こんにちは、AI-am(アイアム)の吉田 晃子です。
ここ最近 学校のことを書いていますが、わたしたちは行動基準や思想を暗にコントロールされておとなになりました。
だからノートのことも気づかない。⇒ 学校は何を教えたいのか?小学校のノート事情から見る学校教育
管理術の基本は対象を仕分けること
たとえば、なにかを走り書きしている紙切れが部屋中に散らばっていたら、なにがどこにあるのかわからない。
だからわかるように仕分けします。
これは「赤」のことを書いてる紙。
これは「青」のことを書いてる紙、こっちは「緑」ってふうに。
そしてバインザーなり、箱なりに、ザックリとまとめる。
選別されていく脅威
しかしザックリでは「赤」の中に、「ピンク」や、「オレンジ」も混ざります。
それでは困るので「ピンク」や、「オレンジ」は外に出します。
でも徹底して管理したのに(管理したから!)、色褪せたのか、ちかごろは「ピンクよりの赤」や、「オレンジよりの赤」が増えました。
それでは困るので「ピンクよりの赤」や、「オレンジよりの赤」も外に出します。
あくまで カラーコード #ff0000 の「赤」だけが ふつう なんです。
国家はあらゆる場で人間管理を重要な役割としている
こうして「赤」、つまりは「ふつう」が、どんどん、どんどん「赤」「赤」「赤」「赤」「赤」狭められている。
そのことに気づけないほどコントロールされているわたしたちおとなは、家庭においても子どもを「赤」にしつけます。
国家(学校)から分けられないように……。
解決ではなく、解放
そうじゃないんだ! って気づけるのは、わが子が「赤」になってくれないとき。
不登校だったり、発達障害だったり、、、もそうですよね。
子育てがしんどく感じるのは「解決」という言葉が頭にあるからかもしれないけれど、子育てに「解決」はありません。
仕分けること、選別されていくこと・選別すること、国家はあらゆる場で人間管理をしていること、コントロールされていること、、、
「解決」から「解放」されたとき、子育ては楽になる。おもしろくなる。
「いいかげん」「適当」(良い意味で)になれたとき、子育ては楽しくなる。
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混然一体
子どものポケットには、飴と石と蛙が共存する。
子どもたちはみんな知っています。
部屋中に散らばっているすべてが「ふつう」であることを。
これが にんげんであることを。
赤 青 緑 青 緑 赤 青 赤 緑 。。。。。
下記は、デモクラティックフィールドのらねこを立ち上げた星山海琳さんが12歳のときに書いた自己紹介の一部です。
[aside type=”normal”] 上と下、右と左、裏と表、善と悪、男と女、きれいなもの汚いもの、頭のいい人わるい人、といったふうにあらゆるものごとを切り分けてゆく世界ではなくて、 あたりまえに混然一体としているのが、自然な在りようなんだろうと思います。ゴミやアレやコレやがぜんぶ海に流れていくみたいに。溶かした絵の具が混ざりまくって濁った名前のつけようのない色が、どことなく奇跡的で意味があるかのようにみえるみたいに。
分別化されたところから見るとそれはちょっとおそろしいことだし、地に足がつかない感じがするかもしれませんが、でもそういう世界はほんとはすごく生きやすくて、優しくいられるんじゃないかなあ、と、思っています。[/aside]
子どもは現実のなかで自分で感じ、自分で考えます。
そしてそのことを邪魔されなかったら、自分で感じ、考えた結果を、行動にうつしていきます。