こんにちは、
AI-am(アイアム)の
星山 海琳 です。
子どもが不登校をするようになって、本人やその親御さんが苦しむ理由ってなんでしょう?
最も大きな理由のひとつが、「学校は行かなければならない場所」という固定観念だとわたしは思っています。
学校は「行かなければいけない」の?
わたしは小・中・高校へ通いませんでした。
小学校1年生のうちはたまに通っていましたが、それからは、一回も学校の門をくぐっていません。
いまは現役の大学生で、ごく普通にアルバイトもします。12年間学校に通った子どもと並んだとき、ぱっと見てわかるような違いはありません。
違うのは、公の学校に通ったか通わなかったか、というだけ。わたしは、これまで自分がしてきた選択を、心からよかったと思っています。
「どうして学校に行かなければいけないのか?」と大人に尋ねる子ども、多いかもしれません。
あらためてよくよく考えてみると、過去の自分が行った理由や、行ったほうがいいと思う理由は説明できても、誰でも納得する、正しい「行かなければならない理由」は、あまり浮かんでこない。
なぜなら、「行かなければならない場所ではないから」だからだと、わたしは思っています。
義務教育の「義務」とは
誰でも知っている「義務教育」という言葉。でもこの「義務」が、誰に対する、どんな義務なのか? ということは普段あまり耳にしません。
「子どもが勉強をする(=学校へ行く)義務」だと思われがちですが、実際には「保護者が子どもの教育環境を用意する義務」です。
つまり、子どもに対する義務ではなくて、親に対する義務。しかも、教育を受ける義務ではなくて、子ども自身の教育を受ける権利を守る義務です。
教育の目的に関しても、『「我」の世界と「我々」の世界を生きることのできる人間を育てることが必要』という素晴らしい一文が文部科学省から出ています。
☆ 関連記事
>>> 「我」の世界と「我々」の世界を生きることのできる人間を育てることが必要
学校へ行くという行為そのものが重要なのではなくて、そんな人間に育つことが重要なんだ、ということですよね。
一条校としての小学校や中学校は、あくまでも、そのための方法の、数あるうちのひとつです。
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選択肢はたくさんある
わたしは、みんながそれぞれ自分に合った教育を選択をする・できるのがいちばんいいと思っています。どんな教育理念を持つ場で育つべきかは、ひとによって違う。
住む家や職業、着る服に食事のメニュー、塾や学習法だって、学校生活のこと以外には選択肢を持っているのに、学校を選ぶことは、頭のなかからすっぽり抜け落ちてしまいがちです。
公の学校のほかにも、学校(=学ぶ場所)はたくさんあります。大きなところも小さいところも、どんどん増えつづけています。
わたしが通っていたデモクラティック・スクール(サドベリースクール)もそのひとつです。
ほかにも、有名なものではシュタイナー、サマーヒル、モンテッソーリ、フレネ、etc…といったように、それぞれの教育理念に基づいた、さまざまな学校がつくられています。
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