こんにちは、
AI-am(アイアム)の
よっぴー です。
この記事は、よっぴーのFacebookからの転載です。
もくじ
表に出てこない社会問題の根源が暗闇のなかで巣食っているのはなぜか?
親ってなんやねん っておもう。
かつて こどもだった頃のこども(自分)を思うとそうおもう。
ほんまに、ほんまに、
なんで親って、親になったら、「こども」が見えへんようになるんやろか?
なんで(こどもが生まれ)目の前にわが子が居るようになったら、「親」になってまうんやろか?
「えっ、そんなん当然やん」だったり、「それが立場主義だよ」「親の責任だから」と言われそうやけど、
それで片付け、そうやって「こども」を葬ってしまうから、表に出てこない社会の問題の根源が、いつまでたっても暗闇のなかで巣食ってるんやないのかな?
「子育ては、たいへんで」…。
それで済むことではない。
LINE@ に届くこどもたちの声や、『 スポットライト 世紀のスクープ 』や『 トガニ―幼き瞳の告発 』などの本や映画を観ても、そうおもう。
※『スポットライト 世紀のスクープ』… カトリック教会の神父たちが犯していたこどもたちへの性暴力を暴いた実話。
※『トガニ 幼き瞳の告発』… 韓国の聴覚障害者学校で実際にあった性暴力事件の話。
(韓国ではこの映画を観た人々の行動によって国が動き、法律改正が行われた)(米国や韓国だけの話ではなく日本でも性的虐待は起きている)
親と子はヨコの関係がいい
“なんで、それをするようになったのか。”
考え辿っていくと、“なんで、親と子はヨコの関係がいいのか。” に辿りついた。
ここしばらく、「いい舟」第二章に入っていくにあたり、ゼロにもどって考えていたからやろぉな。
何千年と続いてきたタテの関係、従順の習慣を身につけさせるより、親と子の関係はヨコがいいのは、なんでか。
概念や大きな外枠のことを言ってるんじゃなくてね、暮らしのなかで日常茶飯事に起こる、たとえば、
- 歯を磨かないとか
- おもちゃを片付けないとか
- (ほかのことに気がいって)ごはんを食べないとか
- 靴を履くのに時間がかかるとか
- 頼んだ事や約束事を(こどもが)忘れるとか
- また、こどもが学校に行きたくないと言い出した、、、
- 行かなくなった、、、
- 朝、起きてこない、、、
- 勉強しない、、、
などなど、生すべてに通じる出来事。
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2019年11月27日(イイフネ)に開校した、まりんさんと “親子” で主宰している『 オヤトコがっこう「いい舟」 』。
最新分では第一章が終わり、今日から第二章に入ったんですね。
※ オヤトコがっこう「いい舟」は、入校を一期生とか二期生といったクラス分けにはせず、
「こどもとヨコの関係になりたい!」や「尊重するとか、尊敬するとか、信頼するとかを肌で知っていきたい!」「子育てを楽しみたい!」「話し合える家庭にしたい!」など、
わきでた好奇心、その旬ものを旬のうち味わえるよう、いつでも、思い立ったときに学べるシステムを取り入れました。
なので、今日から第二章にすすんでいかれるのは開校した11月27日に入られた方で、11月28日に入った人、今年になって入った人、昨日入った人、、順次イチからすすんでいきます。
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ヨコの関係でないと愛しあえない
ヨコじゃなきゃあ、愛しあえないんだよね。
タテでやってるあらゆる行為は、愛なんかじゃないんだよね。
こどもの声(意見や感情)が、家庭でさえ無視されていたら、
こどもは、語る場がない。
わたしたちが戦わなければならないのは、世の中を変えるためではなく、世の中が自分を変えられないようにするためだ
トップ画像の言葉、
[box class=”yellow_box” title=”映画『トガニ 幼き瞳の告発』より” type=”simple”]わたしたちが戦わなければならないのは、世の中を変えるためではなく、
世の中が自分を変えられないようにするためだ
[/box]
は、映画『トガニ 幼き瞳の告発』でのセリフです。
マハトマ・ガンジーの言葉、
『あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。』
を、映画『トガニ 幼き瞳の告発』でも言われている。
『トガニ 幼き瞳の告発』の原作を日本語翻訳されたのは、拉致被害者の蓮池薫さん。
蓮池さんは、映画のパンフレットの中で、次のように書かれています。
「私たちが戦わなければならないのは、世の中を変えるためではなく、世の中が自分を変えられないようにするためだ」この映画の最大のメッセージだ。厳しい現実を渡っていくために、人々は自分の気がつかないうちに、(もしくは意識的に)悪を悪として否定する決然さを失い、社会的強者一人と弱者一人の人権を同じ重さとして感じない人間に変わっていく。その戦いは、特別な人間たちだけのものではなく、「変わりたくない」「良心を守りたい」と思う、平凡な人たちのものであるべきだ。一人でも多くの人が間違っていることは間違っていると声をあげ、不条理に怒りをぶつける社会を取り戻そうと、と映画は呼び掛けているのだ。いろいろなほころびから人間の動物的本性が目に余るほどに露呈している今の日本にとって、まさに適切なメッセージではないだろうか。自分と社会とのかかわりを真摯に考えさせられる映画だ。
抗っていたい。
なお、本のほうがリアルです。
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『スポットライト 世紀のスクープ』。
カトリック教会が組織ぐるみで隠蔽してきたこどもたちへの性犯罪。
(映画は、Amazon Primeビデオでも観ることができます → 『スポットライト 世紀のスクープ 』)
映画は「取材の様子」を描き、こちらの本↓ では、膨大な調査内容をまとめています。映画に描かれなかった加害者、被害者の多さに絶句する…。
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