こんにちは、AI-am(アイアム)の 吉田 晃子 です。
前回の記事、 不登校になれるということは自分が自分自身であるという意識が生きているから【不登校における不安・前編】 で、
子どもが不登校になると生じる不安、10個を書き出しました。
- 子どもが不登校になってしまい、不安です
- 不登校を許したらダメな子になりそうで不安です
- 子どもが不登校で、勉強が遅れないか不安です
- 子どもはこの春中3で、このまま不登校だと進学できるのか、進路のことが不安です
- 不登校のままだと社会に適応できなくなって、ひきこもりにならないか、不安です
- 子どもが不登校なので、将来、就職して自立できるか不安です
- 元気になるまで学校に行かないのは別にもういいんですが、昼夜逆転になってしまわないか、それが不安です
- 不登校になると友だちができなくなるのが不安です
- 子どもが学校に行かないで、家でずっとゲームばかりしていて不安です
- 子どもが学校に行くんです。それが不安で、不安で(← 最近よく受けるのがこの悩み)
親としては、ほかにも不安はあるかと思いますが、まあ主だったところをあげてみました。
もくじ
思い込みによる判定
上記の不安、どれも言えることなのですが、たとえば、「子どもが学校に行かないで、家でずっとゲームばかりしていて不安です」の場合、
ゲームというものに対して、ジャッジしてますよね。ゲームはよくないもの、と。
審判的な思考が染み込んでいるもんだから、まるで裁判官のように裁いてしまいます。
これ、ゲームじゃなくて、たとえば勉強だったら?
「子どもが学校に行かないで、家でずっと勉強ばかりしていて不安です」とは、ならないのではないでしょうか。
「ゲームするのはいいんですけど、目に悪いから、1日1時間と決めてるんです」と言われる親が、
「勉強するのはいいんですけど、目に悪いから、1日1時間と決めてるんです」とは言われないのと同じです。
未知なる世界への恐怖
[box class=”red_box” title=”question”]不安がやってくるときや、不安になるときというのはどんなときなんでしょう?[/box]
「知っているもの」には不安は生じません。
ゲームにしたって、歳の離れた2人の子どもがいるとして、上の子が一日中ゲームをしていて視力は落ちていないのなら、下の子どもへのゲームに対する視力の不安はもたないでしょう。
ちなみにゲームをしていたわが家の息子も視力は1.5のままです(お日様にあたらなくても背は伸びたし、昼夜逆転の暮らしから今では朝起きて働いています)。
自らが不登校をされてきた親御さんで、我が人生を受容されている方であれば、不登校における不安は抱かれないでしょう。
それって、不登校の先を知っているからですよね。
不登校はなんら問題ではないことを知っているから、上に揚げた10個の不安とも無縁です(「子どもが学校に行くことが不安」はあるかもだけど)。
恐るべき評価
[box class=”red_box” title=”question”]どうして不安になるんでしょう?[/box]
不安になるのは評価に支配されているからです。
だから結果を恐れてしまいます。
伝い歩きをはじめた赤ちゃんが、壁や物から手を離し、何度ドテンとなっても「歩く」ことを恐れないのは、(本能ではあるものの)歩くようになることを知っている大人から、評価を下されないからです。
- 「そんなことでどうするんだ!」
- 「何回(歩き方を)言ったらわかるんだ!」
- 「何度失敗したら気がすむんだ!」
- 「恥ずかしいと思わないのか!」
赤ちゃんに、こんなこと言いません。
どんなにイライラしているときでも、ドテンに対してこんなこと決して言いませんよね。
(「すごいね〜」「あんよ出来たね〜」「じょうず、じょうず」といった評価はあるけれど)
愛のまなざし
[box class=”red_box” title=”question”]なぜ言わないのか?[/box]
「歩くようになることを知っているから」ということとは別に、その奥にとても重要なシャドウがあります。
伝い歩きをはじめた赤ちゃんが、手を離すたびドテンと尻もちをついていても、自分(親)はまわりから批判されたり、笑われたりしないからです。
恐れる評価がありません。
だから、安心して、愛のまなざしを子どもに贈れます。
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シャドウ
この愛のまなざし、子どもが成人するまで、ずっと、ずっと、つづいたらいいよね。
おねしょしても、「7歳にもなっておねしょして、はずかしいと思わないのか!」なんて言われない。
20点のテストに、「そんなことでどうするんだ!」とは言われない。
逆上がりができないことに、「何回教えたらわかるんだ!」とも言われないの。
しかし評価に支配されているわたしたちは、すっかり歩くのが上手になったころから、愛のまなざしではなく、ジャッジの視線にかわっていきます。
子どもが笑われないように、ではなく、親としての自分が笑われないために。
社会の枠組みに基準を置き、その枠からはみ出ると受けるであろうバッシング(自分への評価、偏見や差別からくる世間の目や声や重圧)は、あまりにも怖くて。
不登校を問題として捉えることが問題
ある朝、「学校に行かない」と子どもが言ったとき(言われたとき)、
[voice icon=”https://ai-am.net/wp-content/uploads/2017/08/k1.png” name=”ママ” type=”l big”]あ、そうなの。じゃあ今日、Amazonから荷物くるから受け取っといて〜。助かるわあ〜。じゃあね、ママ行ってきますー♬[/voice]
なんて言われたら、子どもは学校に行かないことに対して、劣等感や罪悪感は生じないだろうなと思います。
こんなふうに言えたら、子どもに不安を担がせないで済むだろうなと思います。
しかしながら 自己離れを起こしているわたしたち大人 は、上にも書きましたが、審判的な思考が染み込んでいて、まるで裁判官のように裁いてしまいます。
「学校に行く = ◯」「学校に行かない = ×」ではないのにです。
不登校というのは、それを問題と捉える親の問題です。
不登校における親の不安を軽減していく方法 ①
不登校における親の不安を軽減していくために、いいなあと思う方法は、
同じ経験をした(している)、同じような価値観の人に、話を聞いてもらうことかな、と思います。
「話す」は「放す」。
気持ちを吐き出すことでずいぶんラクになります。
オンラインコミュニティ「お母さんのがっこう365」もおすすめです!
ここには、わたしたち( よっぴー 、 まりん )のほかにも、迷っていること、悩んでいること、愚痴りたいことを、おなじような感覚で聞いてくれる人がいます。
自分は「ひとりじゃない」と感じていられることが、たくさんの勇気をくれます。
共感しあえる人とつながることで心強くなれます。
不登校における親の不安を軽減していく方法 ②
ひとりでできる解消法もご紹介しますね。
不安や恐れていることを紙に書き出してみる方法です。
トップに載せた10個の主な不安の、一番目に書いた「子どもが不登校になってしまい、不安です」は漠然としていますよね。
- 子どもが不登校になってしまい、不安です
- 不登校を許したらダメな子になりそうで不安です
- 子どもが不登校で、勉強が遅れないか不安です
- 子どもはこの春中3で、このまま不登校だと進学できるのか、進路のことが不安です
- 不登校のままだと社会に適応できなくなって、ひきこもりにならないか、不安です
- 子どもが不登校なので、将来、就職して自立できるか不安です
- 元気になるまで学校に行かないのは別にもういいんですが、昼夜逆転になってしまわないか、それが不安です
- 不登校になると友だちができなくなるのが不安です
- 子どもが学校に行かないで、家でずっとゲームばかりしていて不安です
- 子どもが学校に行くんです。それが不安で、不安で(← 最近よく受けるのがこの悩み)
「子どもが不登校になってしまい、不安です」を、どういうことが不安なのか、、、書き出してみるのです。
そうすると、
[aside type=”boader”] 不登校を許したらダメな子になりそうで不安、、、
子どもが不登校で、勉強が遅れないか不安、、、
子どもはこの春中3で、このまま不登校だと進学できるのか、進路のことが不安、、[/aside]
と、不安の正体が少し見えてきます。
次に、より具体的に見ていけるよう、細かく、書き出していきます。
「不登校を許したらダメな子になりそうで不安、、、」であったなら、なにがダメだと思うのか、書き出します。
[aside type=”boader”]勉強が遅れること
ひきこもりになること
友だちができなくなること[/aside]
正直にです。
具体化されたら、今度はその一つひとつを、内観しつつ掘り下げて自身と対話していきます。
[aside type=”boader”]勉強が遅れるってどういうことか?
勉強が遅れたらどうなるのか?
そもそも勉強ってなんだ?[/aside]
といった具合にです。
一つひとつ出てきたものをさらに明確にしていくと、不安がなにとつながっていたのか、くっきりと見え出してきます。
その時、不安なままで安心することができています(不安はなくなるのではなくて)。
子どもはこの春中3で、このまま不登校だと進学できるのか、進路のことが不安、、、だったなら、
進学できるのかどうか、調べていけばいいのです。
[kanren postid=”5244″]
ちなみに中学のとき不登校でも進学はできます!
不安はギフト
思ったこと、感じたことをすべて書き出すとわかりますが、不安を明確にしていくと、不安は不安にすぎないことが肌でわかってきます。
はじめっからわかっていたことなんだけど、
起こりもしないことを想像して悩んでいるってことが、本当にわかってくる。そんなもの起こってから悩めばよい!!
そして敵対するのではなく、不安と寄り添えたとき、覚悟が生まれるのです。
どんな覚悟かって?
あなたはたくさんの不安を乗り越えられてきたでしょ?
だからね、今回も乗り越えられる!!
今日の本
不登校は文化の森の入口/渡辺 位
不登校とどう向き合えばいいのか、そして子どもを前にしてどうしたらいいのかといったことを解説するとともに、親に求められること、そして人が生きることとは何かを考えるためのヒントを伝える。