こんにちは、AI-am(アイアム)の 星山 海琳 です。
子どもは、親の価値観と同化する必要はない。
自分の思ったとおりに、やりたいとおりにすればいい。
でもそれができないのは、なぜだろう?
高校2年生の方から LINE@ にいただいたメッセージにお答えしています。
もくじ
「学校に行かないのならバイトをしろ」
よっぴー・まりんのLINE@へ、日ごろたくさんのメッセージをありがとうございます!
本当にすべて読んでいます。
今回は ↓こちら↓ に答えさせていただきますね。
[aside type=”boader”]LINE@にいただいたメッセージ
私は高校2年生です。
学校に行っても授業に興味が持てずに、ぼーっとしたり絵を描いたり本を読んだりゲームをしたりするだけでした。
これでは学校に行く意味がないのではないかと思い、今日オヤトコ発信所を見て学校に行かないという選択肢をとりました。
が、親は「学校に行かないのならバイトをしろ」と言ってきます。
どこかに通うということが強制されてるようで好きになれず、特に接客は絶対やりたくないんですが近場のバイト先は9割以上接客業です。
バイトもしたくないし学校には行く意味がない。家で動画を見たりゲームをしたりして、それ関係の絵を描いていたいのですが、それではお金が入ってきません。
少なくとも収入を得られなければ生活できないとは思っているのですが、バイトや会社に所属する以外での金の稼ぎ方がわかりません。
私は嫌でもバイトをしなければいけないのでしょうか。嫌でも学校に行かなければいけないのでしょうか。
親は私に対して「学校に行けば先生が将来まで背中を押してくれる」と言いますが、それはただ単純に「お金を生成するマシーンにしてくれる」だけであって、私を幸せにしてくれるとは思いません。
学校ってそんなに偉いんでしょうか。学校ってそんなに私のことを変えてくれるんでしょうか。
私には学校は「決まった型にぎゅうぎゅうに詰めて押し出す場所」にしか見えません。学校が「ロボット工場」にしか見えません。
私が「絵を描きたい」と言っても「それは金になるのか」としか親に言われません。
私はどうすればいいのでしょうか。
親から「不登校で社会で活躍できる人はそういうことができる人だけだ。お前は自分がその選ばれた人だと思うのか」と言われました。私でも社会に出れるのでしょうか。
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眠ることや食べること、学校に行くことや労働をすること
「社会に出る」って、なかなか曖昧な言葉です。
曖昧なものには理由があって、境界線をぼやかす意味があり、そういう言葉を使って責めるひとは、ときにその曖昧さを必要としているってことだったりします。
まず、嫌でも学校に行か “なければいけない” ってことはないし、嫌でもバイトをし “なければならない” ってことはありません。それをせずに生きているひとは実際に大勢いるし、なにか咎められるようなことをしているわけでもない。
眠ることや食べることとは違って、ひとが生きていくための必須条件ではまるでない、ってことです。
それから、親は親だからというだけで正しい価値観を持っているように考えがちだけれども、まさかそんなことはない。
価値観の移植を受け入れる義理はない
よその大人のいうことと親のいうことなら、親のいうことのほうが正しい、と思います?
そりゃもちろん、よその他人よりは家族のほうが自分のことをいくらかよく知っているから、適切な考え方をすることはできるかもしれません。
でも、子どもが生まれて、ひとは親になる。それまでは、そこらにいる「大人」のひとりです。
多くの親は子どもに自分の価値観を移植したいと考えるけれど(「移植して当然」だとも)、子どもがそれを受け入れる義理はない。
どんなに自分のことを想ってくれているとしても、自分自身が親の価値観を特別に信頼しているというのでもなければ、FMラジオから流れるヒットチャートかなんかと同じ、「そこらにいる大人」のひとりの価値観と考えてかまいません。
親のいうことをきくのは、親に甘えるということでもある
いまの公の学校はたしかに、わたしたちに幸福感を生み出してくれる(ようなことをしてくれる)ところではないですね。
目標はともかく現状では「お金を生成するマシーン」、「決まった型にぎゅうぎゅうに詰めて押し出す場所」「ロボット工場」、そのとおりです。
親や大人のいうこと、考えること、価値観に違和感をもつ。
自分はそうは思わない、と感じる。
じゃあ、自分の思ったとおりに、やりたいとおりにすればいいんだけど、それができない。なぜか。なぜ?
がちがちに拘束されて、自分の意思というものが完全に封じられているのでないとして。
親のいうことをきく、嫌だけど、言われたとおりにするっていうのは、親に甘えている、守られようとしている、そういうことです。
世の中でお金を稼ぐ方法が、接客のアルバイトだけではないことも知っているし、親の価値観がすべてでないことも知っている、家を出られないわけじゃないことも知っている。
わからないことがあったとしても、それをインターネットで調べる方法も知っているし、その手段だって手もとにある。
でも、自立するのは怖いから、自分のやりたいとおりにするために悪戦苦闘しようとはしない。
責任は負いたくないけど、自由にやりたい。
まあ、家庭にたくさんのお金があって、望むままにそれをくれる親がいて、(お金の)苦労なしに暮らせるひとっていうのも、いますけどね。それは、うらやむぐらいしかできないし。
多くのわたしたちにできることは、自由といっしょに責任を引き取るか、責任といっしょに自由を預けるか、どちらか。
あるいは、話をすること。
どんな「わたし」でも社会にはいられる
親に話をするなら、自分がなにを話したくて、なにを伝えるべきで、どうしてほしいのかを、自分が知っている必要があります。
それをよく考えて、よけいな感情はそぎ落として、まとめて、ぶつけずに、親に伝わるように伝える。
たとえば、
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いまの自分はこういう状態で、あるいはこういうことがしたいと思っている。
そのために、現状がどんなふうに弊害になっているか。
どうであれば、自分の助力になるか。それが、あなたの喜びにもなること。
だからここまではこういうふうに助けてほしい、◯歳まではこうさせてほしい。
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など、など。
自分の言いたいことだけではなく、親が納得するような言い回しも、ときには必要です。
それから社会のことですけど、どんな「わたし」でも社会にはいられます。
活躍するひとと言ったって、学校に行っていても行っていなくても、割合は大して変わんないでしょう。
どんな船でも海に出ることはできるし、船をもたずに身ひとつで浮かぶことだって、潜ることだってできる。
それを咎めるようなルールは、幸いこの世の中にはない。
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