こんにちは、AI-am(アイアム)の 吉田 晃子 です。
ある物を探していたら、ひょんなところから、息子お手製のポケモンカードが出てきました(トップ画像)。
そういえば作ってたなあ〜、なんて振り返りながら当時のことを懐かしんでいて、ふと思ったことがあります。
それは、「不登校でもいいけど、家にいてもゲームしかしないんです」といった親御さんの声について、です。
抑々論
「不登校でもいいけど、家にいてもゲームしかしないんです。どうしたもんでしょうか…」といったご質問をよく受けます。
そのたび、こ〜かな、あ〜かな、と、答えさせてもらってきてたのですが、 息子 が作ったポケモンカードを見ながらね、ふと、思ったことがありました。
子どもさんはゲーム以外にもやっていることがあるんじゃないのかな? って。
親自身が善しとおもう事柄をしていないだけなんじゃないのかな? って。
将来への不安解消法のために
親自身が善しとおもう事柄。これの典型は「学校の勉強」だと思うんです。
もしくは、親がやってほしいと望んでいる(または許可を下せる)スポーツや、マインドスポーツ(将棋や囲碁等)など。
はやい話が、「何かになる(何かになれる)ため」のもの。
もっと噛み砕いて言えば、将来、大人になったときに失敗せず、「人並みに稼ぐ」ということがイメージできる事柄です。
失敗は「恐怖」と植え付けられる
わたしたちが受けてきた教育には、常に目標があったじゃないですか。目標を持つことが大事とされて、達成のためにすべきことをさせられてきました(2018年になった今も同じですが)。
多様な教育の価値観を知る機会もなく、その結果、なにが好きかもわからず、自分をいきることの楽しみ方さえわからなくなってしまうほどに。
とにかく目指すは、将来、 失敗しないこと!と。
達成できないことや失敗することは恥であり、なんとしても避けるべきことだと思い込まされています。
失敗したらダメなんです。
だから、なんの得にも銭にもならない(と親は思っている)ゲームばっかりしている場合じゃない。。。と不安になってしまう。
(余談ですが)デモクラティックスクール・サドベリースクールの毎日
デモクラティックスクール・サドベリースクールに初めて見学に行かれた方のなかで、子どもたちは一日中、「遊んでいるだけ」といった感想をもたれる方は少なくありません。
実際ホントにね、子どもたちは一日中遊んでいるから、「遊んでいる」に見えて当然なんですね。
デモクラティックスクール・サドベリースクールの学校には、先生や授業はなく、チャイムさえも鳴らないんだし。
ただね、「遊んでいるだけ」ではないのです。「遊んでいる」んです。
遊びこそ学びのすべて
息子がこのポケモンカードを作っていたころ、彼の大の苦手は、絵を描くこと、そして、色を塗ることでした。
それなのに、その大の苦手を151枚(当時いた151匹のポケモンぜんぶのカードを)作ってたんです。ポケモンゲームをするために。
「遊んでいるだけ」としか見えない頭で見れば、ゲームしかしていない… になるのかもしれないけれど、子どもは「遊んでいる」のです。
子どもには学ぶ本能があるんだから、何をして遊んでいても、能力は育ちます。
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教育の出発点
せっかくね、学校に行かないで家にいるんだから、
数字なんかに縛られないで、
失敗を排除しようとしないで(失敗を恐れると学ぶのが下手になる)、
子どもの感性に添えばいい。
子ども自らがやりたくてやっていることは、その子にとって、もっとも大事なものが含まれています(これ、絶対にそうだと思ってるんです)。
わたしたち大人とちがって、利己的ではない子どもは、学ぶのが上手いよ。
ゲームしかしていないかどうか、頭をやわらかくして、ちょっと見てみ?