学校に行かない選択は「変わって」いないし、サドベリー教育は「ぶっ飛んで」もいない




こんにちは、AI-am(アイアム)星山海琳 です。

学校に行かない選択をはじめ、デモクラティックスクール・サドベリースクールの教育観や、わたしたち・よっぴーまりんが「いいな」と思っている親と子の関係のありようは、「変わって」います。同時に、まったく「変わって」いません。

「変わっている」を自称するなら、その構図をきちんと踏まえておかないと、自分の理想を貶めたり、子どもを損なってしまうこともあります。

ほんとに「変」だと感じているなら誰もその教育を選びはしないし、大切な子どもを「変」な場所に放り込むわけもありません。
自分たちの選択に予防線を張ったり、特権かのように振るまうよりも、「変わっている」を認知しながら泰然と、確信をもって、やっていきたい。



「変わってないけど、変わってる」を認識する

親をはじめとした大人はみんな、何かしらの教育観を採用しています。

そのなかで、たとえばデモクラティックスクール・サドベリースクールの教育観や、わたしたち、よっぴーまりんが「いいな」と思っている親と子のヨコの関係は、採用されている数を見てみれば、確かに少ない。

それを少数派とすることに抵抗感はまったくないし、事実そのものなのですが、「少ない」と「変わっている」は、同じものを指しているようにも見えて、実はまったく違います。まったく違うけど、でも、違わなくもない。

自分(たち)以外の誰かを「変わっている」と指すときはもちろん、でも自分(たち)を「変わっている」と指すときにはよりいっそう、そういう認識に足をつけておかないといけない、と思います。

 

教育の場は子どもを伴うものだから

一条校* やそれに付随する教育理念・方針とは異なった考え方をする学校や(家庭を含め)学びの場、居場所などがさまざまありますが、そこに関わる親・大人の一部はときどき、自分(たち)が自分(たち)の軸として選び採用した教育を「変わっている」と自称することがあります。

※一条校…学校教育法第一条で定められた学校(みんなが知っている一般的な学校)

 

どこの誰のと特定する気はないですし、そもそもありふれていることだから特定する必要もありません。「変わっている」はひとつの例で、表現はいろいろ見受けられます。「ちょっと変」「普通じゃない」「ぶっ飛んでる」「変態」「変人」「クレイジー」「逸脱」「(笑)」etc…。

これらはもちろん文脈によっては別の意味として使えるものですが、同様に、文脈によっては、どんな表現であれその意識が伝わってしまいます。

 

ひとまず「変わっている」に統一しておくと、教育に関する「変わっている」はあくまでも「現在の社会通念では」という前置きと、「そういう見方があるのは確かなんだけど」といった続きがあってはじめて許されることじゃないかと思うのです。

価値観がある程度は共通している間柄とか、言葉にしなくても伝わる場であれば、そういう文脈を必ずしも明確にする必要はありませんが。

 

個人が「わたしって変わってるから」とか言うのは別にいいし、「わたしの趣味ってちょっとヘンで」みたいな自惚れとも承認欲求の高まりとも各自で好きに付き合っていけばいいんですが、教育の場はかならず子どもやそれにあたる存在を伴うものだから、自分の理想とする教育を採用している以上、子どもに対してめちゃくちゃ失礼でしょう、と思う。

 

「変わっている」を自称している場合じゃない

ほんとに「変」だと感じるなら誰もその教育を選びはしないはずで、大切な子どもをまさか「変」な場所に放り込むわけもありません。

子ども自身の選択が親にとって「変なの」であることは往々にしてあるだろうけど、それはもちろんまったく別の話です。それに、しいていえばそんな場面のほうがまだ「変わっている」の表現に相応しいと思う(その評価が適切かどうかはまた別として)。

個々人の範囲なら、誰にもなにかしら人と変わった部分はあると言えるし、みんながそうなら、誰も変じゃないとすることもできます。

 

ようするに「変わっている」は他人や一般の存在があってはじめて成立するものだから、教育だって、他人の目や社会での立ち位置、関わりなどの話題でなければ、泰然と、確信をもって、続けていけばいいはずです。

ましてや、現状では「一般的」「普通」「常識」とされているもの(たとえば一条校、それに付随する教育)に対して新しい、あるいは古典的な、なにかしら反するような理念(たとえばデモクラティックスクール・サドベリースクール、シュタイナー、フレネのようなオルタナティブ教育や、一条校に通わない選択など)を掲げるなら、「変わっている」を自称している場合じゃないですよね。

こっちのほうが自然、どちらかを選ぶというならこっちのほうが断然正解、と、当たり前のような顔をしているのが、(広義の)教育者としては正しいスタンスだと思います。

 

もちろんそれはほかの教育(を理想とする人)を非難・軽視はたまた嘲笑することではありませんし、かといって「なんでもありだよね」とすることでもない。

社会との関係を見計らい、「変わっている」を認知しながら、自分の考えを疑いつつ固めていく作業だって、止めてはいけないんですが。

 

過不足のない正しさとともに

それは、自分(たち)のためではなく、子どものためです。

「変わっている」から受け入れられないかもしれないことへの恐れ。そこに予防線を張るのは、自分が理想としているはずのものを貶める行為ですし、なにより子どもに対して本当に失礼だし、信頼性を失うことでもあります。場合によっては有害でもあるでしょう。

(時には恐れが起点になって)特権意識に転がっちゃってるようなパターンもあると思います。自ら下位に回ることでなにもかも見下しにかかるという、なんともこじれた感じの……。まあ、誰でもやりがちですけどね。でも、せめて自己完結できることだけに留めておかないといけない。

誇りというと白々しくもありますけど、「変わっていない」他人のための過剰な自信も謙遜もなしに、過不足のない正しさとともにやっていけたらと思います。教育は、それを受ける人のためにあるものだから。

 

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ABOUTこの記事をかいた人

1996年生まれ、25歳。小・中・高へ通わず、デモクラティックスクールで育ち、一切の勉強もしてきませんでした。 17歳のとき、2ヶ月半で高卒認定試験に合格し、現役で大学へ入学。