こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
みなさん、誕生日お祝いメッセージをありがとうございます!!
めちゃくちゃうれしいーーー!
ほんとうにありがとうございます。
中学生ぐらいのころから、健康志向のひとが見たら眉をひそめそうな乱暴な生き方をしてきてるのかもだけど、無茶できるスピリッツがまだあるから自分でも驚き!
でもそれは、こどもたちがいてるから(吾輩もいてるから!)。
こどもがまだ小さかったころ、「こどもとこうして楽しめるのも今のうち。こどもたちが大きくなったら一緒になにかをしたり、一緒にどっかに行ったりできなくなる」っておもってた。けどちがった。
まりんさんが16歳になってからは、まるでシェアハウスで暮らす仲間のように家族3人(まりん・息子・わたし)で暮らしているわが家(パートナー(こどもたちの父親)は気が向いたとき自由にやってくる)。
冷蔵庫も上段は息子、中段はまりん、下段はわたし。米と調味料は共有、、、なんかねほんとゲストハウスなの。
だけどこういう暮らし方ができるのは(しかも小さな家で!)、パートナー含め、家族みなが自律的に育ちあってきたからだろな、っておもう。
こどもたちは親の権力にわずらわされることなく、自由に生活する権利をもつという意味ね。食事も清潔の習慣もこども自身が求めるときになってはじめてなされる。
こどもだからって怒られたり、命令や指図されたりはしない。
自分のことは自分で決める。そこに「恐怖」は存在しないんです。
こどもたちがまだ小さかったころから、親がこどもを起こす、なんてのもない ↓↓↓
なんだかこんなふうに書くと、クールな家庭にみえるかもだけど、じっさいは、まーーーーーったくの逆! まったり一家です。
だれかが出かけるときは、たとえそれがコンビニであっても、ゴミすてであっても、それぞれがやりたいこと(仕事にしろ、勉強にしろ、映画鑑賞や読書など娯楽にしろ)をしている手をとめて玄関までお見送りにいく習慣が、いまもつづいていたりもします(帰宅したときの玄関までおむかえは状況によりいろいろ)。
家族のことは家族で話し合って決めます。
昨夜も、加湿器がこわれて緊急家族会議がひらかれた(家族会議をするとき必ずや吾輩も輪にはいってくる。オモシロイ)。
それから朝まで、たわいもなくおしゃべりがつづいた ↓↓↓
かれこれ24時間越え、いまもつづいている(笑)。
家族のありようは、まりんさんとの共著本でも書いています ↓↓↓
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出会えて よかった
まりんさんが11歳のときに、デモクラティックフィールドのらねこ(デモクラティックコミュニティ)を立ち上げてからこっち、ずっと一緒に仕事をしてきていて、
いまも、いまんとこ互いに飽きずにパートナーとして仕事を一緒にしていますが(まさか彼女とこんなふうになるとは思いもしなかった!)、よっぴーまりんのふたりはサイキョーでサイコーの相棒なんだな、とおもう。
なんかね、感じること、感じるときが、まったく同時なの。自分たちでも驚くくらい。
ふたりでハートがキャッチしたことをしてきて、たがいに、のらねこの頃より歳をとって、子育てや子育ちにおけるブログを発信していこうか? と言い出したのも同時でした。
ブログが想像だにしていなかったたくさんの人たちに読まれて、
出版の話がきたりもして(『小さな天才の育て方・育ち方』のセルバ出版以外から)、
たくさんの方が本を読んでくださり、
講演会等を開いてくださり、会場に足をはこんでくださり、
そうして出逢ってくださり、
つながってくださり、、、
いまにいたっているわけだけど、
こんなふたりのありよう・親と子の関係(ヨコの関係、自律きょういく、家庭でサドベリー)が、
あるひと組の親子のしあわせにつながっているなんて、とってもうれしくて(この時期、たくさんのお礼のメールをいただくんです。よっぴーまりんさんのおかげで…… っていう近況報告。この場をお借りしてほんとうにありがとうございます)。
こどもの頃のわたしが、羽をおどらせてよろこんでいます。
生まれてきてよかったっておもわせてくれて、こちらこそありがとうございます!
オヤトコ学校 いい舟
あたりまえなんだけど、歳を重ねるごとに経験値は増え、毎日、新しい学びがあって、とにかくおもしろい!
でもって、のこりの人生の生命を、欲している人とともに勉強していこうとおもうようになりました。
「家庭でサドベリー」を習う オヤトコ学校 いい舟。
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詳細はこちら >>> オンラインスクール「オヤトコ学校 いい舟」のご案内&ご参加について
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はじめは、月1回のペースではじめた。
だけど、〇〇は どうしたらできるようになりますか?
△△のときは どうしたらいいのですか?
□□で まちがっていませんか? など、
デモクラティック教育を家庭にとりこんでいくにあたり、表層だけのこたえが求められて、「そうじゃない」ってなった。
こどもとヨコの関係になることを望んでる人たちがいて、ほんとは何年も一緒に住めたらいいけど、みんな家庭でも仕事でも忙しくしているなかで、どうすれば伝えていけるんだろう、学んでいけるんだろう、とずっと考えてきて、
何度も何度も試行錯誤を重ねて、オンライン上のシステム管理も試行錯誤しながら、遂に昨年11月に開校にいたりました。
よっぴーまりんの関係だって一朝一夕でできあがったものではなくて、毎日の暮らしのなかの、ほんとうに小さなちいさな出来事をどんなふうに見ていくか、その積み重ねです。
その小さなちいさなところにスポットをあてながら、堅苦しく「対等とはなにか」「信頼とはなにか」と学んでいくのではなく、親と子が暮らしている家庭にある、どこにでもあるような出来事をテーマに学んでいます。
※ デモクラティックホームもまだあきらめていません〜
物件情報募集中です!
人生は自分が主人公のものがたり。
ものがたりは書き直すチャンスだらけ!
ご興味ある方は、のぞきにきてみてくださいね:)
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ロイド・ド・モース編著『子どもの歴史』
心理学、歴史学、人類学など専門領域の異なる十人の学者によって総合的に「子ども期」を研究し、歴史的にその内容を明らかにしようとした、ロイド・ド・モース編著『子どもの歴史』(The History of childhood, Lloyd deMause, 1974)によると、
こどもの歴史はほんの最近になって悪夢から目覚めたようなものであり、その歴史をさかのぼればさかのぼるほど、子育ての状態はひどいものであったとしています。
それを宮沢康人さんの解説に拠りながらまとめられたものが web上に載せられていました。
全文 >>> https://iss.ndl.go.jp/books/R000000024-I002945959-00
子育ての様相は歴史的順序として、まず
子殺し的 (Infanticidal) なものが見られ、ついで
子捨て的 (Abandoning)、
対立感情共存的 (Ambivalent)、
侵入的 (Intrusive)、
社会化的 (Socializing)、
助力的 (Helping) なものになって、今日に及んでいる。
子殺し的様相とは、ギリシアやローマの親たちが子どもに対する生殺与奪の権限をもち、自分の子どもを殺すことを公然と認められていた時代の子育ての特徴をさしている。
中世には、キリスト教的信仰の一般化により公然の子殺しは抑制され、捨てることによって命だけは救おうとする子捨て的様相が見られる。そのために養育院や孤児収容施設が設けられるようになる。
近世に入ると、愛情と憎しみの入り乱れた対立感情共存的な子育てがあらわれる。
ついで子どもの外面的しつけだけでなく、親が心の内面にまで入り込み干渉しようとする侵入的子育てが 18世紀にはすでに見られるようになる。
19世紀以降になると、親が社会の要請を自覚的に受け入れて子育てを行う社会化的様相が見られる。
そして現代では、子どもを自主的な主体として見なし、その独自の発達を援助する助力的子育てが行われているというのが、ド・モースの子育ての様相の進化である。
もっとも彼は以上の様相はそれぞれの時代の主要な特徴であって、ある時代に重層的にさまざまな様相が同時的に共存していることにも注意をうながしている。
こどもの感情、内なる声に敬意が払われ、内なる声に自由に従って生きることができる時代は、目の前まできてる!!
よっぴーまりん、これからも発信をつづけますんで、みなさんこれからもよろしくお願いします!