「学校に行かなくてもいい」「勉強しなくてもいい」、それって「学校前提思考」になってない?

ammこんにちは、AI-am(アイアム)星山 海琳  です。

「学校、行かなくてもいいよ」「休んでもいいよ」「勉強しなくても生きていけるしね」。

一見おおらかで理解のある言葉に聞こえますが、これってホントは、「学校は行かないといけないよ」と言っているのと、ほとんど変わりません。

学校は行くもの、という前提

「学校に行かなくてもいい」、「勉強しなくてもいい」、「がんばらなくていい」、「嫌いでもいい」。

「◯◯しなくてもいい」や、「◯◯しなくても生きていける/死なない」といった表現がありますよね。

こういう表現をするときって、「本来はこうだけどね」、みたいな前提が隠れています

 

いろんな前提の上でわたしたちは暮らしていて、前提があることで暮らしやすくなっている場面は、もちろんたくさんあります。でも同時に、それに縛られたり、悩まされるってこともしばしば。

ネット社会であることとか、結婚は男女がするものだとか、人生80年(最近は人生100年時代か)、そういうあれこれの前提のなかには、「学校」もある。

 

「学校前提社会」というと仰々しい気はするけど、実際、「学校に行きたくない/行けないことで苦しむのは、学校へ行くこと/行けることを前提としているから」というのは、そう間違いじゃないと思う。

 

学校前提の言葉かけ

学校に “行けない” こどもに対して、ちょっとずつ緩んでくると親は、「行かなくてもいいよ」とか、「休んでもいいよ」「がんばらなくていいよ」と言うようになる。

さらに緩んでくると、「勉強しなくても生きていけるしね」とも言ったりする。

 

これって、とても解放的にみえるけど、根本的なところを覗けば「学校には行かなくちゃいけない」「勉強をしないといけない」と言っているのと大差ない

(だって、こどもが学校に行ったら、勉強をしていたら、うれしくなりません?)

 

こどもとの信頼関係のために

そう考えていること、そういう前提をもっていることは、良いとか悪いで括るようなものじゃない。価値観とか、個性と言ってもいいようなものだし。

問題なのは、というかこどもにとって困るのは、親の口から出てくる言葉と前提、考え方が矛盾しているってところです。
そして問題に問題を上塗りしているのは、親自身、ほとんどの場合それを自覚してないってこと。

よく、小さなこどもが、知らないことを「知ってる」って言いますよね。

知らないのに知ってるって言うとか、わかってないのにわかったふりをするとか、案外そういう状態と似ています。
親はそれを怒るんだけど。

 

前提を取っ払う、取っ払わない、はどうでもいいんです。
こどもと親の価値観をおなじにする必要はないし。

でも、矛盾している以上は、そのことを自覚できるほうがいいと思う。

自分自身だって疲れるし(しかも原因不明に)、なによりこどもとの関係は、こどもにとって信頼のできる言葉を使わないとはじまりません。

 

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