こんにちは、AI-am(アイアム)の 星山まりん です。
子育てに、どんな方針をお持ちでしょうか。
どんな方針であれ、それが、不安が募るばかりに誰かから借りてきた方針では、子どもの関係は弱まる一方です。
たいせつなのは、自分の価値観による、自分の方針であること。
子どもを惑わせる方針
子育てって、いろんな方針がありますよね。
親御さんのそれぞれの価値観にもとづいて、いろんな良し悪しがあります。
価値観が多様である以上、どんな方針がいい、とは一概には言えません。誰かにとっての好ましい方針が、誰かにとっては信じられないほど劣悪だったりする。
昔から、あそこは教育熱心だねとか、あそこは放任主義だから、とか言うし(「教育」って、「放任」ってなにか、ということはさておき)。
共通する正解がないからこそ、自分の価値観にそって生きれば、ひとと関わっていれば、それでいいと思う。
問題があると感じるのは、「自分の価値観」というやつをわりと頻繁に見失ったり、そもそも自分の価値観がじつは自分のものではなかったりして、子どもを惑わせるときです。
こんなときは、誰かの方針が役に立つ
誰かの方針が、即席の助けになるってことは、とても危険です。
なんらかの不安があるとき、自分の内部に答えを探しにいくのでなく、外部に答えや助けを求めること。それはもちろん、そういう教育や社会の中で育ってきたからで、必ずしも各個人のせいではないのですが。
外部の力はもちろん役に立ちます。
それは、そもそも自分の価値観というものを形成意していくための材料でもあるし、疑問や相談を、適した相手にたずねるとか。弟子入りなんていうのも、おなじことかもしれませんね。あるいは真反対にいる人の力も借りてみる。
けれど「方針」そのものをそっくり自分にコピペすることには問題があります。たとえば、よく悩みの種になる、ゲーム、Youtubeやタブレット、あるいはお菓子などの食生活について。
ゲームやYoutube、ジャンクフードやお菓子に夢中の子ども
ゲームや、Youtube、タブレットといったインターネット関連のことはほんとうに、現代では切っても切れない悩みですね。
最近になって普及したもので親自身の子ども時代で同じ経験はしてきていないし、ゲームといってもハードはどんどん新しくなっていくし、親である自分にとって未知のものに対して不信感を抱くのも、当然のことかもしれません。
食べものも、からだにいいものを食べてほしいと思っていても、子どもがジャンクフードやスナック、着色料盛りだくさんのお菓子を好むのでどうしたものだろう、ということがよくあります。
そしてたとえばこういうものを、どうしたらいいかわからないから、といろんな方針を取り入れると、子どもとしてはものすごく、困る。
方針は標識ではなく旗
止められなければずっとゲームをしているような子どもが、
「ゲームはよくないから禁止」
「ゲームしててもいいって聞いたから、好きなだけしていいよ」
「そんなにずっとやるなんて思わなかった、不安だからやっぱりダメ」
「やっぱり1日3時間ならいいよ」
みたいなことを繰り返されると、正直とても、迷惑なわけです。
(そもそも子どもがやっているゲームに口を出すっていうのは、わたしの価値観ではおかしなことなんですが、それはまた別の機会に。)
自分軸を育んでいこうとしていたり、学ぼうとしていたりするなかで、具体的な方針がずれることは、もちろん不思議じゃありません。
けれども、不安だけにもとづいて方針を取り入れていると、また湧き上がった不安に応じて、またまた別の方針を取り入れなければいけなくなる。
方針って、標識のようなものじゃなく、旗のようなものだと思うんです。
意志をいつでも確認できたり、視覚化されたり言語化されることで、より自分に力をくれるようなもの。
それって、借りものでは力にならない。
もちろん、旗があれば子どもにそれを押しつけてもいい、ということとは違っています。
でも、まずは、借りものではない自分がいないと、「自分そのもの」の子どもと向き合うこともできません。
自分の旗を見つけることは、自分軸をつよく育むということでもあって、子どもからの信頼を築くことでもあると思う(好まれるかどうかは、また別のはなし)。