こんにちは、AI-am(アイアム)です。
3月25日夜〜3月26日朝まで、岐阜県郡上市にて、Vol.5 オールナイト座談会を開催しました。
主催してくださった三島明日美さん、ありがとうございました。
ご参加くださったみなさん、ありがとうございました。
※ 主催者さんとの写真や集合写真、おしゃべりしているときの写真、オールナイト座談会用に撮っているレコードを入れられるジャケットを前にした(わたしたちは後ろ向きの)写真を撮るのを忘れています。あしからず。
もくじ
無関心の「一括り」は多様を無視する
たとえばこどもが、ウサギになりたくって、ソファーの上でぴょんぴょん飛び跳ねているとして、
で、親に訊く。
「ねぇねぇ、何番目の跳びかたがいちばんウサギに近かった?」
親は驚く。
そして困る。
「跳んでいる」としか見ていなかったもんだから、全部いっしょなのだ。1番目と12番目のちがいなんてわからない。3番目と4番目のちがいもわからない。
夜も似ているな、っておもう。
これまで越してきた夜も、どれもいっしょじゃないのに、昨日と今日をいっしょにする。
夜通しおしゃべりをする、オールナイト座談会。5回目の今回は、
1番目と12番目の跳びかたも、3番目と4番目の跳びかたもどれも「一括り」にしないで見ようとされている明日美さん(主催者さん)の愛をいただきました。
一人で生きられる人が二人を生きられる
毎回ね、異なるオールナイト座談会。
それこそね、一括りにできるもんじゃないから当たり前なんだけど、やっぱりね、ほんとにね、えらくちがうんです。
主催してくださる人、その人が醸し出す色、匂い、ことば、気、、、それらが場をつくり、集まる人たちの息つかいが空気に溶けて、ひとつのオリジナルな夜になっていく…。
4回目のオールナイト座談会を開いてくださった野田智美さんのとき もおもったことなんだけど、
集まった面々によって会の空気が変わるところが魅力のひとつであるオールナイト座談会。
たくさんの人、たくさんの価値観にふれることで、「こうでなければいけない」という枠がぐっと広がり、なおかつ自分が「好きなもの」「きらいなもの」も掴んでいくことができます。
親自身がそんな体験をしていくことで、子どもにもその世界の幅は伝わっていくんだなあ、と思います。
今回ね、
よっぴー・まりんが想う「オールナイト座談会」をやろうって人(主催者さん)は、「ソファーは座るもの」という自分の価値観は脇におく人/おける人/おこうとしている人なんだな、とおもったのでした。
ソファーの上でぴょんぴょん飛び跳ねているこどもが、
「ねぇねぇ、何番目の跳びかたがいちばんウサギに近かった?」と訊く以前に、
「『ソファーは座るもの』なんだから、跳ぶのはやめなさい」とは言わない人。
ソファーの存在理由は、ひとつじゃないじゃないですか。
価値観の押しつけが失うもの
「何番目の跳びかたがいちばんウサギに近かった?」とこどもが訊く以前に、「『ソファーは座るもの』なんだから、跳ぶのはやめなさい」なんて言いかたをしちゃったら、
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なんで跳んでたのかがわからないまんまになる。
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相手(他者)を「知る」ということができなくなる。
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わたしの頭はいっそうかたくなる。( → 「学ぶ」ということがストップする)
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ふたりの関係はうすれていく。
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「ウサギになりたくって跳んでいた」ことを知ったときの、自分の反応や感情はどんなだったかを知る術もない。
一人で生きられる人が二人を生きられるんだとおもいます。
「わかりあえる」のは、内緒ばなしや大切な話をするからではなく、くだらないことを話しながら、大切な時間を過ごすから
オールナイト座談会がもたれるきっかけとなった記事『家族と朝まで、はなしをしよう。』のなかで、まりんさんはこう書いているんですよね。↓↓
夜というのはふしぎなもので、だれかといっしょにいると、朝や昼よりもずっと、相手と親近感を共有することができます。
あるいは、自分と自分も、そうかもしれません。
びん詰めしたように中身をころころ転がしながら活動している朝や昼とちがって、夜の自分は、内がわと外がわがひっそりと身を傾けあっている。
引用:『 家族と朝まで、はなしをしよう。』
晩ごはんのあと、なんとなくはじまった会話から、話題はあっちへそっちへ。
よっぴー と、兄、わたし の三人で、よくそんな夜(から朝)を過ごしていました。夜が親近感を生むなら、深夜はより深く、朝がたには、秘密基地を共有するように「わかりあって」いる。
内緒ばなしや、たいせつなはなしをするからではなく、くだらないことを話しながら、たいせつな時間を過ごすからです。おしゃべりは年齢を重ねたらできなくなるものではないし(子どもが男でも女でも)、関係性だっていつからでもつくることができます。
でも、冴えた十代のいわゆる思春期、視ることや感じることに長けた年ごろにむすばれる信頼関係は、とても特別な価値をもっている。
引用:『 家族と朝まで、はなしをしよう。』
直球なことばそのものではなく、時間を共有することで、親が無条件な理解者であることが、時間をかけて、子どものなかで疑いのない事実となっていきます。
道をしめしてほしいのでも、手をひいてほしいのでもない。
小さなたいまつのような、明るい光があればよくて、それが親であることは、とても心づよい。引用:『 家族と朝まで、はなしをしよう。』
なんで跳んでたんだろう? ってことがぼんやりとわかってくる夜明け前。
夜は朝のためにだけあるんじゃないってことを知る。
生まれて20820回目の夜に
そんななかの1回(一晩)、今回は、なななんと、よっぴーの誕生日でした。
57歳の夜が何回目か、電卓で計算していたら、息子に「うるう年いれたか?」って聞かれ、計算しなおしてもらった(笑)。20820回目なんだって!
でね、なにがすごいって、たくさんの人が集まってくれて開くお誕生日パーティーを、はじめて経験させていただきましたー!
オールナイト座談会をやる! って決められたあと、開催日はいつにしようか? ってなって、
薪ストーブを味わってもらえて、、、だけどももう雪はなくって(ノーマルタイヤでも可能)、、、となると、3月おわりころかなってなった。
でね、だったらよっぴーーの誕生日に、、、ってなった。
平日にもかかわらず、ご参加くださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。
したごころあって、参加されたのだけどね(笑笑)↓↓
ありがとう
おいしいごはん、
おいしいおさけ、
おいしいじかん、
おいしいくうき
おいしいえがお、
ありがとうございました。
主催してくださった三島明日美さんと、こどもたち(上の子、ふたり)。
よっぴーのバースデーケーキに合わせて、コーヒーを入れてくれている明日美さんちのいちばん下の子と、おなじく働いている参加者さんちの子↓
[aside type=”boader”]個人的ちょと話
薪ストーブもログハウスも、ポケットに入れて持ち帰りたいぐらい魅力だったけど、いちばん魅了してやまなかったのは、明日美さんちのこどもさんたちがつくった、おうちの前にひろがる創造製作!
一軒家で、建物(家そのもの)の前に車を止めたりするじゃないですか? 庭というか、敷地。その敷地に、ダムがつくられてあったり、川が流れてあったり、橋がかかっていたり。
一面穴ぼこだらけ、お山だらけで、ぐる〜と回らないとおうちのドアのとこに行けないの。さいこうーーー! 写真、ここでも忘れたけど ^^;[/aside]
よっぴー&まりんのオールナイト座談会
よっぴー&まりんのオールナイト座談会、次回はゴールデンウィークの5月5日、石川県は千里浜の先、中能登町で開催です!!
こんどはね、
(縁側+蔵+納屋)×古民家=ある暮らし
想像と創造を持ってみる暮らし
をされているおうちだよ♪
詳細・お申し込みは、近々UPします。
☆ 主催してみたい、ここでもやってほしい、という方は、
までご連絡ください!
よっぴー・まりんはどこへでも行きます。
講演会とあわせて開催していただくのも大歓迎。
よっぴー&まりんのオールナイト座談会、全国、あちこちどんどんやりたいです!!!!!
よっぴー・まりんとあそぼー!
だからね、よんでくださいー!
お気軽に aiam.life365@gmail.com までご連絡ください。