映画『家族ゲーム』人が人と触れ合うことを回避する時代の始まり

am3こんにちは、AI-am(アイアム) 吉田 晃子 です。

横長のテーブルに家族4人が横一列に並んで食事をする風景。

そんなシーンから始まる映画『家族ゲーム』を久しぶりに観ましたー。

鹿賀丈史さんの2時間ドラマや、長渕剛さんの同名テレビシリーズ、2013年にも映像化された櫻井翔さん主演のドラマではなく、1983年に劇場公開された松田優作主演の映画『家族ゲーム』です

 

当時、劇場で観た21歳のときは、「なんで自分は金属バットをもたなかったんだろう?」と、どえらく考えこんだことを覚えています。

2回目に観たときは、人権もくそもない「普通」こそが、そもそも狂っているんだ、と思った。

3回目を観たのは2011年で、急逝された森田芳光監督の訃報に接し、鑑賞しました。

で、今回。なぜ『家族ゲーム』というタイトルだったのか、わかったかも(笑)しれないです。

 

あらすじ

ストーリーは、息子の高校受験のために家庭教師を雇い、結果、受験に合格する、どこにでもある話です。

舞台となる、4人家族の沼田家も、どこにでもいる家族。工場を営む父(伊丹十三)、専業主婦の母(由紀さおり)、優等生の長男・慎一(辻田順一)、そして出来のいい兄とは正反対な中学3年生の次男・茂之(宮川一朗太)。

そこに風変わりな家庭教師・吉本(松田優作)がやってきたことで、一家に巻き起こる騒動を描いたホーム・コメディ映画です。

 

[box class=”glay_box” title=”作品概要”]

  • 1983年6月4日公開 ATG(日本アート・シアター・ギルド)映画
  • 上映時間 106分
  • 監督・脚本 森田芳光(キネマ旬報ベスト・テン第57回(1983年)日本映画ベストワン受賞、第7回(1984年)日本アカデミー賞受賞)
  • 原作 本間洋平(第5回(1981年)すばる文学賞を受賞)[/box]

 

独特の乾いた「傑作」

どこにでもある話なんだけど、久しぶりに観た『家族ゲーム』はやはりおもしろかった。

ケラケラ笑ったりするおもしろさなんじゃなく、また、あったかい気持ちになるのともちがいます。

監督・森田芳光と、俳優・松田優作がくりひろげる独特のリズムと間と空気感が特異な空間をつくりだしていて、それがおもしろい。

 

どこにでもある話を、どこにもない映像でみせる。

『家族ゲーム』には音楽がないんだけれど、音楽だけじゃなく、セリフまでもが限りなく引き算されています。言葉に頼るんではなく、映像に信頼をおいているってかんじ。

音楽をいっさい使わず、可能な限り「言語的説明」を排したセリフと、生活音のみが聞こえる世界。

そこに、伊丹十三ですからね。才気のコラボ、贅沢な映画です。

 

どこにでもある話(家族)は、なぜ、どこにでもある話(家族)なのか?

『家族ゲーム』では、変容した日本の家族関係がシニカルなタッチで描かれています。

公開当時(原作は1981年にすばる文学賞を受賞されていることから、書かれたのは70年終わり〜80年でしょうか)の70年代末期~80年代初頭というのは、戦後の転換期だったと思うんです。

政治経済から社会や思想や文化まで、旧来の戦後思想とは明らかに一線を画するものがありました。

高度経済成長に入った1955年(昭和30年)頃から、「拡大と能率」の原則による生産性第一主義のもと仕組まれた「人間管理」は成功したということなのでしょう。

一億総中流社会なんて言葉が生まれたものでした。

 

子ども世界までもが「成績」によって大きく変容させられました。

一流高校に行って、一流大学に入って、一流会社へ…。

偏差値教育と受験地獄による抑圧された教育下、社会通念は暴威を振るい、本来、上も下もない子どもたち個々人の存在価値を「成績がすべて」の世界にします。

「勉強ができない」ということが、学校でも家庭でも、子どもの居場所を喪わせたのでした(勉強の成績を重要視しない親の子は免れましたが

…下記の「向かい合うことがない家族」で後述

 

どこにでもある家庭の崩壊

戦後の転換。

校内暴力や家庭内暴力が渦巻いた1980年。その年の11月29日午前3時頃、金属バット殺人事件が起きました。

受験浪人2年目の予備校生の次男が、寝ていた両親の頭を金属バットで何度も振り下ろしたのです。

 

醒めない夢 金属バット事件から女子高生監禁殺人事件へ』の著者・青木信人さんは、この事件はこれまでの殺害にはなかった「新しさ」があったといいます。

わたしたちが受けた衝撃は、たんに子どもが親を殺したという事実にあったのではなく、この事件には「時代」の到来を予感させるような衝撃力を内に秘めていたと書かれています。

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(以下、ネタバレ少しあります!)

 

向かい合うことがない家族

この「金属バット事件」が、映画 『家族ゲーム』 の中にも出てきます。

公立の名門校に入ることを次男にも要求する父親と母親の会話 ↓↓

[box class=”yellow_box” title=””]母 「あの子がどうしても神宮校を受けるといっているんですけど」

父 「そんな馬鹿なことがあるかよ。西武高じゃなきゃダメなんだよ」

母 「じゃあ、お父さんが言ってくださいよ」

父 「オレがあんまり深入りするとバット殺人が起こるんだよ。だから、お前や家庭教師に代理させてるんじゃないか」[/box]

 

子どもたち本人の希望などおかまいなしに、すべての決定権をもつ父親のセリフはつづきます ↓↓

[box class=”yellow_box” title=””]父 「お前が考えるんじゃない、おれが考えるんだ」[/box]

 

[aside type=”boader”]…勉強の成績を重要視しない親の子は免れましたが ⇒ 勉強の成績を重要視するか、しないかの違いというだけで、親に決定権があることにはかわりない。

決定権は本人にあるんです。

この長男たちの優秀な成績は、自ら進んで勉強していたからというより、そのように育てられた結果にすぎません。[/aside]

 

家族と向き合わない、向き合えない、このお父さんが、いかに権力による支配に依存しているか、、、

お風呂の湯舟につかりながら、500ml入り紙パックの豆乳を、ちゅうちゅうと吸って飲んだり、

半熟の目玉焼きの黄身を、ちゅうちゅうと啜って食べたりするシーンがあるんですね。

湯船は母胎をさしているんでしょう。黄身や豆乳は、乳房・乳そのもの。

権力を振りかざすだけで、まだそこから自由になれない父。

 

 

毎朝のことなのに、夫が「半熟の目玉焼きが好きで、黄身をちゅうちゅうと啜って食べたい人(食べている人)」であったことに気づいていなかった妻。

その妻もまた、子どものことではなく、自分自身の利害に関心を持ちます ↓↓

[box class=”yellow_box” title=””]母 「しっかり勉強してね。でないとお父さんに、お母さんが怒られちゃうから」[/box]

 

顔を合わせることなく食事をするシーンをはじめ、

子どもと、

家族と、

人と、

つまりは他者と、

自分自身とも、きちんと向き合おうとしない親たちの姿が見事に描かれています。

 

乾いた家族像

家族のなかでの共生の充実がない。親子で心理的葛藤をしなきゃ、共感性のない家族になっていくと思うけれど、親はそこを賢く避けます。

そこを避けると、子どもは「自分で育つ力」は喪失していく。

 

心の成長の糧となる心理的葛藤を幼少のころから経験させないで、会話ではなく一方的な質問だけを子どもに投げかける。

親は、子どもが関心を抱いていることにはもちろん、子ども自身にすら関心をもたない。

核家族で住まい、「人間が人間と触れ合う」 ことを回避する時代の始まりを、映画は巧みに捉えます。

 

変わる家族

「戦後」から「現代」への大きな転換点となった1980年(昭和55年)。80年代以降は「いま」の源流ということになります。

そして「いま」、80年以降に芽吹き、定着した、社会や思想の経年劣化が(数年前から)目立ちはじめていると思いませんか?

 

学校に行かないってこともそう。 まりん さんが小学1年で学校に行くのをやめた頃はまだ、小1で不登校をする子なんてまわりにはいなかった。

でも「いま」では、わたしたちのまわりにもたくさんいる。

 

『家族ゲーム』のラストは、当時の1983年に向けてのメッセージであったんだろうけど、今回観てね、いまもだ! って思ったのでした。

 

今日の映画

『家族ゲーム』

森田芳光監督、松田優作主演の傑作ホームコメディ。高校受験を控えた沼田家の問題児・茂之の下へ、ある日風変わりな三流大学生・吉本が家庭教師としてやって来る。
“「新・死ぬまでにこれは観ろ!」キング邦画80連発!”

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