こんにちは、AI-am(アイアム)の吉田 晃子です。
2歳になった子どもをお持ちのお母さんから、
「将来、子どもがしあわせになるために、どんな子育てをしたらよいですか? 親がすべきことは何ですか?」
といったご質問を受けました。
今日はこれにこたえたいとおもいます。
もくじ
目指すのではなく、拡げる
結論から言うと、子どもが将来しあわせになるために必要なことは、しあわせを目指さないこと です。
目指す「しあわせ」があるということは、しあわせにカギ括弧がついているということですよね?
じゃあ、「」に入らなかったしあわせは、何ですか?
たとえば子どもが将来人並みな生活ができるだけの収入を得ること、それが「しあわせ」というのであれば、じゃあ、人並みな生活ができなければ しあわせではないのですか?
それをするだけの収入がなかったら「ふしあわせ」でしょうか?
そもそも人並みな生活ってなんなのですか?
過去の思考に支配される
”しあわせとは感じること” という「答え」をお持ちの方は多いかとおもいます。
にもかかわらず、古い記憶を長々とひきずることで、”感じる” を固体化させて、”しあわせ” を「」に入れちゃってませんか。
よく、家族そろって笑って晩ごはんを食べられることが「しあわせ」というお母さんがいたりするけれど、じゃあ、そろってなかったら? 笑ってなかったら? しあわせじゃないのでしょうか?
不登校もそうですね。
先に「しあわせ」を決めているから、いま、頬をなでる風の声に気づけない。
「将来、子どもがしあわせになるために、どんな子育てをしたらよいですか? 親がすべきことは何ですか?」
先日、 長谷川卓也 さん家におじゃまさせていただいていたときのことです。パートナーの 和子 さんと、1歳6ヶ月になるKさんも居ました。
三人が織り成す空間は、喜色の羽がひろがる、そんな気持ちになれる場所でした。
なんで羽がひろがる気持ちになれるのか?
丁寧に生きられているからだとおもいます。
心ならず君(家族それぞれ。「子どもが」「夫が」「妻が」)が飲み込んだ言葉さえもききとって、いまこの瞬間の君を感じ、そして自分を感じ、過ごされている。
おたがいの感覚を認め合われている。
定義を捨てる
正しいか正しくないか、ではなくて、おたがいが感じていることを大切にしあってる。
長谷川さんご家族にふれて、よい人生はよい人間関係で築かれるものなんだな、ということを目の当たりにしました。
役割を演じることはやめて(「親がすべきこと」ってふうに考えるからエゴが出る)、「いまに在る」ことに意識をおきましょう。
「いまに在る」こと
目をつぶって、自分に手をあててみてくれませんか?
そして、いま、なにを感じているか、ふれてみてください。
手、あてた?
ねえ、その手、
胸 だよね? (頭とか、太ももとかに置かないとおもう)
自分さんはそこにいます。
しあわせを感じながら生きていくために大切なことは、自分を知ることです。
将来、子どもにしあわせになってもらいたいのなら、いま、子どもがやっていることをじゃましないこと。
いま、子どもがやっていることに「」を付けて見ているということは、しあわせを狭めちゃっているってこと。
「いま ここ」。子どもがしあわせかどうか。
子どもの肯定感を育てるとか、自信をつけさす(?)とかは、このあとのこと!