スイミー作者レオ・レオニが伝えたかったことと不登校の共通点-孤独は自分を見いだせる一つの手がかり




am3こんにちは、

AI-am(アイアム)
よっぴー です。

 

小学校2年の国語の教科書にも載る『スイミー』。

学校では『スイミー』を道徳的に扱い、みんなと違っていてもいいんだよ、みんなで協力することは大事なんだよ、と教えるけれど、

絵本『スイミー』で、作者のレオ・レオニが伝えたかったことは、みんなで力を合わせる重要性ではなく、「孤独」を味わうことで、己れとは何者かを知ることが大事なんだ と言います。

松居直さんも、『スイミー』は、単にみんなで力を合わせれば怖いものはないといった教訓的な話ではない。自分とは何かを意識し、 自己認識を深めてゆく孤独は、自分を見いだす一つの手がかりなのだ と語られます。

 

絵本の読み方と、絵本を読むときのコツ、『スイミー』を教科書に載せる不本意のほか、

不登校は「なる」ものではなく、「する」ものだってことを、

レオ・レオニが『スイミー』で語り伝えたかったことと不登校の共通点 ー「孤独になるという苦しみの経験を味わうこと」と、「孤独は自分を見いだせる一つの手がかり」に沿うて書いています。



木村泰子元校長の大空小学校のような手法を取り入れてほしい!

よっぴーまりんが主宰している オンラインコミュニティ「お母さんのじかん365」で、先日、↓↓の書き込みがありました(ご本人のご了承をいただいています。以下は要約です)

 

Kさん

不登校をしているこどもの小学校の校長先生に、大空小学校(映画『みんなの学校』)のような手法を取り入れてほしい、と伝えました。

校長は、「うちは標準的な学校としてするべきことをしている」「不満があれば教育委員会へ」「あの映画は観たけれど、綺麗事だ」「あなたのお子さんのチャレンジ精神が足りないのでは」などと言われ、わたしは話し合おうとしたけれど、平行線に終わりました。

担任にも話をしたり、著書(『「みんなの学校」が教えてくれたこと』)を渡したりもしたけどなにも変わらず、わたしには何もできないと感じ、学校から距離を置くようになりました。

今は諦めムードです。
学校に不満のある方々が、学校ではなく別の方向を向いて生きる方が多いのは、こういう現状だからでしょうか?
わたしは学校にどのように伝えればよかったのでしょうか?

 

孤独は自分を見出せる一つの手がかり/よっぴーの返信

Kさんの書き込みに、よっぴーはこう返しました。↓↓

書き込みをありがとうございます!
読ませてもらっててね、小学校の国語の教科書にも出てくる『スイミー』を思い出しました。

と言っても、学校の教科書ではこの絵本を道徳的に扱っていて、みんなと違っていてもいいんだよ、みんなで協力することは大事なんだよ、と教える けれど、わたしがKさんのこの書き込みを読んで思い出した『スイミー』はそこじゃなくって、本来の『スイミー』。
(作者のレオ・レオニさんは、そんな道徳を教えたかったのではないとおもっています。)

わたしたち大人はついつい「結果」に目を向けちゃう けど(教科書の『スイミー』もそう! だから、集団の協力の重要性にスポットを当てる)、Kさんが書き込まれている今回のことで経験されたことって、わが子が学校へ行かないのをきっかけに、「学校」を泳いでみたことで得た観察だとおもうんです。

学校がいかに「狭い」か。
(『みんなの学校』を観て、読んでされたことで)ほんとはこんなに広いのに…って。
そして何より、そんなふうにかんじた(感じた・観じた)自分さんに気づかれた。

『スイミー』の作者レオ・レオニさんが言われていたことなんだけど、
“惨事のなかスイミーは生きのこる。淋しい。苦しい。だけども苦しんだがゆえに、スイミーはじょじょに人生の美しさに気づいていく。生命力と熱意を取り戻す。ついには岩かげに隠れていた小さな魚の群れを見つけた”(省略しています)

スイミーは苦しんだがゆえ、岩かげに隠れていた小さな魚の群れを見つけたとき、考えて、考えて、考えて、、、「そうだ!」って言うんですよね。
それって、苦しかったあいだ、「孤独」をしっかりと味わった からだとおもうんです。

わが子が、ふつうに学校に行っていると、「学校」は見えないじゃないですか。見えないというよりか、見ない。
スイミーもいっしょで、もとから海のなかで暮らしていたにもかかわらず、ひとりぽっちになるまで、海の世界がどんなところか、その世界のなかで自分がどんな存在であるのか、気づいてなかった。
孤独は、自分を見いだせる一つの手がかり です。

そんなふうに思うわたしだから、Kさんのこの書き込みを読ませていただいたとき、Kさんが孤独をかんじられたの “好いなあ” とおもったのでした。
自分の存在に気づけるのって、ほんとうに有り難いもんね。

 

> 学校に不満がある方達が、学校ではなくべつの方向を向いて生きる方が多いのは、こういう現状だからでしょうか?

黒い姿、黒い目をしたスイミーは「ぼくが、めに なろう」って言うんですよね。
生涯にわたって教育に黒い目を持ちつづけた/持ちつづける先駆者の方たちは、「孤独」で「苦しんだ」経験を今もって味わっていらっしゃるのではないのかな。おなじ海のなかで。

Kさんのところの学校の方々に、どのように伝えれば良かったのか? はわたしにはわからないのだけど、スイミーが教えてくれる「見ること」。この観察眼を鍛えていくかな、わたしだったら。

 オンラインコミュニティ「お母さんのじかん365」の書き込みより

『スイミー』の授業参観でおぼえた違和感

↑の返信でも書いているように、『スイミー』は小学校の国語の授業で習うんですよね。なので、こどもたちにもなじみ深い作品ではないでしょうか。

光村図書出版が発行する小学校2年生用の国語教科書に、1977年から載録されています。わたしの場合は、自身が小学校で習ったのではなく、息子を通して、教科書に載っていることを知りました。

でもってラッキーなことに、参観で『スイミー』の授業を見ることができたんですね。

 

参観の感想を顔文字であらわすと、こんな感じでした。 ➡︎  ガーン. ( ̄□ ̄;)!!

自分がつくった作品ではないけれど、作品を冒涜されているようで、いたたまれなくなったのと、自分もこどもの頃、こんな授業を受けてきていたのかって、こわさと驚きで、口をぽかーんと開けたまま見入ってたんじゃないかな。

  •  スイミーは何色ですか?
  •  ちいさな魚のきょうだいたちは何色ですか?
  •  ミサイルみたいにつっこんできたのは何でしたか?
  •  スイミーはどのように考えましたか?
  •  etc

 

こんなふうに、「正解」が用意されているんですよね。↓

 

 

 

 

絵本ではひらがなで書かれていることばが、漢字で書かれていたり、負けないで頑張ることが良いことだったり、「協力の大切さ」を教えていたり、参観のときに自分が感じた違和感をよく覚えています(後述)

『スイミー―ちいさなかしこいさかなのはなし』

 

『スイミー』は、作家レオ・レオニさんの絵本で、日本語版の正式な題名は『スイミー―ちいさなかしこいさかなのはなし』。谷川俊太郎さんが訳されているんですよね。

 

もうね、みなさんご存知だとおもうのだけど、こんなおはなしです。↓↓

ちいさな赤い魚の兄弟たちのなかで、1匹だけ真っ黒の魚の「スイミー」
大きなマグロがやって来て、兄弟の魚たちを飲み込んでしまいます。逃げられたのはスイミーだけ。
けれど、海の中にはくらげやいせえび、いそぎんちゃくなどいろんな生き物がいます。そんな中見つけた、スイミーにそっくりな小さな赤い魚たちに「遊ぼう」って誘っても「大きな魚に食べられるから」と岩陰から出て来ません。
スイミーは考えて・・・皆で大きな魚のふりをして泳ごうとみんなを誘います。赤い魚たちの中でスイミーは目になって、みんなで力を合わせ大きな魚を追い出しました。

 

出典:Ehon navi

 

『スイミー』で語り伝えたかったこと/『絵本のよろこび』より

参観で覚えた違和感の正体は、のちに発売された『絵本のよろこび』(松居直・著)を読んだとき、なるほどなあ〜と知ることができました。

松居 直さん

松居 直さんは、福音館書店を創立された方です。編集部長、社長、会長を歴任し、現在は福音館書店相談役を務められています。

児童文学者で、戦後の絵本づくりの土台を築き、多くの子どもの本の名作を出版されてきた出版事業家でもあります。

 

 

絵本のよろこび』で松居 直さんは、『スイミー』は単にみんなで力を合わせれば怖いものなし、といった教訓的な話ではなく、作者のレオ・レオニさんが最も語り伝えたかったこと を語られています。

この絵本は、単にみんなで力を合わせれば怖いものなし、といった教訓的な話ではありません。

(中略)

作者が最も語り伝えたかったのは、ひとりになったスイミーが海の中を泳いでいたときなのです。最後の、みんなで力を合わせて、大きな魚を追い出しましたという部分が主題ではなく、それは物語の結果にすぎません。

スイミーはもとから海の中で暮らしていたにもかかわらず、 ひとりぼっちになるまでは、 自分の生活の場である海という世界がどういうところか、 その世界のなかで自分がどういう存在であるのかも、 気づいてはいなかったのです。 現代の私たちも、 このスイミーと同じではないでしょうか。 スイミーはひとりぼっちになってはじめて、 海という世界がどうなっているのかを自分の眼で観察し、 どんなに珍しくおもしろいものが生きているのか、 またどんなに美しい世界なのかに気づき、 そのなかで自分という存在そのものに気づいてゆきます。 つまり自分とは何かを意識し、 自己認識を深めてゆきます。 孤独も自分を見いだす一つの手がかりなのです。

 

引用:『絵本のよろこび』p.106 – 109

 

 

絵本を読むときのコツと、絵本の読み方と、教科書に載せる不本意

この絵本は、単にみんなで力を合わせれば怖いものなし、といった教訓的な話ではありません。作者がこの絵本で語りたかったテーマを知るには、絵本の場面を、初めから終わりまで一場面ずつ順を追って丁寧に読みとり、絵本全体の構成のなかで、その展開を踏まえて作者の意図を読みとくことが肝要です。物語のテキスト(文章)を読むだけでなく、そのイラストが語る意味を画面のなかで隅々までしっかりと読みとらなければ、作者の思想はわかりません。つまり総合芸術としての絵本が表現している全体を、読みとることが大切なのです。

 

引用:『絵本のよろこび』p.106

 

絵本を読むときのコツは、絵の細部を特に注意深く読むことができるか否かです。

つぎに絵本はたくさんの場面によって全体が構成されますが、作者や画家が物語のどこにいちばん多くの場面を費やし、特に力を入れ、工夫して絵を描いているかを見極めることです。画家はいちばん強く語りかけたいところに、多くの場面を割く傾向がみられます。この『スイミー』でいちばん多く画面が使われているところは、仲間を失ったスイミーが、ひとりぽっちになって海の中を泳いでいるところです。全編の十四場面中七場面にもわたり、しかもよく見ると場面ごとに別々の絵画技法を使い、力のこめた造形表現をしています。絵画的にはここがクライマックスで、作者が最も語り伝えたかったのは、ひとりになったスイミーが海の中を泳いでいたときなのです。最後の、みんなで力を合わせて、大きな魚を追い出しましたという部分が主題ではなく、それは物語の結果にすぎません。

 

引用:『絵本のよろこび』p.108 – 109

 

レオニはテキスト(文章)と視覚言語(イラストレーション)、そして考え方(思考など)の三つの要素がピタッと一致したときに、最高のデザインができると語っていますが、これは絵本にもあてはまります。したがって絵本『スイミー』を、考え方も機能もまったく違う教科書の一部に取り込むことは、このバランスを壊してしまうことで、物語とその思想とを読者に伝えることが不可能になります。

 

引用:『絵本のよろこび』p.112

 

絵本のよろこび』では、引用部分以外にも、『スイミー』の内容と表現の真相、また、レオニの思想が表されている重要な個所と、レオニが経験から学んだ哲学などなどが書かれています。

レオ・レオ二が語るスイミー/『子どもの館』より

『子どもの館』(福音館書店)の1976年6月号には、レオ・レオ二のインタビューが載っています。

※ 『子どもの館』は、古本屋さんのほか、大きな図書館や大学図書館等に置いてあったりします。

 

 

インタビューで「私にとっては、己れとは何者かを知ることが、もっとも根本的問題です」と述べるレオ・レオ二さんは、スイミーについてこう語ります。(きき手:M・ラマツォッティ/訳:掛川恭子)

(前略)兄さんや姉さんはマグロにのみこまれてしまうけれど、スイミーはその惨事の中でも生きのこります。苦しんだが故に、スイミーはじょじょに人生の美しさに気がつくようになります。このところは私にとっては、とても重要なことなのです。スイミーははじめは淋しがっていますが、やがて人生を詩的なものとしてながめるようになったことから、生命力と熱意をとりもどし、ついには岩かげにかくれていた小さな魚の群れを見つけだします。それがあんまりうれしかったので、スイミーは、「でておいでよ、お日さまの下をおよごうよ」とさそいますが、小さな魚たちは、「だめだよ、あぶなくって」と反対します。スイミーはなおも、「このままじっとしているわけにはいかないよ。あぶないからって、いつもびくびくしてるわけにはいかないじゃないか。なにかいい方法を考えなくちゃ」といいます。

これは純然たる “政治的” な本ですよ。スイミーは考えて考えて、ついに解答を得ます。「大きな魚みたいに、かたまっておよげばいい。そうすれば、大きな魚をおいはらえるさ」そういうと、スイミーは大きな魚の目になって……

 

———スイミーがインテリだからですか。

 

レオニ そのとおりです。仲間の魚にかわってものを見る。それがスイミーの役割なのです。他の魚よりもからだが大きいわけではないし、目になったからといって、特に偉くなったわけでもない。ここには階級はないのです。

(中略)

さきほど、自己認識のことをもちだされましたね。おっしゃるとおり、私の本の中の何冊かは、この自己認識の問題を、ちがう角度からとりあげたものです。『あおくんときいろちゃん』は自己認識の物語です。ここでもまた苦しみをとおして、他人との衝突によって、自己の認識へといたります。

人間というものは、他人に理解してもらうことももちろん大切ですが、同時にほんとうの自分は何者かを知っていることも大切です。(後略)

 

引用:『子どもの館 1976年6月号』p.45 – 46

 

孤独の経験を味わうことで、己れとは何者かを知る

己れとは何者かを知ることが最も大事だと述べるレオ・レオニさんも、そして松居 直さんも、「孤独」 になるという苦しみの経験を味わうことで、 周りのことに気づき、 自らも知るんだ、といいます。

 

インタビューでは、

姿勢はちがうけれど、同一問題の象徴の『スイミー』と『フレデリック(ともにレオ・レオニ作)は、みんなの上に立つ人は、力が強いからじゃない。他の人とちがう資質をもっているからなんだ と述べられてもいるんですね。

また、「『あおくんときいろちゃん』は完全といっていいくらいフロイト的な本」で、「『スイミー』はマルクス主義的背景を多少におわせているかもしれない」とも語られています。

不登校は「なる」ものではなく、不登校は「する」もの

「不登校」にたいして多くのおとなは、不登校に「なった」と言います(または不登校に「なる」)

「うちの子が不登校になってしまって…」とか、

「こどもがカクカクシカジカで学校に行けなくなって、このままでは不登校になってしまう」とか。

 

こんなふうに、不登校の捉えかたが、「なる」「なった」だから、

だから、「(うちの子、ゲームやYouTubeばっかりで)不登校で一日中なにもしないんです」になる。

 

不登校は「なる」ものではなく、「する」もの なんですよね。

不登校に「なった」んではなく、不登校を「している」んです。

 

一日中、不登校をしているんです。「学校」から脱けだして、「地球が がっこう(しゃかい)」を泳ぎはじめたのです。

 

松居 直さんが書かれていた「絵本を読むときのコツは、絵の細部を特に注意深く読むことができるか否かです」は、子育ちを見守るときのコツとおなじですよね。

子育ちを見守るときのコツは、こどもの細部を特に注意深く読むことができるか否かです。

 

『スイミー』全編の十四場面中、七場面にもわたり描かれている “仲間を失い、ひとりになったスイミーが海の中を泳いでいる” 場面。

あの場面の「孤独」の苦しみの経験を、しっかりと自分も味わうことが大事です。

子どもを見守るとは、「個」をまもること

ところが、「孤独」を味わうことを経験してきていない(経験させてもらえなかった)ために、“仲間を失い、ひとりになったスイミーが海の中を泳いでいる” 場面に怖れを抱く親は、

スイミーがひとりぽっちになるや、岩かげに隠れているたくさんの赤い魚がいる19・20頁(十場面)へ、こどもを連れていこうとしてしまいます。

せーーーっかく、スイミーになったのに、です。

それなのに、また赤い魚にしてしまう…。それがこどものためだと思って。

 

レオ・レオニは、そうじゃないってことを、『スイミー』で教えてくれている。

「孤独」になるという苦しみの経験を味わうことで、 「わたし」に逢うこと、「わたし」になることを教えてくれている。

 

「ひきこもり」もおなじです。

前回の記事『 子どもを見守るとは? 』で、

※ 「ひきこもる」は、「ひき『個』『守る』」だとおもっています。→ 長くなるので、次回、詳しく書きます。

と書きましたが、

ひきこもりに「なる」とか「なった」のではないのです。

個を守っているんです。海を泳いでいるのです。

「子(己)育て」は、「子(己)育ち」で、つまりは「個育ち」なんです。

 

わたしも AI-am をはじめる前、5年ほどひきこもっていました(部屋や家にひきこもるのではなく、見た目はふつうに働いている)が、パートナーもこどもたちも、だれもジャマしないでいてくれたので、

にじいろの ゼリーのような くらげ……

すいちゅうブルドーザーみたいな いせえび……

ドロップみたいな いわから はえてる, こんぶや わかめの はやし……

うなぎ。かおを みる ころには, しっぽを わすれてるほど ながい……

そして, かぜに ゆれる ももいろの やしのきみたいな いそぎんちゃく。

に出逢うことができました。

 

せっかく不登校やひきこもりをしているのだから、こどもが泳ぐ海の中に手をつっこんで、たくさんの赤い魚がいるところに連れていこうとはしないこと。

 

「孤独」のなかから見えてくるもの。それがわたしのよく言う「不登校はギフト」だ、ってことです。

苦しんだその経験が、「自分で決心する」を生む

わたしたち読者は、スイミーが  「そうだ!」  と言って、 みんなに泳ぎ方を教えて、 「ぼくが, めに なろう」  と言う場面に感動します。

けれどもそれは、レオ・レオニさんや松井 直さんが言うように、スイミーが「孤独」で「苦しんだ」経験を味わったからこそなんですよね。

 

スイミーはもとから海の中で暮らしていたにもかかわらず、 ひとりぼっちになるまでは、 自分の生活の場である海という世界がどういうところか、 その世界のなかで自分がどういう存在であるのかも、 気づいてはいなかったのです。 現代の私たちも、 このスイミーと同じではないでしょうか。 スイミーはひとりぼっちになってはじめて、 海という世界がどうなっているのかを自分の眼で観察し、 どんなに珍しくおもしろいものが生きているのか、 またどんなに美しい世界なのかに気づき、 そのなかで自分という存在そのものに気づいてゆきます。 つまり自分とは何かを意識し、 自己認識を深めてゆきます。 孤独も自分を見いだす一つの手がかりなのです。

 

引用:『絵本のよろこび』p.109

 

苦しんだが故に、 スイミーはじょじょに人生の美しさに気がつくようになります。 このところは私にとっては、 とても重要なことなのです。 スイミーははじめは淋しがっていますが、 やがて人生を詩的なものとしてながめるようになったことから、 生命力と熱意をとりもどし、 ついには岩かげにかくれていた小さな魚の群れを見つけだします。

 

引用:『子どもの館 1976年6月号』p.46

 

「孤独」であるそのときは(あるいは、 最初は)、 悲しく、辛い時間になるけれど、苦しんだその経験が、自由意志のもと、「自分で決心する」を生む のです。

 

 

最後、ちょっと余談。

この記事を書くにあたり、ここでご紹介した本とともに、是枝裕和監督の映画『万引き家族』も観返したりしていました。

『万引き家族』でも『スイミー』が使われていて、祥太くんがスイミーだったんだ、や、スイミーはりんちゃんのことを指している、など、考察は人それぞれで、レビュー等を読んでいるとおもしろいですよね。

わたしは、(樹木希林さん演じる初枝を除く)彼ら全員がスイミーだ、とおもいます。全員が「自分で」決心した、あのエンディングから、『スイミー』のような「孤独を泳ぐ」物語がはじまっていく。

 

 

 

 

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