こんにちは、AI-am(アイアム)の 星山 海琳 です。
子どもに「将来、何になりたい?」と聞く。
知り合ったひとに「何をされてるひとなんですか?」と聞く。
それは子どもの可能性や想像力を狭めていくことにほかならない。
もくじ
わたしたちはいつか《 何か 》になる?
「(将来)何になりたい?」という質問は、子どもにだけ向けられる質問のなかでもとりわけ頻繁に起こる。
そして、なりたいものや将来の夢といった質問はもちろん、
絵が好きな子には「画家になるかもね〜」と言うし、サッカーがうまい子には「サッカー選手になれるんじゃない?」と言う。
多くの大人は、ほとんどの場合べつに彼らがほんとうにその職に就くかもと思って言っているわけではなくて、ようするに「それぐらいすごいね」という、褒め言葉のひとつにすぎない(そんな「褒め」ってどうよ、という話は、また)。
そんな日々で、わたしたちはごくごく小さいうちから、「いつか《 何か 》になる」という考えかたをしっかりと握らされていく。
大人たちにとっての《 何か 》は職業のなまえにほかならないということも、じわじわと理解していく。
職業でものを語っていたら、あたらしい仕事は生まれない
よくある、なりたいものランキング、みたいなやつ。
時代ごとの変化が顕著だっていいますよね。
移り変わりもそうだし、これまでにはなかった職業がランクインしていたり。
あれって、ほんとは職業名じゃなくたっていいわけじゃないですか。
大人が職業でものを語るから、子どもだって「どんな職業に就くか」を考えるようになる。
いろんな肩書きが増えて、廃れて、変わって、増えてゆく時代の流れのなかで、いま現存する、知っている職業一覧から選ばせているようじゃ、子どもの可能性、豊かさ、はてしなさ、想像力は、狭められていくいっぽうだと思う。
少なくとも、あたらしい仕事なんて生まれやしない。
現にわたしたちは十代になると、自分は《 何に 》なろうかと思い悩む。
職業がその人間を表すんだって教えているようなものだ。
もちろん職業による傾向はあるけれど、人間はそれひとつでは表せない。
「よくある職業」では、とくに、わからない。
何をしているひとか、ではなく
初対面のひとや……あるいは誰かから誰かの話を聞いているとき、「何をしてるひとなの?」って聞くことがあるじゃないですか、わたしたちは。
それで、医者や弁護士だと聞くと、ははぁ、と漏らし、土方や運送屋だと聞くと、あ、そう……と話が終わる。肩書きで分類をする。そーいうひとね、と。
そんな場面は、いくつもある。
職業でひとを捉えるのって、確かにわかりやすいんだけど、でもそれをわかりやすいと思っていたら、わたしの、出逢った目の前にいる誰かをみる力、感じる力は、どんどん錆びていく。
《 何か 》になるまでもなく、というか《 何か 》になったところで、それは洋服や制服にすぎないし。
いいなと思った誰かでさえ、装いを着替えたら誰だかわかんなくなってしまう。
何をしているひとか、ではなく、どんなひとか、を、みていたい。
そうでありたい、と、思う。
「何になりたい?」という質問、子どもの可能性や想像力をものすごく狭めている、と思うんだよな。例外はあるけど、多くの子どもは「職業名」を求められていることを知っているし、それに応えようとするし、いま現存する職業から選ぼうとする。
— 星山海琳 @ 小中高通わずに大学へ (@aiam_marin) 2019年2月19日
で、「何か」になる年齢になったわたしたちも、職業に、内容や個人ではなくて肩書きに、とらわれたまま生きていく。自分に対しても、ほかの誰かに対しても。「何をされてる方なんですか」とか言って。
— 星山海琳 @ 小中高通わずに大学へ (@aiam_marin) 2019年2月19日
今日の本
お金のために働く必要がなくなったら、何をしますか?/エノ・シュミット, 山森亮, 堅田香緒里, 山口純
2016年5月、スイス・ジュネーブの広場に巨大なポスターが現れた。
そこには、
What would you do if your income were taken care of ?
お金を稼がなくてよくなったら、あなたは何をしますか?
と書かれていた。
これは、世界で初めてベーシックインカムを求める国民投票を実現させたアーティスト、エノ・シュミットらによる「世界最大の問い」だった。
世界各地で導入の具体的な動きが広まるベーシックインカムは、社会や人間のあり方に何をもたらすのか。
2017年4月に同志社大学で開催されたシンポジウム「エノ・シュミットと語るコモンズ、フェミニズム、ベーシック・インカム」をもとに、4人の執筆者が「世界最大の問い」を考える。