こんにちは、AI-am(アイアム)の 吉田 晃子 です。
不登校のことを、まだ親(祖父母・義父母)に話せないでいます。
どのように言えばいいですか?
子どもが学校に行けなく/行かなくなったことを、親(祖父母・義父母)にどう伝えたらよいか、といったご質問をよくいただきます。
これ、「話したい」っておもってるんなら、すでに話してますよね?
「話さなければいけない」って思い込んでいるから、この悩みが生まれちゃうんじゃないのかな?
もくじ
子どもが不登校していることを親(祖父母・義父母)に言うべきか、いなか
LINE@ にも、
先に電話で話しておいたほうがいいですか?
話してわかってくれる母ではないので、言えばこちらが辛くなるのは目に見えてて。
よっぴーさんはどのように伝えたのですか?
などなど、帰省の時期でもあり、このご質問が多くとどきます。
この、親(祖父母・義父母)に言うってやつね、わたしの考えは、「べつに言わんでもええやん」です。
やりたくないこと、やらんでええやん。
と、
「もし言うんやったら、それって子どもからやん?」って思っています。
不登校は「そんなこと」だから、べつに話さなくてもいい
冒頭でも書いたように、「話したい」っておもっている事柄なら、すでに話してますよね?
「お母さん! たろうが歩くようになったのよ!」
「お母さん! たろうがトイレでうんちをしたのよ!」
「お母さん! たろうがお遊戯で主役のおひめさま役をするのよ!」
「お母さん! たろうが大学合格したわよ!」
などなどと。
こんなふうに、事あることに話したくて話している人だったら、なんて言おうか考えるまでもなく話していると思うんです。
「お母さん! たろうが学校に行かなくなったのよ!」と。
でもさ、これまでいちいち そんなこと 話さなかったのに、なんで学校に行っていないことだけは話さなきゃいけないの?
不登校なんて そんなこと 程度のものなんだから、 そんなこと いちいち話さなくってよくない?
親(祖父母・義父母)に本当のことを話すべきか、嘘ついておくか、、、 とあるけれど、「話さない」でいるだけで、
嘘ついてないしね!
嘘ついてもいいしね!
それにさ、「不登校」ってね、自然消滅するんだよ!
どういうことかっていうとね、
小中高と行かなくても、高校卒業する歳になると、「不登校」も終わります。
学校に行っていないのは親じゃなくて子どものほう
子ども自身からみて、「まあべつに僕/私のこと勝手に話されてもええけど…」っておもえることなら、親バカ寛してねってとこだけど、
そうじゃないんなら、「勝手に言うなよ」だよね。
LINE@ にも、「親が自分(子)のことを勝手に話す」(ブログやSNSに勝手に書く、も含む)といった内容のメッセージをいただきますが、これ、ほんと、そうおもう。
学校に行っていないことを祖父母に言うんなら、それ、子ども自身からですよね。子ども自身のことなんだから。
(祖父母に言う必要などかんじていない子どもは多いとおもいますが)、
そのうえで、子どもが「お母さんから言って」とあなたに頼んできて、「いいよ」と引き受けたのなら、そこではじめて、
(とはいったものの、、、)「わお! なんて言おうー」になる程度のことで。
わが家の場合
わが家は、わたしは言わず、子ども(息子)から言ってました。



てな感じでした。
ちなみに、小中高に行かなかった まりん さんが、大学には行ったことも言ってません。
どーでもいいことだから。
名言(笑)
親(祖父母・義父母)に言うのであれば、
子どもが学校に行っていないという事はあらたまって言うようなことではなくて、たわいないおしゃべりのなかで、さらりと言うぐらいでいいとおもうから、
たろうの学校生活はどうなの? 的な会話にでもなったときに、
「お母さん(祖母のこと)、いまね、たろうは学校に行ってなくて、そのことで大切なことを教えてもらえてる日々なの。しあわせな日々なの」とでも言っとけ、イットケ。
↑↑ わたしが言ったせりふであったりする^^
「Doing」や「Having」から「Being」への転換
オンラインコミュニティ「お母さんのがっこう365」 でも、この種の話はちょこちょこ出ます。
先日も、「どうしたらいいですか?」と尋ねるお母さんに、不登校をマイナスに捉えていないお母さんたちが、「うちはこうだったよ」、「わたしはこうしたよ」と経験談を話される。
でね、「お母さんのがっこう365」がおもしろいなあ、学びがあるなあ、と好いているのは、
ご相談されたお母さんが、みんなの経験談や意見をきかせてもらって、参考にしつつ、自分はどうするか考えて、、、の前に、
● なぜ自分は「どうしたらいいか?」というふうにおもったのか(なぜそのようの思考回路になるのか)
● なぜ「話さなきゃいけない」とおもっていたのか
視点がそこにいかれるとこなんです〜。
こたえ(やり方)だけを求めていたことに気づかれて、そもそも… の根本に目がいくようになる。
「Doing」や「Having」から「Being」への転換。
Being(自分の存在そのもの)が確固たるものになったとき、親になにを言われようと、わかってもらえなかろうと、親のことを愛し、ケラケラ笑っていられる自分になるんだと思います。
Beingに、価値をかんじることができるようになれば、より心は安定して、らくに生きることができるようになると思います。
そんなあなたの姿をみた親(祖父母・義父母)が、わかっていく、と思います。
そんなあなたの姿をみる子どもも、わかっていく、と思います。
「自分自身を大切にすること」を。
今日の本
あるがままに生きる/足立 幸子
累計25万部超えの大ロングセラー! 「波動」「直観」という生き方を人々に浸透させた必読書! 新しい時代の生き方のお手本になる1冊です。
波動をあげる三つの条件(本書より)
「《あらゆるこだわりを取り除く》ことですね。お金に対する執着、物に対する執着など、あらゆる〔こだわり〕をどんどん取り除いていくのです。欲は、全部捨てる必要はないと思います。これからの〔悟り〕は、昔のように欲を全部捨てて仙人のようになるのとは違うと思うのです。」
「《行動に移す》ということです。ただ頭で考えている方は、これからダメなのですね。知識があって頭で考えているだけの方は、これからどんどん時代の流れに置ていかれます。とにかく「行動に移したり、表現する」ということが、大変大事になってきます。形に表わしたり、言葉に出すことも表現しているわけですね。」
「《深い部分の自分(神我・真我・本当の自分)が望んでいることをやる》ことです。本当にやりたいことをしている人は、生き生きして輝いていますね。《深い部分の自分》が本当に望んでいることを見つけますと、波動はどんどんあがってしまいます。」