
などなどのおはなしをさせていただきました。
ほかにも、たーーーくさんのご質問をいただき、ありがとうございました!
時間が足りず、すべてに答えられなくってごめんなさい。
いただいたご質問のなかにはこれまでにブログや本で書いたものもありますが、それでも何度もこれからも書いていきますので、読んでみてね:)
また、 LINE@ でもご質問にこたえさせてもらったりもしているので、ぜひぜひつながってください。
寺西 京子(くりもと きょうこ)さんのFacebookより
以下、くりもときょうこさんのFacebookの投稿 より。
【初企画の講演会、終了しました】
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「\コントロールしなくてもダイジョウブ/親子ではじめるヨコの関係づくり」
人生初企画の講演会、多くの人に助けられて、無事完走いたしました。
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参加してくださったみなさん、一緒に講演会をつくってくれた実行委員のみんな、そしてはるばる上田まで来てくれたよっぴーさん・まりんさんに、心からの感謝を。ほんとうに、ありがとうございました。
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長男が学校に行かなくなって、不登校からはじまって教育や学校の情報をいろいろ調べているときに出会ったのが、今回のスピーカーであるよっぴーさん・まりんさん母娘でした。
こんな人がいるんだ、という衝撃は大きくて、その後世界の見え方が変わっていくきっかけになりました。
わたしのまわりの人にも、同じような衝撃を味わってもらえるかもしれないと思って企画しました。
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講演会当日の11/21の一日前、11/20は「世界こどもの日」なのだそうです。1989年のこの日に、国連で「こどもの権利条約」が制定された記念日なのです。
まったくの偶然ですが、そういう記念日の翌日に大人とこどもの「ヨコの関係」を考える講演会ができたことは、感慨深くありました。
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ふたりのお話には、キーワードがあふれていました。.
◆自他の境界線(それは誰の課題か?)
◆何をしているかよりも、どういう気持ちでそれをやっているのか
◆親子であっても他人(まったく別の人であるという認識)
◆矢印をこどもに向けるのではなく、まず自分に向ける(こどもにイライラさせられる、ではなく、どうしてわたしはイライラするのだろう?)
◆“わたし”を主語にする
◆親から渡された権力のバトンを愛のバトンに.
今までもたくさんのことを発信してきたおふたりですが、煎じ詰めれば「ただの人間どうしとして、こどもとどんな関係でいたい?」に尽きるのではないかとわたしは感じました。
「いい関係でいたい」というのが多くの大人の願いではないでしょうか。
ヨコの関係も、対話も、自分も相手も尊重するということも、すべてそこに入ってくるのではないかと。
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生まれた時は白紙ではなく、すでに完成されている(アンパンマンと未完成なパン生地のたとえ)も我が意を得たりでした。
こどもを何も知らない未熟な存在とみるか、すでに完成している存在とみるかで、見えるものは大きく違ってくるはずです。
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そして、まずは自分を整えることの大切さも感じました。
言いたいことが言えている?
「自分が引っ込めば丸く収まるから」といろいろ我慢していない?
“わたし”を主語にして話ができている?
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まりんさん、よっぴーさんのようにはなれないという人もいるかもしれません。
まりんさん言うところの「誰も特別じゃないからこそ、誰もが特別」に、その答えがあるように思います。
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不登校という、「学校は行くもの」という強い社会規範の外に出ることは、道のない荒野を歩むことに似ているとかつてのわたしは感じました。
不登校はきっかけもその後たどる道もさまざまで、まさに自分だけのフロンティアをゆくことになるからです。
今は、学校に行こうが行きまいが、誰もが自分だけのフロンティアをゆくことに変わりはないと感じています。
その道は、誰が何と言おうと、自分だけのものです。
だから「誰も特別じゃないからこそ、誰もが特別」であり、尊いのだと思います。
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わたしの命が尽きるとき、わたしのうしろにはどんな道ができているのでしょうか。
こどもたちも、他の人たちも、どんな道をつくっていくのか。
極上のドラマを見るようにわくわくと、楽しみにしています。
AIをありがとう
お越しくださったみなさん、ありがとうございました。
わたしたちのはなしをきいてくださり、ありがとうございました。
本を買ってくださったみなさん、ありがとうございました。
おいしいお昼を、ありがとうございました。
スタッフのみなさん、ありがとうございました。
ふうちゃん、Hちゃん、お迎えをありがとうございました。
きょうこさん、ありがとうございました。