不登校になったら親にやってほしいことと、ジュースをこぼしたときにやってほしいことは同じ

ammこんにちは、AI-am(アイアム)星山まりん です。

先日、自宅でよっぴーとふたりで作業をしていたとき、テーブルに傷がついた。

木製のテーブルの上でカッターマットを回転させていたから、それが擦れて、傷になったらしい。

テーブルを大事にしているよっぴーにとってはそれは悲しいことで、わたしはもちろん怒ることも、注意することもなかったけど、これって、不登校でもなんでも、けっこうおなじことだと思う。

 

自分のぶんは自分で悩む

不登校は、子どものぶんまで親が悩みがちだけれども、そもそも子どもはちゃんと悩んでいる。

だって、もともと学校へ行っていたのは自分で、行かなく/行けなくなったのも自分で、行かない/行けない現状から先も続いていく日々だって、自分のもの
そんなことくらいわかっていて、自分のことだから、傷ついたり悲しんだり苦しんだり、悩んだりしている。

それに、行かない/行けない理由だって、自分ではわかっている。

なにか表面化している問題(人間関係とか、勉強とかいじめとか)が理由であっても、そんな問題はなにもないけどただ行きたくないって気持ちが理由であっても。

相手の感情に自分の感情をかぶせない

それを責めたてられたり、こちらのぶんまで勝手に悩まれても、困ってしまう。

子どもがうっかりコップを倒して好きなジュースをこぼすとき、(そのことに気づいていてなお)それに無関心でいる子なんていない。

自分だってじゅうぶん傷ついているのに怒られて、ますますつらくなる。

 

そもそも、やったことは「うっかりコップを倒してしまった」だけで、そんなのは年齢にかかわらず起こることだし、みんな友人やおなじ大人相手にならそうそう怒ったりしない。

おねしょもおなじで、やりたくてやったわけじゃないし、選べるなら自分だってやりたくないことを責められたときの行き場のなさなんて、味わいたくはないなと思う。

 

できることってたぶん、傷ついている本人の感情にこちらの感情をかぶせてしまわずにこちらのすることがあればする(ジュースを拭き取るとか、学校に行っていても行ってなくてもおなじごはんや変わらない会話があるとか)くらい。

テーブルの傷も不登校もジュースをこぼすことも、それを見ている側のすることは変わらないんだろうな、と思う。

 

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