こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
去る12月4日、福岡唐人町の書店「とらきつね」の代表・鳥羽和久さんとの対談で(>>> https://ai-am.net/191204ev-report)、
こどもさんが不登校をしているお母さんから、次のような↓ ご質問をいただきました。
[box class=”yellow_box” title=”質問”]
「うちの子、好きなことがないんですよね」
「どうやって好きなことを見つけたらいいでしょうか」
[/box]
このご質問に対する鳥羽さんのおこたえに敬服して謹聴していたよっぴー。
鳥羽さんご了承のもと、シェアさせていただきますー。
もくじ
鳥羽さんのこたえ
[box class=”yellow_box” title=”質問”]
「うちの子、好きなことがないんですよね」
「どうやって好きなことを見つけたらいいでしょうか」
[/box]
鳥羽さんは言います。
※ 赤の下線はわたしが引きました。
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/12/79020340_2358742327585722_2170755923998408704_n-のコピー-2.jpg” name=”鳥羽さん” type=”l”]
はじめに思い出していただきたいことは、子どもは幼い頃、好きなこと、夢中になることがきっとあったんです。
電車の模型を夢中になって手で動かしていたかもしれないし、人形をつかって家族ごっこをやっていたかもしれない。
それぞれの子どもがそれぞれの世界で自由に遊んでいた時代があり、そのころの子どもは、「好き」という言葉が不要なほどに、好きなものに囲まれていたのだと思います。
でも、子どもの「好き」はいつの間にか、大人の企てに絡み取られていきます。
親は小さい子どもに「好き?」と尋ねるでしょう。あれがよくないのです。
いつの間にか子どもは大人の「好き?」に応えようとする余りに、自分独自の「好き」を見失ってしまいます。
こうやって、親は何の悪気もなく、いつの間にか子どもの「好き」を奪い取り、殺してしまう。
これは多かれ少なかれ、どの親もやってしまうことかもしれません。
[/voice]
(※ 鳥羽さんの話は下段につづきます)
「好き?」は水を差す
会場でいただいたご質問にこたえられる鳥羽さんのおはなしを、「そうだな、そうだな」とおもいながら聞いてたんだけど、
赤で下線をひいた箇所 ↓↓
親は小さい子どもに「好き?」と尋ねるでしょう。あれがよくないのです。
いつの間にか子どもは大人の「好き?」に応えようとする余りに、自分独自の「好き」を見失ってしまいます。
これね、「なるほどなぁ〜」っておもったのでした。
たしかに! なんですよね。
評価や称賛といったフィルターを通して見る癖がついていると、こども(相手がおとなでも)が遊んでいるのを見て「好き?」ということばが出てくるだろうし、
「好き?」のあとには、評価や称賛がもれなく付いてくるだろうし。
評価や称賛といったフィルターがなければ、「好き?」もないもんな、って。
「好き?」は、水を差すんですね。
「好き」を奪い取られ、殺されていく場面の遭遇
なにごともアンテナが立つとおもしろいですよね。
ここ最近、その現象によく出遇います。
昨日もコンビニの前で、4・5歳ぐらいのこどもが、コンビニの入り口横につなげられていた子犬にふれていると、飼い主さんが店から出てきて、
で、飼い主さんがその子にこう言いました。
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2018/04/1071819e.png” name=”飼い主” type=”l”]犬、好きなの?[/voice]
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/12/1740876-のコピー-2-e1577242866891.jpg” name=”こども” type=”l”]うん[/voice]
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2018/04/1071819e.png” name=”飼い主” type=”l”]やさしい子ね[/voice]
はぁ?
バッティングセンターに行ったときは、「好き?」の逆バージョンと出遇いましたー。
お父さんとお母さんと3人のこどもたち。3人のこどもは上から男の子、女の子(Aちゃん)、男の子(Bくん)。
で、Aちゃんがお父さんに言います。
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/12/1495288-のコピー.jpg” name=”Aちゃん” type=”l”]Aちゃんもやりたいーーー![/voice]
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/12/14952881.jpg” name=”お父さん” type=”l”]おまえはやらんでええねん[/voice]
つづけてお父さんはBくんに言います。
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/12/14952881.jpg” name=”お父さん” type=”l”]Bくん、おまえはやれよ〜[/voice]
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/12/1495288.jpg” name=”Bくん” type=”l”]いやー![/voice]
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/12/14952881.jpg” name=”お父さん” type=”l”]好きじゃないのか? 男のくせに変やぞ。お兄ちゃん見てみろ?[/voice]
お父さんはこのあともナンジャカンジャ言われてましたが、
まさに、下の段↓↓に載せている鳥羽さんの話のつづきだな、とおもいました(青の下線箇所は特に)。
お兄ちゃんは、ほんとうに好きなのかな?
やりはじめた最初、「好き」だったのかな?
(わたしたちはバッティングをやりに来たのに、「好き」について何時間もしゃべりあうのでしたw。ここに鳥羽さんもいたらいいのに〜、なんて言いながら)
子どもはかつて「好き」なことに出会っていた
上段のつづき、鳥羽さんは話されます。
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2019/12/79020340_2358742327585722_2170755923998408704_n-のコピー-2.jpg” name=”鳥羽さん” type=”l”]
「うちの子の好きなことが見つからない」そう感じている親御さんは、きっと子どもが「好き」なことに出会っていないだけと思っていると思います。
でも、実はそうではなくて、子どもはかつて「好き」なことに出会っていたのに、それをいつの間にか失ってしまって、わからなくなっているんです。
だから、(親だけでなく)大人たちの企てによって子どもの「好き」が満開になる前に小さく閉じてしまったことを理解した上で、「好き」を再構築・アップデートしなければ、ほんらいの「好き」は芽生えません。
「好き」が見つからない子に、これはどう? これは? と目の前にいろんなものを出してみることは、幼いころその子に尋ねた「好き?」と同じことを繰り返しているだけなので、
子どもは「好き?」と尋ねられるたびに試されているような気分になって、余計に「好き」から遠ざかってしまいます。
[/voice]
大人はみんな子どもだった
[box class=”yellow_box” title=””]うちの子、好きなことがないんですよね[/box]
や、
[box class=”yellow_box” title=””]うちの子、好きなことが見つからないんですよね[/box]
に対して、
鳥羽さんと同じことをまりんさんも『不登校になって伸びた7つの能力』のなかで書いている箇所があるんですね。
下は↓↓、第2章の 遊んでいたから「学力」がついた の冒頭 p54〜p55 からの引用です。
子どもはみんな、自分の「好き」や「したいこと」を知っています。赤ちゃんだって、好きなもの、楽しいことの前で笑顔になったり、嫌いなものやいやなことを前にすると泣き出したり不機嫌になったりします。
けれど、自分の好きなものがわからない、したいことがない大人はたくさんいます。
大人はみんな子どもだった。つまり、生まれてこのかた「好きなこと」も「したいこと」もない人間だったわけじゃなく、いつの間にか見失っているのです。
見失った大人たちのほとんどは子どものころ、好きなこと、遊び、楽しいこと、そして親にとって無価値に感じられた行為を、叱られたり怒られたり、取り上げられたり、それよりももっと意味のある、役に立つことをしなさい、とねじ曲げられてきています。
大人が「そんな小さいこと」と思うことでも、日々のあらゆる瞬間に親が「将来」や「人の目」、「他者からの評価」のために、権力を用いたり、子どもの恐怖心を煽って誘導していくうち、子ども本人は自分の好きなこと、したいことを見失っていきます。
権力の威力の結果
子育てにしつけは要らない とおもっていたわたし(よっぴー)の場合は、こどもとヨコの関係になろうと努力していたのではなく、家族なんだから「本当」でありたかっただけでした。
いつも不思議におもうのは、自分より年上(高齢者)の方の気持ちはわかんないけど、「こども」の経験はあるじゃないですか。
こどもとおとなに根本的な違いはないことを知っているじゃないですか。
こどものからだは賢いことを知っているじゃないですか。
こどもの目は、親のこころのなかまで見えていることも。
だから、期待されていることを知っているんです。
思春期になるまでこの子は何の問題もなかったのに… という親さんは多いけれど、それは問題のないこどもを求めていた親の希望に、こどもがこたえていたにすぎません。
都度々に感じた怒りや憤り、それら自分の感情をしっかりと味わうことなく、自分の自己から切り離されたらどうなるのか…。
「とらきつね」での対談で、鳥羽さんが、好きなことを見つけてほしい親の元で、子どもが「好き」を見つけるのは至難の業とはなされるのを聞いていて、
以前 Twitter かなにかで見て、強烈に関心をよせた大島優子さんのことば(真実)を思い出したのでした。
AKB48のころの大島優子さんが言われていたこと ↓↓
[box class=”blue_box” title=””]
わたしがわたしになることは
わたしがわたしでない
わたしになることより
むずかしい
[/box]
※ オンラインスクール オヤトコ学校 いい舟 の「家庭でサドベリー」では、こどもを信じるとはどういうことかなどなどを、この次元から学んでいきます。>>> https://ai-am.net/iifune1127
期間限定特典は12月26日23:59まで!
どうやって好きなことを見つけたらいいか?
うちの子が好きなことがない理由や、好きなことが見つからない原因はわかった。
じゃあ、そのうえで、
[box class=”yellow_box” title=””]どうやって好きなことを見つけたらいいでしょうか[/box]
子どもの「好き」自体をもう一度アップデートし直す必要がある。と語られた鳥羽さんは、「好き」を再構築・アップデートしていく方法についてもこたえてくれたのでした。
その方法を丁寧に書いてくださっているほか、
備忘用にTwitterでつぶやかれ、ものすごい数の反響があったツイートも合わせて、鳥羽さんが運営されている寺子屋ブログ↓↓に全文掲載してくださっています。
『親は子どもの「好き」を殺してしまうかもしれない』 ← 必見です!