こんにちは、
AI-am(アイアム)の 星山まりん です。
うちには昔から、朝に「家族を起こす」という行為がありません。
母はわたしや兄を起こさないし、わたしも兄や母を起こさないし、兄も母やわたしを起こさない。
みんな、寝ているひとのことは、寝ているままにしておく。
もくじ
「親に起こしてもらえないから朝が起きられない」
「親が子どもを起こす」という行為がごくごくふつうに、どの家庭にも存在しているんだと、そのうち知りました。
そのときはそんなに違和感をもたなかったけれども、あとになって、つまり最近になって、その行為にだんだん違和感をもつようになった。
小中高に通っていなかったわたしが大学へ行くのは、小中高ときちんと12年間通ってきた同年代のひとと交流する、めずらしい機会でもありました。
それで、とある授業で、学生になってひとり暮らしをはじめた、いわゆる下宿生にアンケートをとる必要があって、そのなかで「下宿生活で困ったこと」をたずねたことがある。
いろんな回答があったんだけれど、意外に多かったのは「親に起こしてもらえないから、朝に起きられない」というやつ。
わたしはこれに「マジかぁ」と思って、でも、そりゃそうかも、とも思った。
「そんな歳まで子どもを起こしているの?」とか、「そんな歳まで親に起こしてもらってるの?」とか、そういうことではなくて。
生まれてから20年ちかく、(そもそもは頼んでもいないのに)朝にはかならず起こしてくれる相手がいたら、その相手がいなくなって自分で起きられないというのは、たしかにふしぎなことじゃないなと、はじめて気がついたんです。
起こさない理由、起こす理由
うちにこの行為がないことはごくあたりまえのことで、誰も意識的に「起こさないようにしている」わけじゃありません。
でも理由を見つけるのはかんたんで、なにかというと、「相手が起きようが起きなかろうが自分には関係がない」から。
朝、子どもは学校へ行くために起きるし、大人は仕事へ行く/はじめるために起きる。
起きなければ遅刻するわけで、それはいけないことだから、起こす(そんなところじゃないかと思う。合ってるだろうか?)。
でも、家族が学校や職場に遅刻しても、実際のところ、わたしはなんにも困らない。
わたしが怒られるわけではないし、わたしの評価や成績や給料が下がるわけでもない。
起こす理由は、どこにもない。
家のつくりの問題で、相手が活動しているとこちらが眠れないというのでもなければ、同居人の寝る時間や起きる時間は、自分にどんな影響があるだろう?
「仕事に遅刻して評価が下がって減給にでもなれば家計に影響があるから」とか。
でもそれってよっぽどひどい場合だろうし、だいいち本人が危機感に迫られてどうにかしそうなものですよね。
子どもは自分では起きられない?
大人どうしならともかく、子どもを起こすことについては、注意が必要だと思う。
「起きてもらう必要がある」とはっきりしているタイミングならよくても、慣習的に、常識的に?、起こすことについて。
その常識にまとわりつくものって、「子どもは自分では起きられない」みたいな(無)意識じゃないだろうか。
自分にとって必要があれば起きるし、必要がなければ起きようとは思わない。
子どもも大人もおなじだと思う。
まったく学校に行っていない状況で、子どもが「起きてくるのが遅い」「昼まで寝ている」ことは、よくある(昼夜逆転もよくある)。
そこにあるのは、「人は朝に起きるもの」「昼まで寝るのはだらしなくていけいないこと」みたいな固定概念。
あるいは、学校に行きたくないとか、不登校がちで、子どもが朝起きてこない、起きられない、という話も聞くけど、それも当然のことだと思う。
行きたくないのに、「行くべき時間」に、げんきに、すっきり、起きられるわけがない。
たのしみなこと、わくわくすることのためなら、睡眠時間なんて短くてもかまわないし、何時だって飛び起きられるけど、これも当然でしょう。
ちなみにうちにも例外はあって、それは「起こしてほしいと頼まれたとき」です。
そう言われれば、(かならず「起きてたらね」とか「おぼえてたらね」と付け加えつつ)快諾して、声をかける。
だから、「なんで起こしてくれなかったの」という言葉は、うちでは聞くことがありません。
今日の本
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新しい考え方を使って自分の人生を変えたいと望む人や、自分の心を突き動かすものを発見したいと願う人のために書かれた本です。
生まれ変わったかのように、ふたたび自分の夢を追いたい人、地平線のかなたから聞こえる汽笛に耳をすます人、汽車の線路に希望と可能性を見る人、そうした人たちのために本書は書かれました。
読者のみなさんが本書を通して自分のソースを発見し、人生の旅路をエンジョイされることを心より願っています。