こどもが勉強をすれば学費が出せて、勉強をしなければ学費が出せないのはどうして?

amam
こんにちは、

AI-am(アイアム)のよっぴー、まりんです。

 

今回は、 LINE@ にいただいたご質問にお答えしています。

「好きにしていいよ」は、親の理想像へと、こどもを誘導してしまいがちです。

でも、親はこどもに育てられるもの。自分のずるさに気づかせてもらえることは、家庭を安心な場所へ変えていけるチャンスです。

LINEにいただいたご質問

LINE@ で、ご質問をいただきました。ありがとうございます!

はじめまして。
よっぴー、まりんさんの本を読んだことがきっかけでお二人をしりました。

よっぴーさんの教育に対しての考え方に共感をもてました。
私がもし子供に戻れるなら、まりんさんの様に学校に行かない選択をして自由な好きなことをししたいです。

と、いざ我が子の事になると話は別になってしまう自分がいます😓

高校生の息子がいます。
中高一貫校に通ってますが、どうやら勉強が好きではないことが1年ほど前に分かりました。
学校に行くのは楽しい?らしいですが、とにかく勉強しないのです。
中高私立なので、学費が高く勉強しないなら正直学校を辞めてほしいと思っています。

*最近はプログラミングに興味があり、毎日熱中してやっているので、通信の学校への編入もありかと、本人も悩み中です。
私は本人が好きならそれもありかと思っていて、子供にも伝えています。

しかし、主人はその事は知りません。
主人に話すと絶対に反対されるので、ちゃんとお父さんに説明出来るように詳しく調べてから話すように伝えてあります。
が、本人も私もそれでいいのか正直迷っています。

*息子は積極的なタイプではなくもの静かなので、高校生ながら自分の意見があまり言えません。

長々とすみません。
よっぴーさん、まりんさんならどうしますか?
返信頂けたら嬉しいです。

LINE@へのメッセージ

 

メッセージ、ありがとうございました!

以下、おへんじです。

 

よっぴーまりんならどうするか?

本を読んでくださったとのこと、とてもうれしいです。ありがとうございます!

わたしたちの環境・関係ならこうするな、ということと、ご質問の文面から感じたことを3つ書きますね。

さっそくですがまず、「よっぴーさん、まりんさんならどうしますか?」について。

 

[box class=”pink_box” title=”よっぴー(親として)の場合” type=”simple”]

 

わたしなら、ほっておきます。というか、わたしの考えでは、問題はどこにもないです。

こどもさんは勉強は好きではないけれど、楽しく学校に行かれているんですよね? 最近はプログラミングに熱中されているんですよね? 熱中できるものがあって、さぞ毎日をたのしく過ごされているんだろうな、そんな姿を見れて、おかあさんはしあわせだなあ、と思いながら読ませていただいたほどです。

ほっておくことで、自分(わたし)が困ることがあるようなら、それは率直に伝えます。たとえば、お金が底をついて学費が払えなくなったとか。でもそんなことでもない限り、なにをどう選ぶかはこどものことだから、こどもの判断に任せます。

それで、もしわたしに相談したいことや聞きたいことがあれば、いつでも言うてなー、くらいの感じです。

 

[/box]

 

[box class=”blue_box” title=”まりん(こどもとして)の場合” type=”simple”]

 

わたしだったら、やりたいようにやります。

プログラミングに興味があるからそちらに集中できるように通信高校へ編入する、
いまの学校が楽しいから編入はしない、
通学/通信問わずプログラミングが学べる専門機関にする、
プログラミング以外はやりたくないからそもそも高校はやめる、

いま思いつくのはそれくらいだけど、これがいまの自分にとってベスト、というものを選びます。

金銭面を最重視しなければならない状況という感じでもないように伺えるので、自分がいちばんやりたい、身を置きたいものを。

もちろん、絶対にこれという選択肢があるなら、よほど不可能な状況でないかぎり金銭面を工夫して、それを選びます。

 

[/box]

親が一切の下心、正解・不正解を持っていないこと

これらはわたしたちが、わたしたちの環境・関係で「どうするか」というもので、もちろん正解・不正解はないし、行動だけをそっくりそのまま別の家庭に移して「同じ」ということにもなりません。

たとえば、よっぴーの「ほっておく」「自分が困ることは言う」「あとはこどもに任せる」を行ってもこどもにプレッシャーを与えないのは、親が一切の下心、正解・不正解を持っていないことが大前提です。

 

「右を選んでほしいけど、左を選ぶのもこどもの選択だからな」と自分に言い聞かせるのではなく、自分の気持ちとこどもの気持ち、それぞれの主体を、ごく当たり前に区別していること。

「干渉したいけどしないようにする」のではなく「干渉することを知らない」くらいのナチュラルさで、また、結局うやむやになりそうになっても追及しない(これも「あえてしない」のではなく)、根っからそういう人であること、が大切です。

 

たとえば、「金銭面で困りごとがあれば伝える」ときにも、「だからこうしたら」とか、「だからこうしなさい」は不要ですよね。こどものことなんだから。

決して「自分のお金だから」という認識ではなく、わたしたちの場合はあくまで家計を担っている者として、こういう家計でこれだけのお金が出ていくとこうなる、だからこんなふうに全体に影響が出て困る、という現状について話します。

 

干渉したくない、でもぜんぜん完璧じゃない

とはいえもちろん、「したいけどしないようにする」「あえてしない」だけでも意味はあります。

でも、一部分にだけ注意を払っても、こどもには、それ以外の部分がどうしても見えてしまいますよね。家族だからこそ、すぐにボロが出ます。こういう不安定さって、こどもにとってはすごくつらい。

逆に、自分を完璧な親のように見せることなく、「干渉したくない、でもぜんぜん完璧じゃない」という気持ち・状態を共有できたら、こどもはいくらか安心できると思います。

 

親がこどもを育てるのではなく、こどもが親を育てる

メッセージを拝読しただけでは、もちろん、わたしたちには読み取れていない部分がたくさんあって、いやいやそうじゃない、と感じられるところも多いと思います。

具体的な家庭環境、性格、背景、そのようなものを把握しないまま、推測も含めてお返事をさせていただいていること、ご了承ください。

以下は、よっぴーまりんならどうするか、ではなく、わたしたちが感じたこと・気になったことです。もし必要だったら、参考にしてくださいね。

 

1. 勉強が好きじゃなくても、学校が楽しい(行きたい)なら、その学校はこどもにとって価値がある

勉強が好きじゃなくても、学校が楽しい(し、行きたい)なら、こどもにとって、その学校に価値はありますよね。勉強は好きだけどこの学校は楽しくない(行きたくない)という場合は、別の学び場を探すべきだとも思うんですが。

学校に不満のない(どころか楽しく行っている)こどもに対して、勉強をすれば学費が出せて、勉強をしなければ学費が出せないということは、金銭面が切実な問題になっているわけではないですよね。

つまるところ、こどもの意思や感情ではなく、親の「勉強してほしい」という欲求が先行しているんじゃないかと思います。

 

親はよく「お金がない」「高い」ことを言い訳にするけど、あれは正確にいうと「わたしはソレにお金を使いたくない」ってことじゃないですか。本当に家計が苦しいなら、言うまでもなくこどもにもわかるだろうし。

価値観は人それぞれだから、たとえ同じ金額でも、できる買い物とできない買い物があるのは当然です。

でも、経済的に独立したもの同士ではなく、経済的には親に頼らざるをえないこどもに対して安易に用いると、ものすごくタテ構造というか、一方的な権威を振りかざすことになるんですよね。

それがいい・そういうものだという方もいるだろうけれど、わたしたちは、ヨコの関係がよくて。お金のように、こどもが反論しづらいものを利用して言い含めるのは、すごくずるいやり方だと思っています。

 

2. こどもの悩みは作られたものじゃないんだろうか?

メッセージを拝読していてまず不思議だったのは、現在の学校に行くのが楽しくて、毎日熱中できるものもある息子さんが、なぜ通信校への編入を悩んでいるんだろう? という点でした。

学歴? 家計? 将来? 環境の変化?

こども本人の気持ちすべてが親にわかるわけはないし、もちろんわたしたちにもわかりません。でも、侵入してきた親の欲求が、こどもが自分の問題として選択を思案することから遠ざけているということは、よくあります。

 

たとえば、息子さんの気持ちよりも先にお母さんの「勉強しないなら辞めてほしい」、「いまの学校で勉強してほしい」が先行しているのなら、こどもはもちろん困って、考えることさえできずに悩んでしまいますよね。

親に逆らえないにせよ、悲しませたくないにせよ、自分の気持ちとは別の方向に強い力で引っ張られているわけで、自分か親を諦めることでしか、答えを出せません。

 

3.「積極的じゃなく自分の意見があまり言えない」と親が判断することの弊害

親が、こどもを「積極的じゃない」とか「あまり自分の意見が言えない」と判断することは、ますますこどもの声を小さくしていくことだと思います。

そう言われると反発したくなっていっそう声が大きくなる、というタイプでもないかぎり、意見が言えなくなるのは当然だし、自分自身でさえ自分を「積極的じゃなくもの静かなタイプだ」「だから意見が言えない」と決めつけてしまうようにもなります。

 

それに、どんな場でも物怖じせずにものを言うひとというのは確かにいますけど、これはだいぶ珍しいですよね。たいていはみんな、言える場所(相手)で言うのであって、言える/言えないは環境によって変わります

でも、だからこそ、家庭は、なんの恐れもなく発言ができて、行動ができて、感情をさらけ出せる場所であってほしいと思うんです。それが家庭のすばらしさで、役割だと思うんです。

 

親の恐怖はどこからくるのか

最後に、もうひとつだけ!

「我が子のことになると話は別」になってしまうのはなぜか、
どんなふうに「別」なのか、
よっぴーの教育観に共感する心と頭を分け隔てているものはなんなのか、

とても大事なことだと思うので、よければぜひ、じっくり向き合ってみてください。

ご質問ありがとうございました! これからもメッセージをいただけたらうれしいです。