こんにちは、AI-amの吉田 晃子です。
不登校をするようになると、生徒の様子を見に時おり 担任の先生が家庭訪問 に来られます(来ない先生もいるし、お断りする家庭もある)。今回はカウンセラーの先生が来られたときのエピソードです。
魔のことば
「大きくなったら何になりたい?」 この質問が子どものころキライでした。
何になりたい? と訊かれるたび抱いた嫌悪感。
生命のリズムに身をまかせてAIに生きている子どもに数字を注入する。そうして気づかれないように、そぉ〜とそぉ〜と球体の世界を三角形にしていく魔のことば。おとなになってその正体がわかりました。
どうせなら「どんなおとなになりたい?」のほうがうんといい。
どっちみち思考の流れのジャマをするのなら、「やさしい気持ちになれるのはどんなとき?」なんてことを尋ねられるほうが、AIから遠のかないですむ。
卒業文集に、「転んだとき、お母さんが『痛かったね。魔法のおくすり塗ってあげるね』って言ってくれたとき、やさしい気持ちになりました」とあるほうがAIはみずみずしく生きるのに、とおもう。
灰色はいつだってあの手この手で愛を砕きにきます。
「学校に行かないで将来はどのようにお考えですか?」とカウンセラーの先生に尋ねられて
息子は小学生のとき学校に行かない選択をして、以降、中学の3年間も学校には行きませんでした。
不登校をするようになると、生徒の様子を見に、担任の先生が、時おり家庭訪問に来られます(来ない先生もいるし、お断りする家庭もあり)。
そんな中学2年のときのことです。
中学校のカウンセラーの先生から「是非一度、お母さんとお会いしてお話したい」と連絡があり、家に来られることになりました。
先生とテーブルに向かい合わせでおしゃべりしている同じ空間に、※それとはなしに息子もいます。※この「それとはなしに」。経験者にはわかってもらえるとおもうんですが…。
たわいもない話をして和んだところでカウンセラーの先生が言います。
「学校に行かないで将来はどのようにお考えですか? このままでは何にもなれないじゃないですか」
(この人マジで言ってる?)
「呆れてものもいえない」という心情になりましたが、ここは怒りをぶつけずに、自分の考えを言いました。
「何になるかじゃなくて、どんな人でいたいか、が大事だとわたしは考えています。暮らしをたのしむ人でいてほしいとおもっているんです。
だから、仮にパイロットになろうが、ホームレスになろうが、そんなことはどっちだっていいんです。
一般的にいえば「スゴい!」といわれるパイロットでも、なりたくてなったんじゃないのなら、やりたいことをしていてほしい。やりたいことを自分で知っている人であってほしいとおもっています」
休むことの重要性
今回、本『 小さな天才の育て方・育ち方-小・中・高に通わず大学へ行く話 』を書くにあたって、息子に尋ねたことが2個あります。
1つは、「叱られた記憶」。
もう1つは、学校に行っていないということで起こる「うれしかったこと」。
叱られた記憶はないそうです。
わたしも叱った記憶がないので、これはなかったことにしておきました。
もう1つのほう、「うれしかったこと」。これが上述の太文字の言葉だったそうです。
「今を楽しめない者が、将来もクソもないじゃないですか」とも言ったそうです。
「休める人は大丈夫。心配なのは休めない人です」も言ったそうです。
「そんなことでどうするの? あなたの将来が心配だ」
カウンセラーの先生が、「そんなことでどうするの? 子どもの将来が心配だ」という価値観を持たれているのは いいんです。人それぞれですから。
カウンセラーの先生の言葉に、こころのなかで、(この人マジで言ってる?)とおもい、怒りをかんじたのは、他者であるわたしに投げたからです。しかもそこには子どもが居るのにです。
こんなふうに言われたら、
元気が休み中の子だったら、心配だったのは今日、明日、、のことだったのに、将来までを心配色に染められます。
外交的な性格の子なら、そりゃあだれだって反抗のひとつもしたくなります。
そうして共に、「あなたのことが心配で…」と言われ続けて(言葉はなくてもオーラでも)、子どもも心配症の人になる。「こんな自分では…」の人になる。
想像してみて。
「最近太ったな… おまえの将来が心配だ」と言われたら?
ほっとけ、コンニャロメ〜
はじめまして
北海道で公演する予定とのことですが、
いつ頃でしょうか?
必ず行きます
ウゴーさま
コメントありがとうございます。
北海道での講演は9月3日(日)、もしくは9月10日(日)ころの予定で、4月に入ったらはっきりとした日程が決まる予定です。
>必ず行きます
こころつよいお言葉をありがとうございます! うれしいです!!
お越しくださること楽しみにしています。
ありがとうございます。